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第四章:楽師との出会い、家族の再会

 陽はまだ昇りきっておらず、巽の風は涼しさを伴い、爽やかに吹いていた。

 星来は首都、揖恕の町を風を受けながら歩く。町の人は蓮のおかげか、星来のことを奇怪なものを見る目付きで見ることはなかった。それどころか、笑顔で手を振ってきてくれる。

 今日は高天原に来てから胸が弾んでいる。ただ単に夏なのにこんな涼しい風が吹いているからかもしれないし、今日は初めて一人で高天原に来たので、小さい頃に一人で出掛けた時と同じ気持ちなのかもしれない。

 やがて見えてきた、噴水の中央に立つ、高天原の守護神の銅像。

(風源の塔……風奏真君)

 麒麟とも狼ともとれる守護神は、依然として雄々しく前肢を上げて柱の上で立っている。銅像でも漂わせる、風のつかさとしての威厳と風格。

「だって……寂しいと思わない? 独りで世を駆け巡り、独りで戦うなんて……」

 まるで隣にいたかのように、聞こえるはずのない蓮の声が聞こえた。すると、その時の蓮の寂しそうな横顔が、風奏真君の姿と重なる。この二人は堂々とした態度が似ている。でもこれはもしかしたら寂しい気持ちを隠した、表向きの表情なのかもしれない。

 星来は視線を下に移すと、そこに実際あるものとその名前との違いに気付く。

「どうして“塔”なのかな? “噴水”の方がいい気がするけど……」

「水の部分は結界の役割をしているに過ぎない。中つ国で言う、一種の古墳と同じ原理だ」

 見知らぬ女性が歩み寄りながら付け加えた。

 その女性は星来より顔一個分弱背が高く、長い髪は高い位置でしっかり帯を巻いてまとめられ、額には親指の爪二つ分ほどの大きさの、細長い雫のような形をした青い石に糸を通しただけの簡素な飾りをつけている。服はほとんど薄汚れた白い長套ちょうとうに包まれ、わからない。

 星来は日本史の資料集に載っていた、中でも堀に囲まれた古墳を思い出す。そういえば、確かに堀の意味について気になっていた。

 女性は説明を続ける。

「堀の水は世界を分けてるんだ。昔、天皇や尊い人は死して神になると言われていたから。同じように、墓じゃないけど、あの水はこちら側と神の住む領域“聖域”とを分けている。五帝に次ぐ神を」

「貴方は?」

 女性は星来の方を向き、微笑む。

「こういう時、場所でこんな馴れ馴れしく話しかけたんだから、気付いてほしかったな」

「えっ、じゃあ、暁……じゃなくて錫弥しゃくや? あぁ、そういえば」

 流れるような形の目に、長套の襟から覗く線の細い首も、暁のそれと同じ。唯一髪の長さだけが違う。

「この場で改めて。吟遊詩人“迦陵頻伽かりょうびんが”の錫弥」

「かりょう……って、何ですか?」

「高天原最高の楽師に与えられる称号。もっとも、これがつけられる歴とした基準はないけど。各国で噂になったら決りって感じ」

 事実、中つ国で聞いた笛の音は、とても繊細でなだらかで幻想的だった。高天原のみならず、中つ国でも最高位を誇ってもおかしくない。

「でも良かった。ちょうど私が巽にいる時で。じゃなかったら、絶対会えなかった」

 吟遊詩人――各地を旅行し、自作の詩を吟誦、朗読する者。薄汚れた長套が似合うのは、旅を経た故だからだろう。しかし、錫弥の整った中性的な顔と見比べると、ひどく不似合いだった。

「あとは、姉さんが……」

「すぐ近くにいる。ほら」

 錫弥は星来の後ろ側を指差す。星来もそちらに向き直ると、碧紗が息を切らせながら走って来る。王宮で着ていた官吏の着物と違い、一般人が来ているたもとのない中華風の着物を着ていた。

