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第四章:舞い荒ぶ風、乱れ轟く闇

「錫弥が……風奏真君?」

 高天原全土の風を司り、その歌声は穢れを浄化させる力を持つ、五帝に並ぶ神。その五帝ですら、数百年に一度会うかどうかの守護神が、今、目の前にいる。

 人々が想像して作った銅像とは、もちろん姿は違っていたが、ところどころ通じるものはあった。それでもやはり、本物の方が優美な気品と、武勇の挙措を兼ね添えているのは明らかだ。

 狼の姿の錫弥は、四肢を地に着けて、伏せる晟夜を見下ろす。

「もう終わりかのう? 小童というものは、人を困らせるほど遊ぶのが好きであろうに。つまらぬのう」

 錫弥がくつくつ笑うと、口内に生えた、研がれ磨かれたような白い牙が顔を覗かせる。わざとらしい侮りに晟夜は、全身の痛みを堪え、膝を立てて立ち上がろうとする。それでちょうど錫弥と同じ目線になったが、それでも錫弥は上向き加減になって、なおも見下ろす態度になる。

「いや、無理に立ち上がらなくてもよいぞ。小童は寝るのも仕事のうちだからのう」

「黙れ!」

 晟夜は激情し、闇霞の矢を放つ。四方八方に飛び散ったかと思うと、それらが一つの生き物の如く、一斉に切っ先を錫弥に向けて迫る。

「ふん。小童なんぞに捕まる私ではないわ」

 半球状に囲まれた錫弥は、特に怖気づいたりする様子はなく、涼しい顔をして鼻で笑うと、またフッと姿を消した。その直後、一ヶ所に矢が流れ込んだ。もちろん、矢を霞状に戻しても狼の残骸らしきものはない。

「あれを回避しただと!?」

「ではなかったら、なんじゃ?」

 晟夜の背後で風が巻き起こり、刺すような声が降りかかる。

「その愚劣なこうべを噛み砕いてやろうかのう?」

 反射で晟夜が振り返るよりも早く、錫弥が波のように飛びかかる。晟夜はあの牙を避けるはもちろん、闇霞の盾を作ることもできないと判断し、左腕をかざして代わりの盾にする。錫弥は前脚の爪を晟夜の右腕に食い込ませ、その上、本気で食い千切るつもりで噛み付いた。紫の毛並みが、口元だけ赤く染まる。本当に食い千切らなかったのは、晟夜の右腕は錫弥の胴をスサノヲで突き刺そうとしていたので、早めの回避が必要だったからだ。

 そのまま晟夜を踏み台に、その背後に降り立つ。

「尊ぶべき神の牙でつけた傷じゃ。大切にせねばのう?」

 錫弥は口の中に入った血を吐き捨て、踵を返す。

 晟夜は戦いにおいて、もう使い物にならなくなった左腕と、そこから流れる血を風奏真君の脅威を思い知りながら見つめる。

「仮にも俺はお前の兄だ。その兄にここまですることはないだろう?」

 命乞い紛いの言葉に、惨めさを思いながらも晟夜は言う。

 事実、どんな風に見積もっても軽傷とは言えない。爪が刺さったところは深く穴が開き、牙が食い込んだところは、皮膚を深々と抉っていた。体には、見えない闇霞の膜を張ったはずのなのに、それさえ無効化している。

 当の錫弥は、とことん皮肉を返答に込めた。

「私が貴様のような小童を兄に持った覚えなぞないわ。中つ国のことだとしても……」

 少し離れたところの、依然気を失い、倒れている蓮をちらりとみやる。

「お前……“違う”な?」

 風が二人を隔てるように間をすり抜け、錫弥の紫の毛並みと、晟夜の髪を揺らしていく――


 星来はただ、二人の戦いから目を逸らさず、勝利を祈ることしかできない。錫弥は、蓮ですら優勢に立てなかった晟夜を、あそこまで叩きのめしている。助力と言って自分が行けば、足手まといになるのは考えなくてもわかった。

