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第四章:月光の下、風の少女

 それは、こんな夢だった。


 気が付けば、聖良は広大な草原の真っ直中にいた。

 一周見渡しても、若緑の草原とそれを覆う半球の蒼穹そらしかない。風に吹かれてそよぐ草の音だけが響く。

「ここ……高天原?」

 少なくとも風籟島にはこんな場所はない。北海道ならと思ったが、山がないのでその可能性はない。


 その時、ドサリと。


 聖良の目の前に何かが投げ出された。そちらに目を向けると、それは短い紅い髪を持つ人だった。それから推測される人物は、ただ一人。

「れ……ん……?」

 顔を見ようとした時、ある明らかな異変に気付く。

 目は固く閉ざされていて、地と接している片頬から草が赤く染まってゆく。顔だけじゃない。体全体がそうだ。

「そんなっ!」

 太く鋭い爪で胸をえぐられたような不安感を覚える。すぐにでも駆け寄りたいのに、足が固定されたように動かない。

 再びドサリと音がし、恐る恐るそちらも見ると、全身痛々しい程の傷を負った、凌雅、斗暉、尭宗。彼ら全ての顔に生気が見られない。

「そんな……ことって」

 聖良が涙を浮かべると、人の形をした黒い何かが、光さえも吸い込むような漆黒の日本刀を携え、不気味な印象を醸し出しながら近づく。それは、蓮を見下ろすと、容赦など知らないように刀を振りかざした。

 ――殺される。

「やめてぇぇぇっ!」

 悲痛な思いで叫んだ。

 ――どうして、どうして……。



 聖良は飛び起きた。息があがっていて、呼吸がうまくできない。ひどく実感のある夢だった。

 ――今の、寝言として言ってないだろうか……。

 煌燐の生徒は近くの宿泊施設に滞在することになっているが、晟夜、暁、綾乃の三人は、この個室寮を利用している。部屋は聖良の隣から三つ。しかも聖良の部屋と接しているのは晟夜の部屋。今のを寝言として発していて、晟夜に聞かれていたとしたら、明日の練習に出られない。出たくない。

「……こんな状態で、また寝られるのかな」

 それでも意地でも寝ようとした時。



 ――…… ……。



「笛の……音?」

 高く澄んだ、触れれば壊れてしまいそうな繊細な音。リコーダーでもフルートでもない。とにかく聖良が今まで聞いたことのある、どの笛の音にも当てはまらない。それどころか、それを笛と呼んでいいものかでさえ、分からなかった。

(でも、誰が?)

 この、風が囁くような音色。一体どのような人が奏でているのだろう。気になるが明日は早い。でも――

「どちらにせよ、寝られないから、いっか」

 ベッドから降り、ジャージに着替えてから、そっと静かに部屋を出た。




「と、まぁ、出たものの……」

 寮の外に出てみたが、音が流れてくる方向がわからない。普通ならある程度の方向はわかるのに、この音は分散されたように様々な方向から聞こえてくるように感じる。このことからして、やはりこの笛と演奏者は只者ではないだろう。


 ヒュオォオ……


 そよ風が滑るように吹いた。

 陸風だ、と思ったその直後。今度は木々で遮られているはずの海から、打ち寄せる波のように風が吹く。

(普通、そんなすぐに交互に吹かないでしょ……)

 そう自分に言い聞かせた後、とても懐かしい感じがした。どこの、どういうところが懐かしいのかは分からない。そのうち、これは笛の音が引き起こすものだと思えてきた。関連づける根拠はないが、そんな予感がする。

「行くだけ……行くだけ行ってみよう」

 聖良はこちらと海岸を分ける林へ向かう。こんな真っ暗な時に林の中に入るのは危険だが、そこは真っ直ぐ十歩進めば出られるほど小さいので、迷うことはまずないだろうと判断したからだ。

 月光がほのかに木や葉の影を落とし、笛と波の音が静寂を強調する。ガサガサと茂みを進む音が、一段と際立つ。

 聖良は海岸に人影を認め、音を立てないように茂みに隠れながら覗く。

 海側に顔を向け、舞う木の葉のような軽やかなステップを踏みながら横笛を奏でる後ろ姿。風さえもが聞こうと集まり、その人を包むと漆黒の髪がふわりと浮く。細かな指先の動きさえもが神秘的な空気そのものだった。

「だれ……?」

 その人がくるりと一本足で回ると、それが誰だかやっと分かった。

「暁先輩っ? ……ひゃっ!」

「誰だッ!」

 聖良は身を乗り出すように見ていたので、とうとうバランスを崩して倒れた。

 暁は演奏を止め、表情を険しくして警戒する。暁に向かって吹いていた風もピタリと止まった。

(やばっ! 怒られ……いたっ!)

