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第一章:十六年の時間、各々の謎

 星来がいなくなったその日の昼頃、朱夏が言った通り、紺青色の長髪の男、蒼氷が大きな鳥に乗って飛来した。

 年は二十代半といったところだろう。水色の裾の長い、中つ国側の人にとっては古の中国官吏の着物に近い服を着ていた。

 そして彼はどれだけ主に仕えることを待ち望んでいただろう。早朝の件、即ち星来が行方不明になったことを蘭景から告げられると、ひどく落胆し、同時に紺青の髪は毛先から只人の証である黒に染まってしまった。そのせいか、蒼氷はもう一つの姿、龍の姿に変わることが不可能になってしまい、蒼帝・陽春の元に帰れなくなってしまった。

 それを哀れんだ蘭景は、新しく建てた家に住まわせてやることにした。



 ――十六年後。



 つまり、世界が蒼尊を失ってから十六年という長い歳月が過ぎた。


 一度火の海になってしまった田畑も息を吹きかえして草木は青々と茂り、村は完全に復興した。それでも、あの蒼い髪と蒼い瞳の少女が戻ってくることはなかった。

 そんなある日、希共の昼空にぽつんと光る、朱き星が現れた。他の星は太陽の光に隠れてしまって見えないのに、その星だけはまるで太陽が遠慮しているようにはっきり見え、それはどんどん近付き大きくなる。

 その正体は、この世に無二とない、炎を纏った朱い鳥、朱雀。同時に、赤帝の朱夏。

 朱雀姿の朱夏は一件の家の前で着地すると勢いよく更に発火し、瞬時に緋色の髪の女性の姿に変わった。朱夏は家の戸を開けると、家の中でなわをなっている五十代前後の女性に声をかけた。

「久しいのう。蘭景よ」

 蘭景は朱夏に気付き、縄を横に投げて慌てて平伏した。

「よい。顔をお上げ。変わりないか」

「はい。あれからこんな老いてしまいました。朱夏様はいいですね。老いもなく死もなく」

 朱夏は蘭景に家にあがるように勧める身振りをされたので、微笑しながら家にあがった。

「同時にそれは永遠の苦しみじゃ。さて、話なのじゃが。上の子……碧紗だったかえ。消息が掴めた」

 碧紗、と蘭景は目を見開いて小さく呟いた。その名前は一時も忘れたことはなかったが、口にするのはだいぶ久しぶりだった。

 朱夏は頷いて話を続ける。

「碧紗は生きておる。崖から落ちた後、まだ息があって、そこを豪商の家の主人が通りかかって保護したそうじゃ。驚くぞ。今では巽国の王宮で太宰を務めておる」

「まあ……太宰、だなんて」

 太宰は百官の長。人間が獲得できる地位の中では一番五帝に近い。

 この手でずっと我が子を育てたかった、と蘭景は思う。

 しかし豪商の主人に拾われなければ、こんな寂れた農家で一生を過ごしたのかもしれない。そう考えれば碧紗にとってそっちの方が幸せだっただろう。

緋尊ひのみことが見つけてくだすった。この人も探してもらえないか、と訊ねたらその名に聞き覚えがある、と言ってのう」

「そう、ですか。緋尊様にお礼を伝えてくださいませんか」

「もちろんじゃ。……それで、星来の方じゃが……」

 朱夏は一瞬にして、暗い表情になった。それを見た蘭景もいい結果は望めないと顔をしかめるが、黙って話を聞く。

「大半を中つ国で過ごす緋尊にも言っているのじゃが、なかなか見付からん。……そういえば蒼氷は」

「今は外にいます。……ただ」

 ただ、と朱夏は問い返す。

「紺青の髪はほぼ完全に黒髪になってしまいました。光沢に少し名残があるくらいでして」

「でも、生きておるのじゃな?」

 蘭景は頷く。

「と言うことは星来も生きておるのじゃな」

「それは本当ですか!?」

 思わず叫んでしまい、蘭景は頭を下げる。

「守護獣が死ぬのは主が死ぬ時のみ。蒼氷が生きている限りは星来も生きておる。じゃがな」

 朱夏は少し間を置いてから、言葉を継ぐ。

「星来は能力を喪失しておる。これは確かなことじゃろう」

「どうして……ですか?」

「よいか、守護獣は主が無意識に集める気で能力を維持し、生きる。今蒼氷は力を無くしつつある。これは主からの気の供給がないため、守護獣本来の力を生きる力に変換しておるからじゃ。だから髪が只人のように黒くなる」