『星来。聞こえるか』

 そよぐ風に混じって、錫弥の声が星来に囁きかけた。蘭景の顔を見ても、変わりなく二人を見つめていたので、恐らくこの声は自分にしか聞こえないのかもしれない。

『これが、本当の私だ』

 神――まさしく人を寄せ付けず、人と同等でないことを強く主張し、圧倒的な力を持つ。それこそ、真の姿。

『星来がここで会った“私”は、人といるためだけに取り繕った、“私”』

 優しいそよ風に混じる、もの悲しげで、決意を秘めた声。

『関わったのが数時間だけで、よかった。長かったら、もっとつらかった』

 錫弥の言いたいことが、だいたいわかった気がした。今、晟夜と対峙している孤高の狼は、こう言いたいのだ。

 もう、関わるな、と――

(でも、どうして……?)


 錫弥が星来に声を送り届け終わると、晟夜の口から笑いが漏れ出し、そして坂道を転がるように大きな笑いへと変じた。

「ははっ! さすが真君様だ! このガキに別の魂が入っていることくらい、お見通しなんだからな」

「何を細工しおったか、答えよ。さもなくば……」

「これだ」

 晟夜は自分の首にはめられた、血色の金属でできた首輪を指差した。

戒錠索かいじょうさくという。これをつけた者は、俺の意のまま。命令に背く場葵は、首を千切れんばかりに絞め、それでもだめなら自らの魂を対象に入り込むことだってできる」

(ふむ……どこぞやの愚か者が作ったのか)

 初めて聞く道具だった。この世界ができて、幾星霜と生きているので、記憶はあまり頼りにならないが、戒錠索というのは聞いたことがない。これは言い切れる。となると、最近の産物。しかも、魂を入り込ませたり、闇霞を操る能力も与えるとなると、思った以上に大きな黒幕がいる。

 錫弥はもう一つ問い質す。

「貴様は、誰じゃ」

 確信はあったが、そうであってほしくないとも願った。七緒が言っていたあの名がでてこないようにと。だが、もう数千年も生きた錫弥は、現実は常に無情であることは重々承知していた。

 そして、その時がくる。

「……俺は、元巽国太宰、呀千宵」

(願いは運命を逸らすほど大きくなく、儚くあるのみ、か)

 錫弥は答えず、晟夜――千宵もそれ以上、言葉を続けなかった。

 取り巻く闇霞の量が、湧くように増す。あれが“晟夜のままだったら”二戦も交えた身なので、疲労を期待できたものの、あれは千宵だ。肉体には疲労が蓄積されているかもしれないが、闇霞の力を取り込んでいたら、関係なくなる。

(やれやれ。闇霞と交えるのは、開闢かいびゃく以来、何千年振りかのう)

 錫弥は五帝と共に高天原を開闢して間もない頃、いたるところに跋扈ばっこしていた負の力、闇霞討伐の中心者としてほぼ一人で始末していた。これは闇霞が大気中に含まれる力であって、空気を浄化するのが得意な錫弥と相性が良かったためだ。陽の力とつりあい、且つ害を及ぼさない程度まで少なくなった時は、もう闇霞と戦うことはない、と考えていたのに。この状況において、懐かしさを楽しんだ。

