第二章:蒼穹の国、その姿
突然現れ、一瞬で荒鷲を一掃してくれた騎士。目の前で緋尊を名乗った女性。それは紛れもなく、自分が尊敬している、同じ学校にいる先輩だった。
その真実を知り、聖良はそのまま身動きがとれなかった。
「どうかなさいました? 星来様」
何も、と言ったきり聖良は二の句が継げない。何か言おうと口を動かしても声にならない。
それを七緒は友達のことを心配していると受け止めた。
「安心して。荒鷲の事は私が『なかったこと』として処理したから。聖良の友達に影響は全く出てないよ」
「本当、です、か? よかっ……」
安心しきったせいか、全身の力が突如抜け、聖良の足元がふらついた。七緒はつかさず支えてやる。
「聖良!? ……そっか。安心したんだね」
「無理もないよ」
近付いて来たのは、仁史。
仁史は優しい顔で、目を閉じている聖良を見つめる。
「逃げようとした荒鷲は仕留めたよ。新堂は僕の静止を振りきって、友達や巽が無事か見に行こうとしてたんだから」
「そう、なんだ。心配してくれたんだね」
気を失ったか眠ったかどっちかの状態の聖良の頭を軽く撫でる。
「……でも、心配してくれなくて良かったのに」
その手の動きを、ぴたりと止めた。
「もう、私を心配するがゆえにいなくなるなんて、嫌だから」
「……巽?」
七緒は聖良を支えている手と逆の手の袖で目を擦る。
「まだ心配されるのは嫌なんだ?」
一つ思い当たる節があったので、仁史はそれに関連して訊ねる。
「嫌ってわけじゃない。心配される有り難さより、いなくなる恐怖の方がはるかに大きいから」
七緒は弱気な目をした。―この目の意味を知っているのは、あの時も一緒に出陣したあの人しかいない。
――六年前の“全面戦争”で、何があったのか。
「そうだ。朱夏はこれからどうするの?」
「五帝たる者が護る世界を長く空けていられるかえ。事は済んだ。私は戻る」
そう、と七緒が頷く。
「蒼氷は主がここにいるからまだ戻りたくないならそれでいい、って言いたいとこだけど、聖良は一応再覚醒しているから勾玉、持ってきてもらえるかな」
「致しましょう」
「高天原組はこれでよし、と。後は……」
七緒は聖良の体を仁史に預けた。
「私達の寮で休ませてあげて。空き部屋はたくさんあるんだから」
「え!? いや、ちょっと……」
「私は緋炎と軽く周辺を見回りがてら夏の合同合宿の資料を取りに行くから」
「それじゃ仕方ないか。わかった。新堂のことは任せといて」
七緒は緋炎に騎乗すると緋炎の蹄を火が取り巻き、空を翔けて行った。
「ん……」
聖良が気が付くと、見慣れぬ部屋にいた。
(また高天原だったら笑えるなぁ……)
窓の景色を覗くと、部屋に引き替え見慣れた景色、明華学園があった。それを見ると再び高天原に戻されたわけではないらしい。
「目、覚めた?」
仁史が本を持って部屋に入ってくると、カーペットの上に座った。
「えっと、その……」
「僕らの寮だよ。空き部屋だから心配しないで」
「先生にはバレないんですか? 見回りとかで……」
「ないない。使ってるのが生徒会しかいないから大丈夫だろ、て管理は僕らに任されてるんだ」
へぇ、と簡潔な返事をし、聖良はここに行き着く前の記憶を辿る。
まず、荒鷲が現れた。七緒先輩が高天原の人、且つ四天士の一人、緋尊だった。その瞬間、嬉しいような気持ちがしたが、同時に裏切られた悲しさがあった。そこで、だんだん意識と記憶が薄れ、思い出せない。とりあえず、外にいたことは間違いなかったと思う。
「誰が運んでくれたんですか?」
「僕だよ。巽はその後、敏希と航と合流して他の場所に荒鷲がいないか確認しに行ったから」
「そうですか……て、え? 西園寺先輩?」
「あ、いや、あの、僕は普通に……つかあれ、普通って言うのかな……じゃなくて、とにかく新堂を運んだだけで……」
「いえ。西園寺先輩達も高天原の?」
顔が紅潮しかけていた仁史は安堵の息をつくと、説明を始める。
「そう。僕らは巽国三軍の将軍。巽、即ち綜蓮は三軍の総将軍。あんな大規模じゃないけど、稀に中つ国に魔物が迷いこむことがあるんだ。それを僕らのような“派遣員”は魔物を討滅し、“なかったこと”として処理する。それが仕事」
