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05

 あれから、四年。


紫の花が完全に開花した状態になった梓は十四になった。


相変わらず人と話すのが苦手なようで、病室の中に引きこもっているらしい。


あの出会いから、時々、梓の病室に訪ねる機会があった。


そのたびに左目の方に視線を向けてしまい、病気の進行を見てしまうのはもう癖だった。


「梓、いる?」


 今日も少し、用事があって彼の病室を訪ねることになった。


声をかけてから少し沈黙があり、中から返事が返ってくる。


「……はい、います」


その声は昔の声とは違い、少し低い。


声変わりが始まっているとは聞いていたが、長い間、会っていなかったせいか、その変化に驚く。


いつまでも、イメージが十歳で固定されているから違和感を覚えるのだろうと分かっている。


だが、十歳の時に会う機会が多かったから仕方がない。


「入るよ」


中にいると分かったので、声をかけてから病室の扉を開ける。


扉を開けて、最初に視界に入ったのはベッドの上で布団を頭まで被っている梓の姿だった。


その姿はやっぱり昔と変わらない。


「誰かが来るたびに布団に隠れるのは止めなよ、梓」


笑いながら梓に近づく。


少ししてから梓は布団から顔を出して、此方を見て言った。


「そんなこと、言われても……」


その時、たまたま視線が合ったがすぐに視線を逸らされる。


漸く、視線が合うようになった秋とは違い、俺はまだ梓と視線が合わない。


偶然、視線が合っても逸らされるのが常だった。


「……今日は、どういった理由で来たんですか」


その行動を誤魔化すように、梓が聞いてきた。

その問いかけに俺は梓の左目を指差す。


その行動に梓はびくついたが、それを無視して言葉を続けた。


「痛み止め注射、打たないって聞いたけど、どうして?」


 紫の花が開花してから、まだ二週間しか時間がたっていない。


だが、それでも目からくる痛みは想像を絶するものだとは分かる。


痛みのせいで眠ることもできず、右目の下にくっきり隈ができているのに気づかないわけがない。


梓は布団に顔を埋めそうになって、今の状況を思い出して途中で止める。


花を潰したら、どうなるのか聞いたのだろう。


その様子を見つめながら梓の返事を待つ。


俺が話題を変えないことが分かったのか、梓は小さな声で答えた。


「……痛み止め注射、嫌い」


その答えは予想していた通りで、つい笑いそうになる。


梓は人とかかわることが少ない分、素直に口を出してくれるから嬉しい。


「紫の花咲病の子は、ほとんど痛み止め注射を嫌がるから、責めているわけじゃないよ。聞いたのも、秋が言っていたから気になっただけだしね」


あくまで、気になったから聞いたということを主張しながら、ベッドの近くの椅子を引っ張り出して座る。


「本当に?」


梓は、少し心配そうに聞きながら此方を窺っている。


それでも、視線が合わないのは梓の意地なのかな。


そんなことを思っているとは知らず、梓はじっと此方を黙って見ていた。


その様子は子どもが怒られるのを待っているみたいにも見えて、何もしていないのに罪悪感が芽生える。


そのせいか、いつもは言わない言葉を誤魔化すように言ってしまった。


「本当だよ。痛め止め注射は、症状が悪化する可能性の高い治療法だって言われているから、打って欲しくないって言うのも分かるしね」


梓は俺の言葉を聞き、「そうなんですか」と言って、説明して欲しそうに視線を向けてくる。


目は口ほどに物を言うという言葉は梓にぴったりだなと思いながら、分かりやすい言葉を捜しながら言葉を紡ぐ。


「痛みは、生きていくうえで重要なメッセージだってことは分かるよね?」


その言葉に、梓は黙って頷く。


「じゃあ、恐怖も重要なメッセージだってことは分かる?」


次の問いかけに答えるのは、少しだけ時間がかかった。


恐怖も痛みも同じだとは普段考えないのだろう。


「その二つが、全く感じなかったらどうなると思う?」


その問いかけに梓は何も答えられなかった。


想像しようとしても想像できなかったのだろう。


「危険が分からない、赤ちゃんと同じ状態だと言ったら分かるかな?」


その梓のために、例えを言ってみる。


梓は赤ちゃんを思い浮かべてから、こくりと頷いた。


本当に分かっているのか判断に困る。


なので、もう一つ例を出してみた。


「例えば、カッターナイフを使っている時に自分の手を深く刺してしまうけど、痛みがないから笑っているかも知れない。恐怖を感じないなら、車の前に簡単に飛び出す可能性もある」