 なるほど、と蘭景は二度頷く。

「能力喪失ということは星来の髪と瞳も黒くなっておることじゃろう。それともう一つ、気になることがある。星来は皆蝕乱狂を使ったのじゃろう? しかも、東の海に近いところで」

 確かに十六年前、星来は自分が捕まってしまった時に、聞いたことのない呪文を唱えだした。それの最後の言葉が“皆蝕乱狂”。

「皆蝕乱狂は気の流れを崩壊寸前まで乱す、蒼尊の最終にして禁忌の術。星来のものは実に凄まじかったのう。気の流れを修正するのに陽春が苦労したからの」

「はあ……」

 朱夏は理由はわからないが、感心しているのは明らかだった。

「とにかく海で皆蝕乱狂なぞ起こせば波にさらわれることは確かであろう。しかも東の海には三途門さんずもんがある」

 三途門とは、高天原の人々が中つ国に転生するために通る門。これを通って高天原と中つ国を行き来する職業が一種だけあった。

「気の乱れで我々五帝と四天士しか開けられない門も開いてしまった可能性がある。つまり」

「星来は中つ国に流された……」

 朱夏が言う前に先に蘭景に言われてしまった。

「中つ国で産まれる者は、皆黒髪黒眼。見分ける術はない。気配で気付けるのは五帝、四天士、守護獣。そのうち中つ国で捜索できるのは四天士の三人のみ。守護獣は同じ世界にいるなら主を離れないからの。しかし三人だけで中つ国を捜し回るのは不可」

 朱夏の視線がかげり始めた。

 ――これは、言うべきではない。だが、蘭景の子について例え神である者でも隠すことはできない――

 そして、告げることを決心した、最後の言葉。

「以上を踏まえ、捜索は不可。残念ながら捜索は打ち切らせてもらう。まことに申し訳ない」

 沈黙がその場を制した。

 次に制したのは母親、蘭景の悲鳴に似た、叫び、泣き声。

 朱夏はもうなんと言っていいのかわからず、ただ泣き崩れる蘭景を見つめるのみ。それが病無き体といえど、とても心の奥底が数本の棘で刺されているように痛く、苦しかった――



 蒼氷は早朝、蘭景に外の風に当たってくると言って、夜が明けつつある村を、行く先も目的もない散歩に出ていた。夏に快適に散歩をするのは涼しい早朝がいい。

 早朝の村は薄い朝靄がかかり、空の色は青がかった黒と、薄らとした赤とでぼかされ、黒い部分にはまだ微かに点々と光の点が見える。その下を二羽、鳥が空気を切り裂き、飛んでゆく。

 ――私の足が地から離れなくなって、もう十六年になるのか。

 蒼氷は龍の姿に変わり、何の束縛もなく、空を翔けることが出来たのだが、それは過去の話。

 髪がもうほとんど黒く変色してしまった今では只人と同じ。姿を変えることも、術を使うこともできない。

(星来様……)

 十六年前のあの日、仕えるはずだった主の名前。

十六年前のあの日、姿を消した、主の名前。

 ――なぜ。

 昨日、蘭景曰く自分が外出している時に朱夏が十六年振りに訪問してきたらしい。

 朱夏が告げたのは、姉の碧紗の方については生存の報告と消息。星来の方は失踪の原因と、捜索の打ち切り。

 これには蒼氷も主の失踪を伝えられた時と同様、ひどく落胆した。しかし、蒼氷が気に掛けているのは捜索の打ち切りではなく、打ち切るをえなかった原因を作った、失踪の原因。