「派遣員?」
「あー……。その説明嫌いなんだけど、ま、いっか」
仁史は持ったままだった本を床に置いた。
「派遣員ってのは、五歳までに三途門を通った人達のこと」
「三途門って何ですか?」
「簡単に言っちゃうと、中つ国での肉体を手にいれる為に通る門。通ると魂の根元は同じだけど、中つ国で生まれ変わることが出来る。十歳前後になると自分が高天原の人間である事に気付き始める。これを世醒って言うんだ。ここまではいい?」
「あ、はい。なんとか」
「じゃ、続けるよ。完全に世醒すると、自分が住むとこから一番近い高天原の入り口を見付け、行き来するようになる中つ国の人には変哲もない場所が高天原の人にとっては入り口っていう重要な場所だったり」
「でも私が高天原の人間だとしたら、世醒がありませんでした」
仁史は顎に手を当てて、んー、と考える仕草をする。
「よくわからないけど、下手に、例えば無理矢理通ると世醒しないって聞いたことがある。それじゃないかな。ちなみに世醒する時、すごく混乱する人がいるんだ。そういう人は自ら命を絶つ人もいるね。でも派遣員は給料が普通の軍人より倍近くだから、志望者は後を絶たない」
仁史が一通り説明を終えると、ドアをノックする音が聞こえた。それに続く、蒼氷の声。
「斗暉殿。蓮殿がお呼びですが」
「わかった。今から行く」
「斗暉?」
「うん。高天原では姜斗暉、って言うんだ。さ、巽のとこに行こう。遅いと怒るから」
仁史は立ち上がり、聖良もベッドから下りて鏡で髪が乱れていないか確認する。
「七緒先輩は怒ると怖いんですか?」
「うん。表情には出ないけど釀すオーラが怖い」
仁史はにっこり笑った。
聖良が部屋から出てまず寮の印象で思ったのは……
(ホテルみたい)
室内の廊下にいくつかのドアが並んでいる。仁史が二、三階が部屋の階で一部屋は1LK、それが一つの階につき九つある、と教えてくれた。
一階は、まさしく広いリビングだった。仁史に聞いたところ談話室らしいが。キッチンにテーブルやテレビなど、くつろげそうな場所。そこで七緒は書類を広げていた。七緒は聖良に気付き、顔を上げる。
「西園寺、ありがとう。だいぶ時間を犠牲にしちゃってごめん」
「巽も生徒会引き継ぎに向けて仕事が多いんでしょ? いいって。じゃ、僕ちょっと出掛けてくる」
「もう七時過ぎだけど。いっか。夕食までにはちゃんと戻ってよね」
仁史が出掛けて行くと、七緒は聖良と蒼氷を向かい側の席に座らせた。
「そういえば、朱夏から高天原の世界のことは聞いた?」
「何も……。でも、あの、教えていただけませんか。高天原の世界を」
そんなことを知っても、何にもならないと今でも信じている。それでも、知りたかった。先輩達が生きるという、もう一つの世界を。
七緒は真剣な表情になり、答えた。
「いいよ。でもまだ自分が認めたわけじゃないでしょ。自分が高天原の人間だって」
核心を突かれ、返す言葉が思い浮かばない。
「顔は隠してるようだけど、目に表れてるよ。じゃ、まず高天原の地形から」
七緒は紙の中心に八つの角がある星を描き、その先端の上に八つ、花が開いたように翼や涙型のような形を描いた。
「これが高天原。九つの島があるけど国は八つ。地球のように丸いかはわからない。この中心の島は実質五帝のトップの黄帝の居住。中央に居城があって、周辺は守護獣の卵が住む」
「守護獣の卵?」
「黄帝は力で毎年何匹か守護獣を作り出し、特に卓越した能力を持つ者が守護獣となって八国に降りる。確か私の緋炎が蒼氷と同期。言わば双子の兄弟のようなもの。ね?」
七緒が蒼氷に視線をやると、蒼氷はこくりと頷いた。
「でも緋炎は私以外には冷たい。そこのとこ入れると蒼氷が羨ましいよ。で、各国の名前は、っと」
七緒は北を上に方位を書き込み、燃える炎のような形をした南の島を指差した。
「これが離国。朱夏の王宮がある」
次に片翼の形をした東南の島を指差す。
「ここが巽国。私が籍を置くのもここ」
次はジグザグの形をした東の島。
「震国。五帝の蒼帝、陽春の王宮がある」
次に三角形のような形をした北東の島。
「艮国。巨大な禍を封じ込める天の岩戸がある。こちらの神話にもあったよね」