そんな自分を想像して、梓は顔を青ざめてから、勢いよく首を横に振る。


その様子を笑ってから言葉を続ける。


「生きてく上で、痛みや恐怖が重要だって言うのは分かったでしょ? それに痛みは体に異常を訴える大切なサインなんだよ」


縦に首を勢いよく振りながら、梓は自身の体を抱きしめる。


その行動の意図は自分に痛みや恐怖があって良かっただと考えるが、どうなんだろう。


「痛み止め注射は、その重要なメッセージを無くしてしまうんだ」


梓は何度か、体験した感覚を思い出しながら頷いた。


さっきから頷いてばかりな梓の様子にまた笑ってしまった。


「痛み止め注射によって、痛みが感じなくなっているから、どんな危険な状態になっても全く分からない。だから、無理をして取り返しが付かない状態になる。だけど痛みが分からないから、また無理をする。そして再起不能となることだってあるんだ」


 俺の説明をおとなしく聞いていた梓は、納得したように頷いた。


「症状が悪化する可能性が高い治療法だってことが、知れてよかったです」


頷きながら、少し笑う梓に俺も笑いかける。


何故か、梓の笑みを見ていると意味もなく、悪戯してしまいたくなるから不思議だ。


少しの間、二人して意味もなく笑いあってから、本題に入ることにした。


「確かに、痛み止め注射は、悪化する可能性が高い治療法だけど、梓の場合は、一時的に激痛が治まっても、痛み止め注射の効力が切れれば、また激痛に襲われることが嫌で、痛み止め注射を打ちたくないんだろ?」


俺の言葉に、梓は動揺して視線をあちらこちらに彷徨わせてから、黙った。


さっさと、本題に入らなかったのは動揺する梓を見たかったからかもしれない、と心の中で思うほど、梓は見ていて笑いそうになるくらい動揺していた。


そんな梓の様子を知らぬ振りして、言葉を続ける。


「最初は、眼球にそのまま注射されるって考えて怯えて、次は痛みいつくるか分からないことに怯えるって、普通のことだから安心しなよ。大体の紫の花咲病患者がそう言うらしいから。注射そのものが嫌な患者もいるけど、今の状態で飲み薬は吐く可能性の方が高いから駄目なんだ。梓も注射ぐらいで怯える年齢じゃないだろ?」


俺の言葉を聞きながら、梓は自分を納得させようと頑張ったのだろう。


何度か、小さく何かを呟いてから、こくりと頷いた。


俺は梓が一応でも納得してくれたのを確認してから言うように頼まれた言葉を伝える。


「その痛みは、一生だし、治療する術も今のところない。だから、痛みに怯えることを止めろとは言わない。だけど、我慢して自分を追い詰めることは止めたほうがいいよ。梓君が辛いだけだから」


 その言葉に、梓はゆっくりとした動作で頷いた。


頬が緩んで、だらしない顔になるのを必死に我慢しようとしている梓の表情に安心する。


痛みを我慢している表情より、子どもっぽい表情の方が彼らしい。


そんな彼に俺からの言葉も一緒に贈ることにした。


「痛みを我慢するより、痛いって思い切り叫べばいい。子どもなんだから」


 その後、一言二言、会話をしてから病室を出ると、いつから聞いていたのか秋が中から見えないような位置で立っていたのに気づいた。


わざわざ確認しに来るのなら、自分で言えば良かったのにと思ったのは内緒だ。


梓の病室から離れてから、秋とも少しだけ話した。


その内容はやっぱり患者のことが大半だった。


その会話の中で、秋が何気なく言った言葉が酷く記憶に残っている。


「紫の花咲病は可哀相だね」


どうしてそう思うのかと聞いても、笑って誤魔化されたが、あの言葉は多分、命の危険がないのに痛みだけ感じる彼らを哀れんだ言葉だったのだろう。


体を引き裂かれるような痛みを、俺は経験したことがないが、死なないでその痛みを受け入れ続けるのは無理だろうことは分かる。


紫の花咲病患者は、そんな酷い激痛みと死ぬまで一緒なのだ。


そのことを考えると、一刻も早く治療法を与えてやりたいと思った。


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