(あれが自力で、いや、無知の状態で出来るわけがない)

 聞いたところによると、星来は皆蝕乱狂を発動させてしまったせいで行方不明になった、と言っていた。

(星来様の力が取分け強かったせいか……いや)

 皆蝕乱狂は蒼尊の最大にして禁忌の術。そのせいか、守護獣、また普通なら有り得ないが、蒼帝直々に手解きを受けても使えない者もいた。逆に言えば、守護獣から手解きを受けなければ、その片鱗すらも使えないはず。

 だと言うのに星来は完全な皆蝕乱狂を発動させた。否、完全どころじゃない。例を見ないほど威力が強大な。

(陽春様に会われた? いやそんなことはない。あの時朱夏様から連絡を受け、初めて蒼尊が既に生まれている事を知ったのだから。星来様も五帝では朱夏様しか)

 頭が痛くなってきた。どれも有り得ない事だし、予想とその予想を否定を裏付ける証拠も出てくる。

(まさか、巽国の場所からして陽春様か朱夏様が起こしやすい状況を作られた?)

 巽国は東南の国。それゆえ、東の陽春と南の朱夏の二人が守り、司る国だ。政治は太宰が行っているが。

(……蒼尊は決して失ってはならない。なのに危険が伴い過ぎるあんな場所で……)

 あの二人は賢明だ。そんなことが出来ても、状況からしてするわけはない。

 まさか、この世界自体が星来を拒絶し、中つ国に追いやったとは考えられないだろうか。

(そんなはずないだろう……)

 我ながら笑ってしまった。

 今まで考えた事象より、はるかに考えられない。それに星来は蒼尊。寧ろ世界には喜んで迎えられる人だ。

(まったく。主がいないせいで忠誠心が薄れたらしい)

 蒼氷は自嘲するように笑い、溜め息をついた。

 東の方角を見ると、だいぶ赤の比率が多くなっていて明るくなっている。林から少しずつ太陽が顔を覗かせ、いつしか完全に姿を現していたので蒼氷も帰路を辿ろうとした。



 その時だった。

 蒼氷の鼓動が急激に速くなったのを感じたのは。

 異常な程の胸騒ぎに息が詰まり苦しくなる。その上沸きあがるように熱い。しかし、その苦しさとは逆に、喜びが沸き上がってくる。そしてある思考が蒼氷の脳内を横切る。


 ――とうとう、帰って来られる。


 蒼氷は走り出した。十六年前に主が姿を消した場所へ。

 少しでも早く、と考えた時にふいに体が軽くなり、久しぶりに足から地面の感触がなくなった。それを確かめようと足元を見た時、地に自分が細長い影を落としていることに気付き、そしてやっと己が龍の姿になって浮遊しているのに気が付いた。

 蒼氷は気付かなかっただろうが、走り出した瞬間、黒髪はたちまち根元から染み渡るように紺青色になり、全ての黒髪が変色すると彼は十六年振りに姿を変え、紺青の龍の姿になって滑空した。

 蒼氷が守護獣としての二つの物を取り戻した時、彼の予想は絶対なる確信へと変わった。


 主が、星来様がこの地に帰って来られたのだ、と。




 聖良は気が付くと砂浜に横たわっていた。目の前で水が往来を繰り返しているので、波打際なのだろう。

 こんなことになるまで自分は何をやっていたのか思い出す。部活が終わったから麻奈と帰って、途中で麻奈と分かれて、海に寄り道して、海を眺めている時に突然記憶が切断されたように途切れた。何があったのか、よくわからない。

(大きい波が来て、のまれたのかな。じゃないと、こんな風にはならないし?)