「ごめんなさい なかなか執務が終わらなくて……あら、錫弥じゃない!」

「ああ。久しいな。半年振りか?」

 二人はとても親しそうに話し始めた。一人取り残された星来だけが状況を飲み込めない。なぜなら、一ヶ所に留まり巽を治める太宰の碧紗と、各国を旅して歌を奏でる吟遊詩人の錫弥。共通することは何もないように思え、そんな二人がここまで仲が良い理由がわからなかったからだ。

 少しすると、話を一段落させて碧紗が星来に話す。

「錫弥とはね、巽に来たときだけだけど、すごく話すの。錫弥は色んなとこ行くから、どこの国がどういう政治を行っていて、国がどうなっているかも話してくれて。私はそれを参考にしている」

「巽は一番気を休められる国なのに、碧紗の質問攻めにはほとほと困っているんだけどな」

 二人は顔を見合わせてくすくす笑った。

「さてと。ちょっと遅くなっちゃったし、そろそろ行こう」

「あ、待って。あと一人……」

 星来は空を見上げた。あと一人、密かに呼んだ人がいるのだ。来て欲しいと願い。

 と、紺青の龍が空から飛来してきた。

「蒼氷?」

「うん。目的地までは、山越えがあるから」

 龍型の蒼氷は着地し、星来に向かって頭を下げる。さすがにこれは揖恕の人達の視線を集めた。

(やっぱり、きれいだなぁ)

 最初の頃は、蒼氷を見ても何も思わなかったが、今はとても優美に思える。中つ国じゃ、どこ探しても絶対に見られない美しさ。もとより、龍なんて中つ国では見られない。そのことも除いても。

 いつまでも黙ったままの主に、蒼氷は少し顔を持ち上げる。

「星来様?」

「あ! ご、ごめん。えっと、ちょっと乗せてってくれる?」

「御意」

 蒼氷は再び頭を下げた。碧紗と錫弥も乗せてもいいか訊こうとすると、先に碧紗が口を開く。

「じゃ、星来は蒼氷ね。郊外に天虎を待たせてあるから、私はそれで行くわ。星来の為に二頭連れてきたんだけど、錫弥、どう?」

「どうも何も……いないと私だけ山越えできないじゃないか。それじゃ、星来は先にゆっくり飛んでてくれるか? あまり速いと高天原で最速の獣でも追いつけなくなるからな」



 蒼穹に、紺青の龍が一匹と、青毛の虎が二頭、それぞれ人を乗せて飛ぶ。

 追い風がずっと吹いてくれたおかげで、予定よりもずっと早く山越えできた。少し草原が続いたかと思うと、田圃や畑と農村を思わせる木造の家が立ち並ぶ集落が現れる。

 ここが希共。田圃では村の人々が一生懸命、手で農作業をしている。昔の中つ国もこういう光景が当たり前だったのだろう。

「星来達のお母さんは希共に住んでいるんじゃなかったのか?」

 希共に着いても降りようとしない二人に、錫弥は疑問を抱く。

「離れに住んでるから、これでいいの。あともう少し」

 集落を抜け、草原が代わりに現れた。細い一本道が蘭景の家と村を繋いでいるようだった。

 飛ぶことほんの数秒。畑の中にぽつんと一件だけ佇む木造の家と、畑で地を耕す女性が見えてきた。それを目安に、三人は自分が乗っている獣を下降させていく。女性は下降してきた獣達に気付き、驚いていたようだが、それに乗っている人達を認めると、自ら近寄る。

「母さん……!」

 十六年振りの再会に、碧紗は居ても立ってもいられなくなり、天虎の足が地に着く前に自ら飛び降りてよろめきながら女性、蘭景の方へ走っていく。

「母さんっ!!」

「碧紗!!」

 蘭景は鍬を投げ捨て、飛び込んできた娘を抱き締める。

「十六年間、母さんの、こと、忘れて、しまって、いたの……ごめん、なさい」

 嗚咽が混じり、そう言うのがやっとだった。そんな碧紗を蘭景は優しく頭を撫でる。

「碧紗。良かったな。お母さんに会えて」

 錫弥が天虎から降り、星来と人型に戻った蒼氷と共に歩み寄る。

 碧紗は涙を拭い、振り向きながら頷いた。蘭景は錫弥を見て、一瞬だけ眉をひそめた。

「あら、星来も蒼来ていたのね。でも、そちらの方は?」

「……初めまして。錫弥と申します」

 錫弥は気品ある物腰で会釈した。すると蘭景は笑い、

「碧紗と星来の友達ね? どうぞ、何の御構いもできませんが……ゆっくりしていってください。碧紗。星来。お母さん、まだ畑仕事があるからね、それが終わったらゆっくり話しましょう」