 晟夜――の、姿をした千宵を取り巻く闇霞がざわりと揺れ、それを合図に飛び出す。

 錫弥が風を放ち、千宵が闇霞の槍や矢を放つのも、同時。

 突風が闇霞の武器を風化させ、武器の波に穴が開く。その穴から狼が襲ってくるだろうと千宵は身構えたが、狼の姿はない。

「どこを見ておる」

 錫弥はすでに千宵の左側へ移動していて、それどころか間の距離を狭めている。

 すぐにスサノヲを振り下ろすが、それは錫弥の前脚についていた足甲によって受け止められる。その近距離で、つかさず闇霞の矢を放つと、錫弥の翼を穿つ。

「……ふむ」

 虫食いのような穴が翼にできたのに、錫弥は感心するように横目で自らの翼を見るだけで、痛みを感じているように見えない。

「ふふ。そうじゃ、そうじゃ。私を楽しませてくれぬとのう」

 錫弥の姿が消え、次に現れた時は元いた場所へと離れていた。

「しかし、のう。この体を使って戦うのは、数百年ぶりであるゆえ、うまく動けぬのう」

 穴が開いた翼が白く色付き、それが自らを包み込む。縦に一回転すると、いつの間にか翼は布へと変じ、紫の狼も、白い布の服の上に金の鎧を纏う人へと変じていた。

「真の姿を解いていいのか? それで俺に勝とうとでも……」

「小童に案じられる筋合いなど、ありゃせんよ」

 武器を持たない空手の錫弥は、危険を顧みず、風を纏って千宵に迫る。

 錫弥が方向を指し示すように手を伸べると、風はそれに従い、千宵の元へ集まる。

 千宵はこれを受け止めず、跳んで躱すと、空中で構えて錫弥へ剣尖を向けて落下する。その背には、闇霞の翼が。

(避けられる、が……)

 腰に差してあった風籟の音を、振り払うように引き抜く。

(体勢を崩されたところで、あの翼の闇霞がこちらに来られては、ただでは済まぬのう)

 キィン、と金属音をたてて白い笛と黒い刀身がぶつかり合う。スサノヲは風籟の音を闇霞で侵蝕しようとするが、接触部ですら接近することができていない。そのうちに、今度はスサノヲの刀身も無色へと変色し始めた。

 装飾が施されただけの、なんの変哲もないように思えた笛は、スサノヲと同等、あるいはそれ以上の力を持っていることを悟った千宵は、笛からスサノヲを離し、代わりに翼と成していた闇霞を、すべて錫弥に放つ。

 地が揺れるほどの爆音を轟かせると、煙が立ち込める。ザワザワとうごめく煙が巻き上がるのも一瞬、突風が咆え、視界を見晴るかす。

「ふう……」

 とっさに防御に使ってしまった笛を持ち上げ、その双眸で見つめる。刀を受け止めてしまったが、傷はついていない。繊細に似つかわず、素晴らしい強度。

「もう戦いには使わぬと、言ってしまったのだがな……」

 気が遠くなるほど昔――さすがの神も記憶が薄れるほど昔、この笛を作った少年のことだけは、鮮明に残っている。

 その少年の髪と瞳の色は――蒼。

「訊くが、その笛は、どれほどの神宝か?」

「神宝? そうだな……」

 笛を腰に差し、どこかおかしそうに笑った。

「神宝でもなんでもない。昔、私が唯一愛した者が贈ってくれた、笛だ」

 ある意味、余裕を見せるように星来の方へ振り向いた。

 そこに、“決して自分自身に向けてではない笑み”を認めた星来は、少し困惑した。

「本当に、あいつの髪と瞳の色に似ている」

「私、の……?」

 きょとんとしていると、錫弥は肯定するように、一層笑みを露にする。それは、懐かしむような。そして、悲しげな。

 錫弥、と声をかけようとした途端、千宵が静寂を破り、哄笑しだした。それを不快に思った錫弥は目を眇め、向きを元に戻した。

「……なにがおかしい?」

「簡単なことだ。五帝に次ぐ位を持つ真君様に、ただの笛一本をやるバカ者が――ッ!?」

 最後までは、言葉を口に出すことができなかった。

 瞬き一つ挟むと、もうすでに目の前に怒りを露にする風奏真君がいたから。しかも、ただいただけじゃない。スサノヲの剣の平に、綱渡りをするように立っているのだ。スサノヲを持つこちらには、重さの微塵も感じない。闇霞で撃ち落せばよかったのだが、そんな思考は真君の威圧で起こさせなかった。

 そして、錫弥は。

「我が恋人を侮辱した罪。その身を以って報いを受けよ」

 “その言葉が指し示す先”を自然と理解するときには、もう遅かった。

 足場が限られていながらも、左足を軸に右足を疾風にも負けぬ速さで、大きく蹴り上げたのだ。

 千宵は直撃を免れることはできないと判断しながらも、左手をスサノヲから離し、顔の横に盾として構えた。

 いとも簡単に腕をへし折られたような痛みが走り、次いで体が横に吹っ飛び、地に落下すると、勢いで地に擦りつけられる。

 首を折るような致命傷は、どうにか防げた。しかし、どこかしら重傷を負うことは免れることはできなかった。左肘と手首のほぼ真ん中の骨が、ぽっきり折れてしまった。なんて素早すぎる攻撃だろうか。

