君とクリスマス。
クリスマスで番外編、ヒロ目線です。時系列は、隼人とヒロが一緒に暮らし始めた年の十二月。
小さな星が落ちてくる。
見上げた空にうっすらと見える星たちが、雪に姿を変えて落ちてくるように見えた。待ち合わせの時間より少し早く着いていたという隼人の髪と肩を白く染めている。
街はイルミネーションに包まれ、木々を彩る光の粒たちが瞼を閉じていても見えてしまいそうな程きらきらと光る。赤、青、緑に、白。浮かれ歩く人々の間を縫うように聞こえてくるクリスマスソングたちが、否が応にもクリスマス気分を高めた。
手を取り腕を組み歩く恋人たちが、妙に恨めしく感じてしまう。僕だって、隼人と手を繋いで歩きたい。
だけどこの道を選んだのは僕らだ。だから僕も隼人も、コートのポケットのなかで自分の手をぐっと握って、笑う。それでもきっと、心は暖かい。
「遅れて済まなかった。道が込んでてな」
大きなツリーの下、普段はクローゼットの奥に仕舞いこんである少し上等なコートを着込んだ父が現れた。
今年のクリスマスは家族で過ごしてはどうかと提案したのは、美奈子さんだった。家族でと言うなら美奈子さんも、と主張した隼人に、彼女は首を横に振った。
今年くらいね。今年くらい、三人で過ごしてみてはどうかしら。彼女はそう言って、少しだけ嬉しそうに笑った。
この歳になって父を囲んでクリスマスなんて、と思ったけれど、隼人がどことなく嬉しそうにしていたから黙っておいた。
僕はアメリカにいた頃、クリスマスは母と父と三人で過ごした。ということは、必然的に隼人は涼子さんとふたりきりのクリスマスを過ごしていたということになる。
胸の奥が、痛む。僕がいたから。母が父の反対を押し切って僕を産むことを決めたから、隼人は寂しい思いをすることになってしまった。
申し訳ない気持ちを隠して笑ってみせたら、隼人は僕の髪を撫でて、そんな顔するな、と眉を下げた。僕はいつから作り笑いが下手になってしまったんだろう。
あの頃は、僕の幸せと隼人の幸せがかさなることは決してなかったんだ。
「何だよそのコート。美奈子さんが選んだの」
「いいだろう。貸してやってもいいぞ」
「そんな歳じゃねえよ」
隼人と父の会話はどこか、余所余所しい。それは以前一緒に暮らしていた時も少し感じていた事だったけれど、やっぱり親子とはいえ離れている時間が長かったせいなんだろうか。軽口を叩いているように見えるけれど、お互いが距離を測っているようにも見える。考えすぎかもしれないけれど。
「美奈子が店を予約してくれているらしい。ええと……ああ、そこに見える、ほら」
「……えらくきらっきらした店だな。カップルだらけじゃねえの?」
「クリスマスなんかどこへ行ったってそんなものだ。ヒロ、そんな薄着で寒くないのか」
「大丈夫だよ。中にめちゃくちゃ着込んでるから」
朝、家を出るとき隼人にも薄着を指摘された。いちど部屋に引っ込んだ隼人は、妙に分厚いシャツを二枚も三枚も僕に差し出した。お陰で電車の中で上着を脱ぐ羽目になった。満員電車のなかで上着を脱ぎ着するのは迷惑になるから避けたかったけれど、仕方ない。
隼人は僕の言葉に大きな声で笑って、それもそうだ、と僕の肩を叩いた。叩いたあと、少しの間そこにあった手のひら。本当はもっとくっついていたいんだと、そう聞こえたようで何だか照れくさかった。
「コース予約してんの? ワインでも頼むか、ヒロ」
「飲んでいいの? じゃ、赤ね」
「親父も飲めよ。俺、車だから」
朝あれだけ電車で来るように言っておいたのに。はいはい、なんて適当な返事を返していたけれど、やっぱりそういうつもりだったのか。少しだけ睨んでみせたら、隼人は眉を下げて肩を竦めた。そういう訳にはいかないよ。そう言っているように見えた。