次に雫の形をした北の島。
「坎国。玄帝、玄冬の王宮がある」
次に雲のような形をした北西の国。
「乾国。私も一度しか行ったことがないからよくわからないけど…」
次に中心に微かに穴が空き、バランスの悪いドーナツのような形をした西の島。
「兌国。白帝・白秋の王宮がある」
次に六角形の形をした南西の島。
「坤国。一応半分朱夏の支配下だから私も稀に遊びに行く。……っと。やっと説明終わった」
「質問いいですか?」
説明が相当疲れたらしく、七緒はコップの麦茶を飲みながら頷く。
「東西南北の国は五帝が治めるからまとまっていると思うんですが、五帝のいない艮、巽、坤、乾はどうなんですか?」
「太宰が治める。こちらでは総理大臣に当たる坎、震、離、兌は帝国制、艮、巽、坤、乾は共和国制と言ったほうがわかるかもね。あ、でも」
七緒は北東から南西に、北西から南東に対角線を引き、分かれた四つのうち、北を黒、東を青、南を赤に塗り、西は白いまま何も塗らなかった。
「一応共和国制のとこも黒は玄帝、青は蒼帝、赤は赤帝、白は白帝の支配下ってことになっている。なんて言えばいいのかな……そう。邪気とかから護るのが五帝。そういえば巽国の太宰は蒼尊の姉だよ」
聖良のことを蒼尊と認めない聖良の気持ちをめぐんでか、聖良の姉、とは言わなかった。
「とりあえず地形説明は終了。他に質問は?」
「……四天士、って……」
聖良の顔色が微かに変わった。
「常人の髪と瞳は持たず、常人ではない力は持つ人のこと。どうして生まれるのかは、私でもわからない。朱夏に訊いても黄帝しか知らないだろう、て言われる」
「どうして、四天士だけが怖い思いをしなきゃならないんですか」
「そうかな。魔物に襲われても逃げることしか出来ない人々よりはマシだと思うけど」
七緒はコップの麦茶を飲み干し、麦茶をペットボトルからついだ。
「……蒼氷から聞いたけど」
聖良は、はっと蒼氷の方を向いた。
「蒼尊の使命を背負うのは嫌か」
七緒が冷ややか且つ優しい目で聖良を見た。すると聖良は迷いなく言い放つ。
「嫌です! 私はただの高校生で、人間で……どうして私がそんな恐ろしい思いをしなきゃならないんですか!」
「星来様! しかし!」
「蒼氷。待て」
言葉を続けようとした蒼氷を七緒が止めた。軽い溜め息をついた後、再び口を開く。
「わかった。蒼尊の籍から除籍してもらうように黄帝に頼む」
「蓮殿!?」
同じ考えを持っていたと思っていた予想外の七緒の言葉に、蒼氷は目を見開いた。
「ただし。もう少しだけ考えて。私は……」
七緒が何か言いかけるとドアが開く音がした。
「……毎度やなタイミングで我が寮の主夫が帰ってきた」
「うっせ! 毎度ってなんだよ!」
声の主は航。確かに航の両手はスーパーの袋を持っていたので、なんとなくそれらしかった。
「今から仕事、てことはまず夕食は間に合わないだろうね。私の分は聖良にまわしてあげて」
「あいよ」
七緒は近くの棚から赤く黄色い糸の刺繍が入った短めの鉢巻きを取り出し、額に巻いた。
「それ、どうしたんですか?」
聖良の問いに、微笑みながら答える。
「気合いを引き締めるのに、ね」
七緒は寮から出ていった。その時蒼氷も立ち上がる。
「星来様。少々外出します」
「あ、うん……」
続いて蒼氷も出て言った。
「……蓮殿」
「蒼氷?」
七緒が振り返る。その横に麒の緋炎が立っている。
「先程蓮殿が星来様に仰ったことは……」
蒼氷の言葉に、緋炎が口出しする。
「わからぬか蒼氷。あんな弱気な蒼尊なぞ、いっそいない方がよかろう」
「黙れ緋炎。そう言う事を言っているわけじゃない」
七緒が怒鳴ると緋炎は謝罪の意で頭を下げた。
「では、なぜです? 貴方がた四天士の方に負担がかかる上に……」
蒼氷は間を置いて言葉を続ける。
「このままでは星来様が六年前の蓮殿と同じ経験をされてしまいます。蓮殿は自分と同じ思いをさせるのを何よりも嫌がられておられたのに……」
「そう。あんな目に合うのは私一人で十分。でもね」
七緒は緋炎の首を撫でた。
「聖良には“戦うこと”が辛いんだ。後輩に辛い思いをさせたくないのも本心。だからその分私が強くなって皆全てを守る。それでいいだろう」