 ――だが。

「……だが、いい」

 手が一本だめになりながら、千宵は不気味な笑みを浮かべていた。

「どうした? 左腕を防御に使いながら、頭までやってしまったか?」

「お前こそ、不審に思わなかったのか? お気楽だな」

 錫弥は、圧倒的に不利な状況で笑みを見せる千宵に怪訝な顔をし、その要因がどこにあるか探った。それでも見つからない。

「わからないようだな。では訊こう。どうして放つ闇霞の量を増やしておいて、それを武器にしなかった? それでも今、俺を取り巻く闇霞の量が元に戻っている?」

 積もり積もるように、どんどん千宵の笑みの深さが増す。

 錫弥はその何かを仕掛ける前に、瞬殺の一撃を加えようとしたものの、今度は錫弥の方が遅れをとることになった。いや、もうすでに遅れをとっていた。

 突然、千宵から闇霞が溢れ出し、それが空高く伸びていき、槍のように空に突き刺さった。それから闇霞は太さを増すと、何本かに分かれ、何かを空から引き摺り下ろすように動き出した。

「なんだ……?」

「ふふ……見ろ。これが闇霞の力だ!!」

 やがて、闇霞の先に何か白いものが見えてきた。近づいてくるうちに、大きく鮮明に見て取れるようになり――

 錫弥の顔色が、蒼白となった。

「なん、だと!? 三途総門が、なぜ!?」

「風奏真君。お前もわかるように、三途総門は三途門と違い、中つ国への門の役割に加え、繋ぐ道の役割がある。そしてその門番がお前であり……」

 闇霞に引き下ろされた三途総門が、千宵の頭上で止まる。

 繋ぐ道の役割がある、と言っても三途総門は蛋白石と真珠の輝きを持ち、複雑な流紋や文字や、記号を組み合わせたような模様が彫られた扉の門、それのみが姿だった。

 千宵が右腕のみで、三途総門に向けてスサノヲを掲げる。なにをするつもりなのか確信がつかめている錫弥の顔色が、さらに蒼白さを増す。

「貴様っ!! やめろ!!」

「お前自身とも繋がっているんだよなぁ? ――さよならだ。風奏真君」

 阻止せんと、錫弥が地を蹴り、風に乗って手を伸ばす。

 スサノヲを中心に闇霞がとぐろを巻くように渦巻くと、刀身に集束しそれが固まっていかずちとなった。それから間もなく、轟音と共に下から三途総門を木っ端微塵に打ち砕き、天に落ちた。

「う、あ、あぁぁ――ッ!!」

 もう少し、もう少しで阻止できたのに、そのもう少しは届かなかった。

 三途総門が砕かれると、錫弥も自身の半身が砕かれた苦痛に叫びをあげ、横向きに倒れた。

(なんたる不覚。あの増幅させた闇霞は、三途総門を在るべき場所から切り離す工作をするためだったのか……)

 口の中に鉄の味が広がってくる。口を切った覚えはないが、体内のどこかが三途総門が破壊された時に同時に傷ついたに違いない。

 我ながら情けなかった。戦闘中に工作するには、同じく闇霞を戦闘中にそちらに送らなければならない。高天原で最も闇霞と戦ったことがある自分が気付かなかったなんて。

 いや、後悔や自責をしている暇なんてない。蓮がやられ、自分も三途総門破壊により、力の大半を失った。こうなってしまっては、千宵の蓮と並ぶ最大の標的となった――

「星来!」

 口の端から血を流しながら、錫弥は叫んだ。逃げろ、とまでは言えなかった。足止めしてくれる人がいなくて、どうやったら逃げられるのか。この状況で下手に背中を見せたほうが危うい。