「うわ、うめぇ。なにこれ、めっちゃうめぇ。ヒロ、食え」
「食べてるよ。同じものあるからいいって。隼人食べなよ」
美奈子さん情報によればここは多国籍料理を出すお店で、彼女の友人たちの間でも評判がいいらしい。話に違わずどの料理も謎の美味しさで、どんな調味料を使っているのかさっぱりわからなかったけれど美味しかった。隼人は美味しいと思ったものは躊躇いもせず僕に薦めて皿に乗せてしまう。そんなことばかりしていたら僕は百貫デブになってしまいそうだ。
「隼人……。自分のぶんは自分で食べなさい。ヒロのぶんはちゃんとあるんだから」
「あー、そっか。あ、これヒロ好きだろ。食え」
「人の話を……お前はほんとに馬鹿なんだな」
ワインを吹き出しそうになって、なんとか堪えた。
美奈子さんが予約しておいてくれた席は二階の個室で、一階のホールはやけにひらひらした服を身に纏った女性たちと、背伸びしたスーツを着込んだ若い男性たちで賑わっていた。所謂合コンというやつが開かれているらしい。その割にはこの個室までは声が届かない。しっかりした造りの建物なんだろう。
「ヒロ、悪いことは言わないぞ。今ならまだ引き返せる。この馬鹿なんかが相手でいいのか」
「いいよ。退屈しない」
「あのさあ……。俺は俺なりに日々頭を使ってだなあ」
不満気にそう漏らした隼人を、父は半笑いの顔で見上げる。隼人は不貞腐れた顔で父を見下ろし、ふん、と鼻息を吐いた。
個室には小さな窓がついていて、イルミネーションに彩られた通りが見下ろせた。木の窓枠に縁取られた可愛らしいデザインの窓に、平べったい雪が張り付いては溶ける。通りに流れるクリスマスソングが微かに聞こえて、時々意識をそっちに持っていかれそうになった。
「お腹いっぱい。これ、家じゃ再現できないなあ」
「無理だな。食べたかったらまた来ればいいよ。美奈子さんセンスあるなあ、いい店知ってる」
「あいつは独身時代が長かったからな。日本全国うまいものを食べ歩いたと言っていた」
美奈子さんは妙に料理がうまい。何だか食べたことのないようなものを出されてもたいてい美味しいから、最近では美奈子さんの顔を見ただけでお腹がすいてしまう気がする。父にそう言ったら、料理を教えてもらって隼人に作ってやればいいと言われた。だけど僕にはあまり料理のセンスはない。
子供の頃は僕のほうがうまかったはずなのに今は隼人のほうが器用に何でも作ってしまうから、あの食卓で僕の出番は極端に少ない。簡単な朝食を作ったりはするけれど。
「食べ歩いたら料理上手になるのかな……。いや、そんなことはないと思う」
「なに自問自答してんだよ。俺が作ってやるからいいんだよ、ヒロは黙って食ってろ」
「お前は本当にヒロに甘いな。少しは鍛えてやれ」
「隼人の教え方って大雑把だから覚えられないんだよ。塩はバーっと、砂糖はざざっと!」
「……そんな教え方したかな。まあ料理ってのはつまり愛情だからな。俺は愛情のかたまりなの。だから美味いの」
そう言って隼人は得意気に鼻を鳴らす。父は呆れ顔で頬杖をついて、食べ上げたデザートの皿を端に寄せた。
「お前たちどうなんだ、その、うまくやれてるのか」
「まあね。ちゃんと生活してるし、不満はないよ」
正直に答えたら、父は僕を見下ろし短いため息を吐いた。そのたった一度のため息にいろんな物が含まれている気がして、一瞬、沈黙が訪れる。だけど次の瞬間隼人がへらっと笑って、仲良くやってるよ、と答えた。父は笑って、だったらいいんだ、と頷いた。
