第四章:思わぬ刺客、決意の戦い
星来にはこの状況が飲み込めずにいた。幾度も瞬きしても、目の前にいる人物は宗蓬院晟夜。
少しすると、晟夜の漆黒の剣に黒い靄が取り巻き始めた。
何をするつもりだろう、と考える前にわかる。殺される、と。それにあの剣はなんなのだろう。剣自体も強大な殺気を放っている。
「どうして、こんなことをするんですか……?」
星来は震える声を発した。今はなぜここに晟夜がいるのかというより、どうしてこんなことをするのかが気になる。
「……無駄話は嫌いだ」
晟夜が冷たく言い放つと、黒い靄が急速に剣に集まる。その剣をゆっくり振りかざして叩くように振り下ろすと、黒い三日月――蓮の月紅火を闇に染めたような刃がこちらに迫る。
星来は横に跳躍し、それを躱す。その直後に今はいつもと違う状況だったことを思い出し、叫ぶ。
「姉さん!」
砂埃が確かめたいものを隠してしまっていて、無事がわからない。今の自分は蒼尊で、常人の人の感覚があやふやになってしまっているが、あれを常人が躱しきれるとは全く思えない。
まさか、と息を呑んだ。
「ご安心を。星来様」
いつの間に移動したのか、蒼氷は背後にいてその腕には、目を閉ざした碧紗を抱きかかえていた。
星来は一先ずほっとする。
「ありがとう。蒼氷。姉さん、大丈夫?」
「気を失っているだけです。しかし、今の私達は妖気でできた半球状の結界に覆われてしまっています。いつこのかたが巻き込まれるか、あるいは狙われるか……」
星来は天を仰いだ。昼の雲が少ない空だったはずなのに、結界のせいで薄黒い。
(巻き込まれる、狙われる、か。どうしよう)
蒼氷と協力して戦えば、どうにかなるかもしれないと思ったが、それで完全に姉の安全を保障できたわけじゃない。蒼氷に碧紗を守らせようか、とも思ったが、蒼氷があの剣撃を全て、または全力で放たれたものを防ぎ続けられるとは思えない。
(それなら)
とるべき道は、一つ。
「蒼氷。姉さんを連れて逃げて。錫弥達にはこっちに来ないように伝えて」
「星来様!?」
蒼氷にはこれが自分の主の口からこんな言葉が出るとは信じられなかった。ほんの数日前まで、魔物でさえあんなに対峙することを嫌がっていたのに。ふと見た星来の双眸に強い決意が表れていたのも意外だった。
(いや、それでも星来様にはまだ早すぎる)
「しかし、それでは……」
「これは命令なの! 蒼氷なら聞いてくれるんでしょう!?」
星来は思わず怒鳴った。それは本気である証拠。
蒼氷にも、もう迷っている暇はなかった。これは主からの“頼み”ではなく、“命令”である上に、これ以上敵を待たせていつ攻撃してくるかわからない。いや、あれから一度も攻撃してこない今、奇跡を使ってしまっているかもしれない。
「わかりました。しかし、この結界はとても強固で、とても私の力では……」
星来はもう一度、天を仰ぐ。
(やれるかな……?)
守護獣より、その主のほうが力は強い。まるで昔からその知識を持っていたように、星来は知っていた。
(でも、今の私にできるのかな?)