 地に伏せ、低い視線から見た星来は、母親にぴったり寄り添いながらも、千宵から目が離せなくなっている状態のまま震えていた。彼女の武器であった碧瑠刀は折れているし、あの状態ではとても抵抗しろとも言えない。

「くっ……星来ぁっ!」


「あ、ああ……」

 星来は蘭景にぴったりくっついたまま、恐怖からの震えをとめられずにいた。

 逃げることもできないし、戦うこともできない。戦ったところで、緋尊の蓮も風奏真君の錫弥も敵わなかった千宵に勝てるはずがない。残される末は――死。

 じりじりと、千宵が近づいてくる。

「来ない、で……」

 そう言った、つもりだったのだが、掠れて声にはなっていなかった。もはや、声を出すのみの力さえ押さえつけられていた。

 もちろん、逃げる力さえも。

 ここで死んだら、中つ国の自分はどうなるのだろうか。高天原でついた傷は、中つ国では表れない。と言っても、“怪我をする”ことと“死ぬ”ことは事の重大さは桁違い。ここで死んで、中つ国の自分も死ぬことも、十分考えられる。

(私は……死ぬの?)

 死にたくない。けれど、この状況下でどうすればいいのか。

 目の前で千宵がスサノヲの切っ先をこちらへ向け、体中に戦慄を走らせる。絶望を増幅には十分過ぎる、動作。

「蒼尊、瑞星来」

 名前を呼ばれ、それだけでも星来は体が震え上がった。

 その口から紡がれる一文字一文字が、確実に星来を闇へと落としていく。

「蒼尊に大した力がなかったのも、ここで俺に会ったのも、お前の不運、俺の幸運」

「あ……あ、ぁ……」

 ――誰か。

「黄泉の国に行けば、誰もお前に刃を向けるものもいない。まだ完全に死んではいないが、緋尊と風奏真君もじきに黄泉で会えるだろう。案ずることはない」

 ――助けて。

 スサノヲが、切っ先をこちらに向けたまま、さっと後ろへさがる。

「恨むのなら、生まれた境遇、黄帝を恨むのだな!」

 深く漆黒に輝くスサノヲの切っ先が、闇霞を纏い真っ直ぐ自分をめがけて、飛ぶように向かってくる。

 それから先は、目を瞑っていて見ていない。


 ――誰か、助けて――!!



 時間ときは、一瞬に感じえて、長く長く思えた。


 衝撃は、なかった。

 代わりに、温かいものが頬に降りかかった。

「な、に……?」

 震え続ける右手で付着したものを拭い、縛るように瞑っていた瞼を恐る恐る開いた。

 光が差した蒼い瞳が映したのは、手にこびりついた赤い液体。転じて、真っ白になっていく思考。これは、と訊ねようと首を動かした横には、あったはずの人影がなかった。

「蘭景、さ、ん……?」

 ――じゃあ、これは……

 硬直した体を無理矢理動かしかけた、その矢先。確かめたい真実より先に、地に伏せたまま顔をこちらに向けた錫弥が、口から血を流しながら、見開いた目をその真実に向けて、悲鳴に近い叫びをあげる。

「蘭景様!!」

 星来も声に突き動かされるように、やっと真実を目に映すことができた。だが、それは一番見たくない結末だった。

 蘭景がいつの間にか二人の間に立ちふさがり、星来から見えるその背に、漆黒の刃が生えていた。

 いや、生えたのではない。

 貫いていたのだ。

「蘭景さん!!」

 その光景が何を意味していたのか、遅れてやっと理解した星来も、自らさえ引き裂くように叫んだ。

 蘭景はその身をスサノヲに貫かせてもなお、その場に立ち続け、それどころか何も装備していない両手で、刃を握った。力強く握ったのか、新たな場所から血が滴り落ちる。それから、傷だらけの生身ではなく、魂から言い放つ。

「我が子を……青尊を……高天原の未来を」

 そして、その場にいた全員が、見ていた。

「殺させるわけには、いかないのよ……!」


 黒髪で当たり前だった蘭景の髪が、満月のような光を放つ、きらびやかな黄金の色に染まり、“息を吹き返す”のを。


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