「あ、手伝うよ。昔みたいに。いいよね? 星来」

 星来は少し躊躇った。昔といっても、星来にはその“昔”の記憶がない。

(ううん。何考えてんの。ただ手伝うだけなんだから……)

「うん。でも何すればいい?」

「向こうに小さい頃、貴方達がよく遊んでいた畑があるから……碧紗なら覚えてるでしょう? そこを耕してほしいの。裏の物置に鍬があるから」

「わかったわ。行こう」

 碧紗は星来を連れて物置に向かった。蒼氷も蘭景に一礼してから追う。

 その場に残ったのは、蘭景と錫弥。今さっき会った人達としては、やけに気まずい雰囲気があった。

 三人を見送り、今まで見せたことのないような形相で錫弥が口を開く。

「……どうしてわざわざ、別の畑に行かせたのです。同じ畑を共に耕せば良いのに」



 星来と碧紗は物置から鍬を取り出し、雑草が所々生えている畑の前に立った。蒼氷も自分を養ってくれた蘭景に恩返しがしたいのと、主がやるならと言う理由で鍬を持った。

 畑の広さは中つ国にある星来の学校の教室と同じくらい。三人でやれば、きっとすぐ終わる。

「じゃあ、私はここからやるから、星来はそこから。蒼氷はその向こうのそこから。いいわね?」

 碧紗が指を差しながら説明する。

「わかった。頑張ろーっと」

 二人は碧紗に指示された位置につき、鍬を振るい始める。

 先が鉄の鍬は、思ったよりも重く、振り下ろすと相当負担がかかる。でも自分は蒼尊だから、力を発揮すればいくらか楽なはず。

(貴重な体験なんだから、楽しみながらやろう)

 中つ国では、絶対にこんなことはできない。星来は耕すことだけ考えた。

「……昔はね、私達は全部木でできた鍬でね、遊ぶようにこうやって耕していたのよ」

 碧紗が農作業と無関係だった、空白の十六年間をものともせず、手馴れたように耕している。

「私はどうだった?」

「まだ小さいのに、私に負けないくらい一生懸命、大きな鍬で耕していたわ。あの時の星来、本当に可愛かったんだから。もちろん、今も十分可愛いけどね」

 碧紗は笑いながら耕す。よく見れば、もう星来の二倍近く耕していた。隣の蒼氷も十六年間、蘭景を手伝っていたのか作業が早い。

「でももう、時間は戻らないのよね。すごく、悲しい」

 鍬を振り下ろすと、そのまま手が止まった。

「だから、こういう時にいっぱいその時間を埋めたいと思うの。星来も蒼尊としての務めもあって忙しくなると思うけど、付き合ってほしいな」

 星来も一旦手を休め、碧紗の方を向く。双眸は微かに潤んでいた。時を失うのは、何を失うよりも悲しい。星来もそれはわかっていた。

「……うん。これからも私の姉さんでいてね」

「ありがとう。星来。さ、続き続き」

 再び作業に取り掛かった。

 空白の時間を、掘り起こすように。



「終わったよ! 母さん!」

 碧紗は星来の手を引いて、もう片方の手を振って大声で言った。蘭景も作業を終わらせていて、鍬を杖代わりに手をついている。錫弥も手伝っていたのか、片手には鍬がある。

「お疲れ様。手は大丈夫?」

「うん。でも久しぶりにやったから、ちょっと痛いかも」

 それでも碧紗は笑っていた。星来もそれを見て、作り笑いをする。

 星来が素直に笑えないのには理由がある。それは、まだ蘭景を母親と認められていないこと。

 碧紗は姉だと認めることができた。それに便乗して蘭景も母親だと認められるように努めたが、どうしても心の奥底で否定が生まれ、無理だった。星来の母親は中つ国にいるあの人のみだと。だからと思い悩む顔をすれば、蘭景や碧紗に心配をかける。それが嫌で無理矢理笑顔を作った。