あの日、初めて己の能力で雷漣を放ってから、まだ二度目を成功させていなかった。
だが、原因は今になってやっとわかった。あの時は自分の中に何かが湧いてきて、それを放ったに過ぎなくて、魔物との実践練習の時にはそれがすっかり冷めてしまっていたから。それが今になってわかったのは、あの時に湧いてきたものが再び湧き出してきたから。
(ううん。迷ってなんかいられない。やるしかない)
星来は碧瑠刀を持った右手を引き、弓を構えるように身構えた。
――感覚が、蘇ってくる。
体に何かが湧いてきて、体を満たしてくる。そして気がつけば、碧瑠刀は自分自身を表わしているようにバチバチと雷を放っていた。
「はっ!」
星来が気合を入れる声をあげ、碧瑠刀を斜めに突き出すと、雷漣が上方に向かってまっすぐ飛んでいき、円い穴を開けた。それでも、この結界の再生力がわからなかったので、ずっと穴を開けておくために雷漣を止めなかった。
「早く!」
その言葉を聞いて、蒼氷は葉が翻るように一瞬で龍型になると、その背に碧紗を乗せた。
「それでは……どうか、ご無事で」
「うん」
星来は蒼氷の目を見て、しっかり強く答えた。
(絶対に、負けないから)
雷漣を途切れさせると、そのわずかな間に蒼氷は穴から外から出た。穴は直後にしぼむように塞がれてしまった。
それを見届け、星来は腕を下ろす。
(……独りになっちゃったな……)
自分の味方をしてくれるのは、自分ただ独り。独りって、なんて冷たいのだろう。今の季節は夏だというのに。
(だめだめ。甘えを断ち切らなきゃ。暁はあんなこと言ってくれたけど)
碧瑠刀をぎゅっと強く握り締め、晟夜の方へ向き直る。晟夜の周りには黒い靄が守るように漂っていた。
(立ち向かおう。いつまでたっても、守られてばっかじゃだめだから)
星来は碧瑠刀を両手で握って走り出した。
蓮のように、瞬時に策をひねり出すことはできないけれど、全力でぶつかっていくことはできる。
「だぁぁっ!」
星来が剣を振ると、晟夜は眉一つ動かすことなく、金属がぶつかり合う快音を響かせ、漆黒の剣でそれを受け止めた。
中つ国では力の差で負けてしまったが、ここは高天原であって、自分は蒼尊。負けることはないと思っていた。だが、その予想に反して碧瑠刀は黒い靄に包まれながら漆黒の剣に押されていく。
(何? これ……)
靄が鍔まで迫り、危険を感じた星来は慌ててさがった。
「禁忌の剣として、高天原に封印されて幾星霜。そのスサノヲに対して、ぶつかってきたことは褒めてやろう」
晟夜が冷たく静かな声で言い放つ。
(禁忌? なんなの? とりあえず、下手に接近しちゃ危ない)
晟夜自身かスサノヲが放っているあの黒い靄は、とにかく触れてはいけない。触れてはまずい気がする。
(じゃあ、能力を……!)
左手を突き出して、至近距離から雷漣を放つ。しかし、黒い靄が瞬時に集束し、雷を弾いて晟夜を守った。星来が雷漣を放つのをやめると、黒い靄ごと断ち切ってスサノヲが振り下ろされる。
(くっ! そんなっ!)
星来は咄嗟に碧瑠刀を両手で握り、その剣を受け止めた。ただし、そのままでは黒い靄に侵食される。
(そうだ。剣から雷漣を放てるなら、それを応用して……)
敏希が言ってなかったっけか。蓮は華焔刀を使って自らの力を引き出していると。それなら、自分とこの碧瑠刀も連動しているはず。
「はぁっ!」
碧瑠刀に雷が迸り、薄暗い空間の中で強く発光して靄を焼く。晟夜は眉を顰めてスサノヲを碧瑠刀から離し、地を蹴って宙を跳ぶ。そこからスサノヲを使って黒い三日月の刃を放った。
(しまっ……!)
星来の今の体勢は、躱すには苦しい。
(それなら、打ち消す!)
碧瑠刀を構え、めくるめくばかりに体中を駆け巡る力を刀身に集中させる。それを心象として形作っていく。
(あれをうまく、丸ごと打ち消すほどの……)
星来はそれをすべて雷に写し、放つ。一見、普通の雷漣に見えたが、標的に向かっていく途中でその先端は顔が模られ、龍のような形態になった。雷の龍は大きく口を開けて黒い三日月を飲み込と、雷が爆発を起こす。
晟夜が腕で顔をかばい、次の攻撃に移ろうと爆煙の中から星来を捜す。
「このぉぉっ!」
星来が煙を突き破り、雷が迸る碧瑠刀を両手で構えて跳んでくる。
(当たれっ!)