食事を終えて店の外に出るともう降っていた雪は止んで、うっすらと白いベールをかぶせたような石畳が見えた。大小様々な足跡が黒く残って、白い息が肩先で纏わりつくように揺れる。きんと冷えた空気で鼻先が少し、痛い。
「隼人……、ヒロも。ちょっと付き合え」
ごちそうさまでした、とわざと仰々しく頭を下げた僕らに、父は呆れ顔をもとに戻しながら手招きした。隼人と顔を見合わせて、先を歩き出した父に大人しくついて行く。隣を歩く隼人を見上げたらマフラーに半分埋めた顔があまり見えなかったけれど、何だか妙に嬉しそうに見えた。ほんの少し肩先を触れ合わせたら、なんだよ、と笑った。
辿り着いたのは、閉店間際の大きなデパートだった。入り口で父は隼人を見上げると、少し躊躇った後ゆっくりと口を開いた。
「お前たちに、なにか買ってやろうと思ってな。クリスマスプレゼントだ」
「ええっ。いいの? じゃあ僕すんごく高いやつ選んでいい?」
「……少しは遠慮してくれ。隼人、なにか欲しいものはあるか」
一歩踏み出した僕と父のうしろで、隼人は立ち止まったまま父の後ろ姿を見つめていた。その腕を掴んで店に引き入れたら隼人はマフラーを外して、妙に照れたような顔をして目を逸らした。
「俺、車が欲しいな」
「帰れ」
「じゃあパソコン」
「口を縫われたいか」
「……じゃあ、親父決めてよ」
「……どうしてだ。お前は俺が選んだものは欲しくないんじゃなかったのか」
「……根に持ってんだ。プレゼント断ったこと」
「当たり前だ、ばか」
父は眉を顰めて、何だか不貞腐れたような顔をする。隼人はそんな父を見て笑って、悪気はなかったんだよ、と眉を下げた。
結局僕は履き心地のいいブーツを、隼人は暖かそうなコートをそれぞれ買ってもらって店を出た。閉店の合図らしいメロディが流れる中、店員にそれとなく急かされながらああでもないこうでもないと大騒ぎして、結局隼人はコートを自分で選んでいた。選んだものを包んでもらっているあいだ、隼人は少し俯いてなにかをじっと考えているようだった。父から包みを手渡されたとき、ちいさな子どもみたいにあどけない顔で笑った。
「親父」
父と美奈子さんの暮らすマンションの下に着いた時、エントランスに立った父を隼人が呼び止めた。鍵を取り出しパネルに差し込もうとしていた父は振り返り、なんだ、と隼人を見上げる。
「……プレゼント、ありがとう。俺、その……なんかめちゃくちゃ、嬉しかった」
すん、と鼻を啜ったのが、寒さのせいなのか泣いていたせいなのかわからなかったけれど。父は隼人を見上げ、また飲みに来い、とだけ言って中に入って行った。
「……隼人。ごめんね」
車を停めた公園の前まで、少し歩く。外灯に照らされたブランコの前で立ち止まった僕を、隼人は振り返って見下ろした。
他に言いたいことがあったはずなのに、僕の口から出てきたのは謝罪の言葉だった。自分でも驚いて、息を飲み込む。今謝ったって、どうしようもないことなのに。
隼人は眉を顰め、首を傾げる。少しの間黙り込んで、呆れたように口を曲げて僕を見下ろした。
「謝るな。また言ったら殴るぞ」
「でも、僕がいたからお父さんは」
僕がいたから父は日本に帰らなかった。僕と母と、三人で過ごすためにクリスマスは日本に帰らなかったんだ。僕はいつしかそれを知っていたけれど、なにを言うこともできなかった。
「ヒロ、黙れって」
「引っ掛かってたんだよ、ずっと。今更謝ったってどうしようもないことくらいわかってる。だけどずっと、なんか、棘みたいなものが刺さってどうしようもなくて、だから」
