狐の少年
部活で書いたもの
賑やかな祭囃子と人の行き交う声が、肌寒くなってきた秋の夜の底をかき回していた。
今宵は、町の外れの神社で年に一度の祭りの日なのだ。
普段は近寄る者も少ない古い神社も、今日ばかりは赤い提灯で艶やかに着飾っている。
子ども達も今夜ばかりは夜更かしを許され、親から渡されたお金を手に、参道に出ている出店を冷やかして回っている。
子ども達がはしゃぐのを横目に見てから、神社の入り口で買って貰った鶴の形をした飴を眺める。
「……綺麗だな」
和鋏や棒を巧みに使って作られたそれは、食べるのが勿体ないと思うほど綺麗に作られていた。
飴細工が珍しくてしばらく観察すように眺めていた。
「綺麗だな」
さっきと同じ言葉を呟く。
一通り飴を眺めて満足してから、鶴の羽の部分を口に含む。
口に含んだ飴は当然のごとく甘い。飴の甘さが口の中に広がるのを楽しみながら、道行く人を眺めた。
親と一緒に着ている人や恋人同士の人。
兄弟や姉妹。大人や子ども。皆、嬉しそうな楽しそうな顔をしていた。
その顔を見ていると自分も嬉しくなってくる。
もぐもぐ、と口に含んだ飴を咀嚼しながら、今度は神社の方向に視線を向ける。
古い神社の周りに取り付けられた赤い提灯は、遠くから見ると人魂に見えてくるから不思議だ。
昔教えて貰ったこの村の歌が頭をよぎる。
御祖母が歌ってくれたそれは、今でも簡単に思い出せた。
意味を知らないその歌の記憶は、随分懐かしい思い出だった。
「御祖母は物知りだったからな」
そんな昔のことを思い出して笑う。
最近、忙しくてめったに会えないから拗ねているかもしれない。
「たまには、顔出しに行かないと」
何を買って行ったら喜ぶかなと考えながら、神社に向けていた視線を近くにあった出店に向けた時、目の前を誰かが走り過ぎた。
急いでいるように走り過ぎて行った人影を自然と目で追ってしまう。
走り過ぎて行った人影は狐のお面を付けた幼い少年だった。
瞬きをしている間にその少年は人混みに隠れて、いなくなる。
いつの間にか、飴を片手に走り出していた。
知り合いに走り過ぎて行った少年のような歳の知り合いはいない。
だけど、どうしてか追いかけないといけない気がした。
どこに行ったのか分からない少年の後を追い、走り続ける。
走って、走って、走り続けて、神社の鳥居を潜り抜けて漸く足を止めた。
乱れた息を整えながら、此方をじっと見ている狐のお面の少年を見る。
しばらくお互い見詰め合っていた。先に口を開いたのは少年の方だった。
少年はこてりと首を傾げてから、不思議そうに言った。
「お兄さん、だあれ?」
その問いかけにどう答えていいのか分からず、あ、とかう、とかのような単語が無意識のうちに漏れる。
「お兄さん?」
狐のお面を付けた少年は不思議そうに呟きながら、一歩此方に歩み寄ってきた。
その行動に思わず、体を後ろに引く。
慌てて少年を見るが、少年の顔を見ることができないことに気づき、意味のない行為だったことに遅れて気づいた。
少年がどう思っているのか分からず、不安に思いながら、漸く口を開く。
「……その、えーとさ。それ、どこで手に入れたの?」
「それ? ってこれ?」
少年は身に付けている狐のお面を指差して、確認するような声音で言った。
その言葉に首を横に振る。
「……それじゃない」
「これじゃないなら、何のことを言ってるの?」
否定されるとは思っていなかったのか、本当に分からないというような口調で少年は聞いてくる。
その少年の態度のせいか、また意味のない単語が口から漏れた。
だけど、少年は黙ったまま答えを待っているから、誤魔化すこともできない。
「あの、その、それだよ」
「それじゃあ、分からないよ」
「…………その、手に持っている赤い巾着」
正直に言って相手の反応を窺う。
少年は赤い巾着を見てから、此方を見て、そして空を仰ぎ見た。