と、思いながら碧瑠刀を振ると、晟夜が黒い靄を集束させて作った盾によって防がられる。それでも星来は碧瑠刀で押して、応戦する。
(これさえ、破ることができたら……!)
少しずつ、少しずつだが碧瑠刀が黒い盾を破っていく。ということは、碧瑠刀で応戦できないことはないのだろう。
(もう少し、頑張ればっ!)
「……微温い」
「!?」
先端を尖らせた黒い矛が前方から六本、こちらを睨んでいる。
(やばい! 距離を……)
慌てて下がったが、空中では自由が効かなかった。
黒い矛は一斉に星来に襲い掛かる。不意打ちに星来は雷を発することができず、碧瑠刀で防いだが、それもせいぜい二本。防ぎきれなかった矛は星来の体を切りつけた。
「う、ぁっ!」
星来はみるみるうちに地に吸い込まれるように落下し、その体は地に叩きつけられた。
(痛、い……)
初めてあんな凶器で切りつけられた痛み。もちろん、中つ国で美術の時間に誤ってカッターで自分の指を切ってしまった時よりも、比べものにならないくらい痛かった。
(血……)
右腕の傷跡から流れる、血。これが無くなれば、人は死ぬ。
(やだよ……死にたくない。誰か、止め……)
ここには、誰もいない。自分の味方をしてくれる人は。攻撃してくる人はいても、守ってくれる人はいない。
(そうだよ。もう、いつまでたっても甘えたままじゃ、だめ!)
ビュッ!
「っの!」
星来は横になったままの体を転がして、落ちてくるように襲い掛かってきた矛を避ける。そしてそのまま手をついて、立ち上がった。
(痛い、痛いよ……)
見てみれば、脚もさっきの一撃で傷だらけになっている。見るだけで、全身に痛みが伝染しそうだ。
(自分を見るんじゃない。敵を、見なきゃ……)
星来は顔を上げて、傷の痛みを歯を食いしばって耐えながら、黒い靄に包まれて宙に浮かぶ晟夜を見据える。
(どうやったら、攻略できるかな)
一撃であれを破ることはできない。だからと言って、下手に押し合いを続けていれば、今のように別の方向から黒い矛にやられる。防御も完璧。攻撃も完璧。それでも、どこかしら崩せる箇所があるはず。
(……難しく考えないで、ちょっと簡単に考えたらどうかな? そうだ……)
星来はもう一度、碧瑠刀に雷を纏わせて構える。晟夜も気配を感じ取り、再び戦闘体勢に入った。
(どうか――!)
ありったけの力を脚に込めて、空に突っ込むように星来は跳躍する。その碧瑠刀を握る手にも血がにじむくらい、ありったけの力を込めて。
「はあぁぁあっ!!」
星来が碧瑠刀を振りかざすと、晟夜もスサノヲを振るう。二つの剣はぶつかり合い、雷と黒い靄が弾けて押し合いが始まる。
(腕がだめになっても、負けちゃだめ……!)
腕が微かに震えてくる。疲労からくるものなのか、敗北の恐怖からくるものなのか、あるいは両方か。でも、今の自分にはそんなものは二の次。
方や、晟夜は無表情。ただそれは、とらえかたによっては余裕の笑み。
(愚かだな。また同じ手にかかるつもりか)
晟夜は黒い靄を繰り、六本の矛を模らせる。星来は押し合いに必死なのか、それに気付いていない。
(消えるがいい!)
バチッ!!
黒い矛が星来を突き刺そうとした途端、矛の方が弾け、破片が飛び散った。
(なるほど。見えない程度の雷の壁を張ったか……)
全く能力が使えず、戦えない無能な蒼尊だと聞いていた。だが、この蒼尊の中の何かが力という力を呼び覚ましている。
「絶対、負けない!!」
星来は先輩に頼ってばかりの自分を捨て去るように叫んだ。すると、碧瑠刀の方が押し始める。
(大丈夫……勝てる!)