 自分なりに解析すると、渋々家に戻ろうと立ち上がろうとした時、かつてない疲労が聖良を襲い、立ち上がる事が出来なかった。それどころか、四肢も動かすことすら叶わない。

 次に、景色がぼやけている事に気が付いた。それは目を半分しか開けていないからだとすぐにわかった。

(え……あれ?)

 砂浜の周りは、林で囲まれていた。

 あの砂浜はコンクリートの塀、つまり堤防で囲まれ、その上には家が立ち並ぶ。だから林などあるわけがないのだが。

 もっと違うのは、潮の匂い。島の海の香りは風や空気の中にほのかに混じる程度。今はどうだろう。海自らが存在を主張しているような、強い香り。あくまで聖良の判断だが。

 よく確かめようと聖良は目を開けようとするが、瞼がとても重く感じ、四肢の他に瞼すら動かせなかった。

 もはや自分が今どうなっているのかさえわからなくなってくる。自分に意識があるのか生きているかも曖昧になってしまう。

(私、どうしちゃったんだろう……)

 波にのまれ、知らず知らずのうちに溺れまいともがき、体力を消費したのではないか。すると、そっか、と自分で納得した。

 ゆっくり何度かできる限り大きく息をして、やっとの思いで顔を動かし、水平線の方へ目を向けると、太陽が顔を覗かせているのが見えた。

 日が暮れ始めている、と思ったが、太陽は僅かに逆に上へ昇っている。日が昇るのは東、と今は何の役に立たない記憶を引っ張り出すと、聖良は、はっとする。

(うそ!? 朝!?)

 学校を出た時間から計算すると、砂浜に着いたのは五時。日出と言う事は軽く半日は気を失っていた計算になる。なんてバカバカしいんだろう。

(何やってんだろ。さっさと起きなきゃ……)

 全身砂だらけだろうから、まずシャワーを浴びて、急いで今日の支度をして。でもまず両親の説教が先だろうか。

 思考は動くのに、やはり体が言う事を聞いてくれない。

 その時、顔に生臭い息がかかり、腰の辺りに重さを感じた。閉じかけた瞼をもう一度開くと、茶色の毛に鋭い牙が見える。

(野犬?)

 野犬なんて風籟島では珍しい。でも野犬と言ったら変なことをしたら恐らく噛みついてくるかもしれない。

 逃げようとしたが、やはり力が入らず無理だった。人は追い詰められた時に思いもよらない力を出すというが、それも発動しない。

 やがて聖良は体を動かそうとする意思を働かせるのにも疲れ果て、とうとう目を瞑り、意識を失った。


 聖良が再び目を覚ますと、野犬は消えていたが、それ以外の風景は変わっていない。辺りの明るさは変わっていなかったので、大して時間は過ぎていないだろう。どこも痛みを感じないところから、どうやら噛まれはしなかったらしい。

 聖良は虚ろな目で、ぼーっとしていると、視界に突然青い影が入った。

(何だろ……)

 カメラのピントを合わせるように目を凝らすと、それは青い龍だということがわかった。

 ――じゃあこれは、夢かな。

青い龍はひたすら聖良に話しかけるように口を動かしているが、聴覚が麻痺し、聞こえない。

「――――」

(面白い夢。龍に話しかけられるなんて)

 そこで聖良はゆっくり目を閉じた。やはりとてつもなく眠たい。

 ふいに自分の体から砂の感触が消え、ふわりと体が宙に浮いた感じがした。

(龍に乗せられたのかな……)

 あの青い龍は天から使いで、自分は死んで、今まさにあの世に運ばれようとしているのだ。そうなら、これは夢じゃなくて現実になる。現実に起こっていることになる。

 あの世はどんなところだろう。人間が語るように天国と地獄があって、どちらかで暮らすようになるのか。あるいは新たな生を授かり、別の生物として生まれ変わるのか。いずれも誰も確かめたことがないくせに、本当にそうであるかのように伝えられてきている人間の作り話に過ぎないけれど。

 不思議と恐怖はなかった。単に、いきなりのことでまだ状況が飲み込めてないだけかもしれないが。



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