小さな棘はいつまでたっても胸の奥に引っ掛かって抜けなくて、忘れようとしても思い出す度にその痛みは増して。だから今口に出してしまわないと後悔すると思った。だからって言葉にしたところでどうしようもないけれど。
「殴るなら殴ればいい。殴れよ。だけど言わせて。僕がいたから隼人はたくさん辛い思いをしたし、色々痛かったんだよ。謝らせてよ。そうしなきゃ気がすまない」
「ヒロ、頼むからもうやめろ」
「ごめん、隼人。お母さんが、僕が、隼人と涼子さんを苦しめて、ごめんなさい」
そうだ僕は、ずっとこうして隼人に謝りたかったんだ。それはきっと隼人のためじゃない。自分が胸の奥に隠した痛みを我慢できなくて、吐き出してしまいたかったんだ。僕は自分勝手だ。
「なあ、ヒロ」
肩で息をする僕を、隼人は静かな白い息を吐きながら見下ろす。それから僕の手を取って、片手でブランコの雪を払って座らせた。きい、と、金属の錆びた音が響く。
僕の前に立った隼人の表情は思いの外柔らかくて、口元には笑みさえ湛えている。どうして今、こんな顔をするんだ。
「俺は二人きりのクリスマスだって、寂しかった訳じゃないよ」
「……でも」
「二人きりだったけど、母さんはそれでも一生懸命俺が寂しくないようにしてくれたんだ」
小さなケーキにろうそくをたてて。楽しそうに笑いながら小さな隼人におどけてみせる涼子さんが目に浮かんだ。二人きりの、それでも幸せなクリスマス。
「俺の寂しさを勝手に決めつけるんじゃねえよ」
「……ごめん」
「抜けない棘はいつでも俺が抜いてやる。だからひとりで抱え込むな。またぐちゃぐちゃ言ってたら、ほんとに殴るぞ」
そう言って隼人は、言葉の勢いとは反面にまたやわらかく笑う。小さな粉雪がまた空から落ちてきて、隼人の髪を滑るように転がり、地面に落ちた。
「それにきっと」
隼人は空を見上げ、少しの間目を閉じる。うすい瞼に、花びらみたいな雪が落ちて溶けた。
「沙智さんだってきっと、痛かったんだ。だけどお前に後悔した顔なんか見せなかっただろ。その努力を無駄にするんじゃねえよ」
また開けた目に、外灯の光がうつって揺れる。ゆっくりと視線を下ろした隼人の黒目の中、情けない顔をした僕がふたつ、並んだ。
母も、痛かった。家族を日本に残してきた後悔を抱えた父に、帰らなくていいのかと尋ねたことはあったんだろうか。聞きたくても、怖くて聞けなかったんじゃないだろうか。いつか帰ってしまうことは解っていたから。それでもそんな不安を僕には見せずに、気丈に笑っていた。
それはきっと母の精一杯の強がりだったんだろうし、僕への優しさでもあったんだ。
「母さんも、沙智さんも。強い人だな」
僕らの笑顔を守るために、なんでもないよと笑ってみせる。心の奥に隠した傷はいつか、癒されることがあったんだろうか。
「女の人は強いね」
「そうだな。俺たち、弱いから一緒にいないとな。弱い奴の特権だろ」
「身を寄せあってね。寒いからもっとくっつこうか」
「そうだな。家に帰ってからゆっくりじっくり……」
「ふふ。じゃあ、帰ろうか」
「うん、帰ろう」
隼人はすこし身を屈めて、僕の頬を殴る代わりにその手の平でそっと撫でた。暖かな体温が伝わる。目を閉じたら、やわらかな唇が重なった。
触れ合った唇が暖かくて、小さな棘が胸のあたりでゆっくりと溶けていくのを感じた。
空から次から次へと落ちてくる冷たくやわらかな雪の花。まだほんの少し痛みを残すクリスマスの思い出をそっと包んで、いつか大切な人の笑顔を守ってくれますように。そう願いを込めて、隼人の暖かな手を取り立ち上がった。
隼人はまた、やさしく笑う。
僕も、笑う。
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