どうして、そんな行動をとったのか分からず、焦る。
だけど、こんな時に限って言葉は何も出てくれなかった。
「この赤い巾着が気になるの。それはどうして?」
空を見ながら少年は問いかける。
何かを我慢するような声音に、いらないことを聞いてしまったのかとまた焦った。
「鼻がいいから。多分、それで。最初は分からなかったけど。その巾着ってわけじゃなくて、嫌、多分それだけど。血の臭いが」
しどろもどろになりながらも答える。
何を言っているのか分からない単語の羅列を聞きながら、少年は笑った。
「ふふ、ふふふ。お兄さん、焦りすぎだよ。でも、そんなにこれが気になるのなら見る?」
少年は勢いよく顔を真正面に戻し、赤い巾着の紐を小さな手でつかみながら、此方に差し出した。
その中身が気になっていたため、躊躇いながらも手を伸ばしてそれを受け取る。
その時、初めて食べかけの飴をどこかに落としていたことに気づいた。
「中身は、おっかあのお土産だよ」
受け取った赤い巾着はずっしりとした重みがあった。
観察するように見てから、恐る恐る巾着の口に手をかけて開く。
中に入っていたのは、白くて丸いものだった。
想像していたものが入っていなかったことに安堵して、ほっと息を吐く。
「おっかあは、大層それがお気に入りだから」
くすくす、と笑いながら言う少年の言葉に疑っていた自分を恥じた。
「そうなんだ」
家族思いのいい子なのだと、心が温かくなる。
さっきまでの、焦りも落ち着いて返事ができた。
「おっかあは、異人さんが大嫌いなのにこれは好きだって言う」
くすくす、くすくす、笑う少年は母親を思い出しているのだろうか。
その声音は、優しげなものだった。
家族思いのいい子に意味の分からない疑いをかけて、声をかけたことを後悔する。
人より少し、鼻がいいくらいだから間違えて声をかけてしまったのだろう。
そう思った。そう思い込んだ。心の片隅で疑問の声を上げているのに、蓋をして少年に笑いかける。
「これ、返すね」
巾着の紐を指でつまみ、少年に差し出す。
少年は、両手を前に出して大事そうに受け取った。
その様子をほほえましく思う。
少年の元に戻った赤い巾着は、自分の手元に合ったときより鮮やかな色をしている気がした。
「……お兄さんにも、あげようか?」
赤い巾着をじっと見ていたから、勘違いしたのか少年がそう言った。
その言葉に首を横に振ろうとしたが、少年は返事を聞かずに、赤い巾着に手をいれ、白く丸いものを手につかんで此方に差し出した。
「はい、どうぞ」
それを受け取るか迷う。
少年は、聞こえてなかったと思ったのか、先ほどより大きな声で、同じ言葉を繰り返した。
「はい、どうぞ」
受け取るまで、何回でも言いそうな少年に負けて、それを受け取る。
固い感触だと思っていたそれは、ぶよぶよと柔らかった。
その感触に、受け取ったそれを地面に落としてしまう。
地面に落ちたそれは、転がって少年の足元まで戻る。
「お兄さん、駄目だよ。勿体ないでしょ」
少年は、しゃがんでそれを拾い上げ、また此方に差し出した。
薄気味悪くて、一歩、足を後ろに引いた。
「お兄さん?」
不思議そうに聞いてくる少年に反射的に笑みを浮かべる。
笑ってないと誤魔化せない気がした。
それほど恐怖を感じる。
いったい、何に。
「ごめんね? 手が滑って」
引きつった笑顔のまま、それをもう一度受け取る。
白くて丸いそれが恨みがましく此方を見ているような気がした。
「気をつけてね」
少年はそう言って、笑った。
「力を入れたらすぐに潰れちゃうものなのだから」
その言葉に、またそれを落としそうになったが、今度はしっかりとそれをつまむ。
気持ち悪い感触が手から伝わってきて吐きそうだった。
そんな様子を見ていた狐のお面が「阿呆」と俺を嘲笑ったような気がした。