「あ! そういえば、長老のところへ行くの、すっかり忘れてたわ」

 蘭景は突然口を開き、困った顔をした。

「何かするんだったの?」

「これから植える種を貰ってこようかと。でも明日でいいわ。せっかく碧紗と星来が来てくれたんだから」

 そう言って、蘭景は家に入ろうとした。

「あ、私が行ってきます!」

 星来が名乗り出る。もう一度、蘭景のいないところで色々考え直したかったから。

「でも、いいのよ? 気を遣わなくて」

「その……私、せっかく高天原に帰ってきたんだから、長老に挨拶したいし」

「だったら、私も行くわ。長老に会いたいし。星来も行くなら蒼氷も行くわよね?」

 碧紗も行くことに賛同し、蒼氷は頷く。蘭景は少しの間考え、うん、と頷く。

「そこまで言うなら、お願いするわ。長老によろしくね」

「任せて! 星来、行くよ」

 三人は長老の家に向かって歩き出す。道程は碧紗が覚えているだろうし、草原の一本道を歩くだけなので、まず迷うことはないだろう。

 本当に、草原以外に何もない場所だった。星来にはこの景色を見るだけで嬉しく、懐かしい。これが自分の故郷だと指し示す確かな証拠なのだろうか。それよりも気がかりなのは、母親のこと、蘭景のこと。認められなかったら、これは相当な親不孝だ。このままだと自分が嫌いになりそうで怖い。

「……あれ?」

「どうしたの?」

 星来は母親のことを考えているうちに、解決していなければ、触れられてもいない問題の存在があることを思い立った。

「私達のお父さんは……誰なの?」

「あ……」

 碧紗は戸惑った。あまり気にしたことがないから。それもそのはず。物心付く前から蘭景一人に育てられてきたのだから。

「私が生まれる前に、姉さんはお父さんに会ってないの?」

「会って……ないわ」

「じゃあ……」




 ちょうど、その時だった。




 星来は押し付けられるような重圧を感じた。本当に押し潰されそうな。思わず、膝をついて座り込む。そのうち息が苦しくなり、頬を汗が伝った。

 二人も星来の異変に気付き、慌てて近寄る。

「星来様!?」

「どうしたの!? 星来!!」

 苦しい。たまらなく、苦しい。

(なに……これ)

 ここまでではなかったが、つい最近にもこんな感じがするものに触れた。それは――魔物と対峙した時。

 ――じゃあ、これは。

 ――間違いない。

 胸を押さえて、碧紗の顔を見て、力を振り絞って声にする。

「姉さん、逃げて……!」

(これは、殺気!)


 その刹那。

 ドォン、と轟く地鳴りがし、辺りの景色が全て薄黒くなる。黒い硝子越しに見るように。

「こんなところで、暢気に農作業か。愚かな蒼尊らしい」

 冷たく低い声が空から降りかかる。息苦しさはいくらか和らぎ、星来は立ち上がって見上げると、宙に漆黒の長套を纏った人影が浮遊していた。

「誰っ!?」

 星来は戦闘体勢に入る。

 ――もしかしたら、こいつが碧紗を操った張本人かもしれない。

 いつだったか、中つ国で父親と七緒から聞いた名前を口にする。

「千宵!?」

「違うな。俺はそんな愚かな者ではない」

 黒い人影は着地し、腰につけていた鞘から剣を抜く。その刀身は、どんな眩い光でも飲み込んでしまうような、深い漆黒。

「俺にはこの世界での名はない」

 黒い人影は、長套を脱ぎ捨てた。

 同時に星来はその人影の顔を見て驚愕した。我が目を疑い、擦ってみるが目の前の現実は変わらない。

「そ、んな……!!」

 そんなことが有り得るのだろうか。高天原と中つ国での顔は、どんな人でも遺伝の関係で、多少は違うはずなのに。目の前にいる人は、全く同じだった。言い表すなら、中つ国の自分がそのまま高天原に来たように。




「宗蓬院……晟夜、先輩……!?」

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