「それで、勝てたつもりか?」
黒い靄が急激に増幅し、翼のように広がるとそれが一斉に星来にではなく、碧瑠刀にスサノヲもろとも凝集される。
「えっ? なんなの……?」
離れようとしても離れられない。そのうちにどんどん碧瑠刀が圧縮されていく。その碧瑠刀の気持ちが伝わるように、自分も少しずつ苦しくなってくる。
その時、やっとこの行為の目的がわかった。
(まさか……! やば……)
パキッ――
碧瑠刀の青い刀身が、儚く折れた。
「え――」
碧瑠刀の折れた先だけが、死んだように落ちていく。
星来は呆気にとられてしまい、黒い靄がスサノヲを包んで巨大な刃になっていることに気付くのが微かに遅くなってしまった。
「きゃあっ!」
どうにか身を捩って躱そうとしたものの、体を両断されなかっただけまだいい、というくらいで黒い刃は深々と星来の体を切り裂いた。
「うっ……あぁぁっ!」
痛い、じゃすまされない痛み。息ができなくて、苦しい。
星来は結界の端まで跳ね飛ばされ、背中から強く地に叩きつけられた。体の中のものがでてきてしまいそうな感じがする。
(苦しい……)
右手に握り締めていた碧瑠刀を見ると、悲しいほどに刀身は折半されていた。これではもう剣としては使えない。少し視線をずらすと、流れ出た自分の命とも言えるものが草を赤く染める。
(もう、だめ……これじゃあ戦えない)
攻撃する力を同時に二つも失ってしまった。下手したら、もう生きて帰ることもできない。星来の中に思いを寄せる先輩の顔が浮かぶ。
(戦えない、よ。凌雅……蓮……)
戦えない?
どうして?
――まだ、雷の力があるのに?
「諦めるもんか……」
星来は碧瑠刀の柄を投げ捨て、立ち上がる。血が流れようとも気にしない。
「ほう。まだやるか。そんな状態でも」
「だって!」
悔しかった。一瞬でも自分に負けそうになった自分が。目に涙が溜まるのも、きっと悔しさのせい。
「いつまでも、こんな自分は嫌だ!!」
星来の頬に、涙の軌跡が描かれた。
その刹那。
多数の硝子が一気に割れたような音がし、その直後、急に景色が明るくなった。
それは結界が砕け散ったからだった。
星来が見上げると、上空に火の粉が舞っていた。
(火……)
星来が視線はそのままに体を返し、そこに見たのは。
あの日、見たのと同じ、赤い麒麟に騎乗した、赤い騎士。
「どういうことか、説明してもらおうか! 宗蓬院晟夜!」
火の粉を纏った華焔刀を前に突き出したまま、蓮は驚いた様子も無く、暴怒の形相でその手に握る華焔刀より鋭く睨みつけた。その表情は星来ですら見たことが無かった。
「やっと来たか。緋尊、蓮」
言葉が続く前に、蓮は華焔刀から炎の螺旋を放つ。それは晟夜の顔のすぐ傍を通過する。
「黙れ。質問に答えろ」
蓮は緋炎を駆り、地に降りてボロボロになった星来を心配する。
「れ、ん……」
「大丈夫? な、わけないよね。こんなに傷だらけになるまで……」
血だらけになった星来の頬を優しく撫でると、あるものに目を留める。
「泣いたの?」
星来が何か答える前に、蓮は星来を庇うように二人の間に立ちはだかった。
赤い戦士にこの上なく濃い殺気が渦を巻く。
「ふっ……四天士の仲間が愛おしいか」
「違うな」
蓮は巨大な炎弾を晟夜に放つ。晟夜は黒い靄の盾を作り、それを防ぐものの凄まじい爆発が起こる。
「後輩を泣かせた奴は、ぶっとばすと決めていた。それだけだ」