 逃げようとしたが、茂みの枝に髪が引っ掛かってしまったらしく、頭を動かすと痛い。外そうと手を動かすと、茂みがガサガサと動き、暁に居場所を教えていることなど、あまりの必死さに気付かない。奮闘するが、どうしても外れず、戸惑っていると頭上でガサリと音がして、頭は動かせないので、視線だけを上げられるだけ上げる。暁が茂みを手でどけて、こちらを見ていた。

「君は……明華の剣道部の」

「こ、こんばんは。剣道部部長代理、新堂聖良です……」

 何言ってるんだろう、自分は、と思いながらも、聖良は引きつった顔で苦笑いした。極限まで追い詰められて、かえって笑ってしまう。対し、暁は眉一つ動かさない。怒っているだろうと推測した聖良は、ぎこちなく笑いを止める。

 ややあって、ようやく暁が口を開く。

「立たないのか?」

「えっと……枝に髪が」

「あぁ。どれ。動くなよ」

 暁はしゃがんで、絡まりをほどき始めた。手元が見えない聖良だと、あんな奮闘しても駄目だったのに、暁がやると三つ編みをほどくのと同じくらい、さっさと簡単にほどいてしまった。

「あ……ありがとうございます」

「こんな夜中にどうした。夜の散歩か?」

 聖良は立ち上がり膝についた土を払って、足早に立ち去ろうとする前に質問をされてしまった。その時、ふと暁の片手に握られている笛を見た。

 長さは中指の先端から肘までの長さはより少しあるくらい。フルートよりは短い。この上ないくらい白い笛には、所々華美過ぎない宝玉の装飾が施されている。

 重くないのだろうか、と思ったと同時に、質問されていたことを思い出す。

「ちょっと起きちゃって。そしたら笛の音がしたので、どこから聞こえるんだろうと」

「そっか。ごめんな。迷惑だっただろ」

「いえ! そういうことではなく……」

 聖良は顔の前で両手を振った。暁は表情を変えないが、いくらか柔らかくなっていた。

「これから戻るのか?」

「あ、えっと……」

 考えていなかったので、咄嗟に返事が出ない。言われてみれば謎の答えはもうわかっていた。

「一緒に涼まないか? ずっと独りで笛吹いてて、ちょっと人が恋しくなってきたんだ」


 独りで――


 いつだったか、そんなフレーズを聞いたことがあった気がする。人と接していれば、飽きるほど聞く一言なのに、なぜか気になる。前の時にこう、何かの説明の後に、寂しそうに――

「どうした?」

「なんでもないです! あの、涼みます!」

 暁は背を向けて海岸の岩場へ歩くと、聖良も茂みから出て、ついていく。

 月光が朧気に海岸を照らし、朧気な影が岩場に落とされる。

「不思議だと思わないか?」

 暁が夜空に浮かんだ満月を見上げながら、呟いた。

「この光、本当は太陽のものなのにさ、月一つ隔てるだけで、こんなにも淡く幻想的な光になるんだ」

 そう言えば、と聖良は納得した。月は自ら光っていない。太陽の光を受けて輝くから。鏡が光を反射するのとは違い、あんな明るい光が月を隔てただけで、こんな優しい光に。それは鏡と同じくらいの反射をする力がないからかもしれないが、やはり不思議だった。

「ほら、こっちだ。この岩、意外と座り心地いいぞ」

 暁は大きく平べったい岩に座って手招きする。促されるまま聖良は座ると、ひんやりとした岩の感触が心地良い。

「その、さ……ごめんな」

 いきなり謝られ、聖良は目をぱちくりさせる。

「ほら、寮で皆集まった時。私、すごくキツいこと言ったじゃないか。ごめん。知らず知らずのうちに、なんと言うか……晟夜っぽいとこが出て……」

 暁は申し訳なさそうに、しゅんと肩を落とした。怖い印象が根付いていた聖良にとって、それは意外で目を丸くし、動揺してあたふたとする。

「あの、その、えっと……そんなに気にしてませんから。大丈夫です」

「無理なんかしなくていい。気が済まないなら、殴ってくれても」

「違います!」

 思わず怒ったように言い放ってしまい、聖良は身を縮めた。ちらっと暁を向くと、既に対面式の時のような堂々とした表情はなかった。そして微かに笑い、一言。

「……ありがとう」

「お礼だなんて、そんな」

 暁はより一層、にこやかに笑う。

「優しいな。あんな兄じゃなくて、こんな優しい妹が欲しかったのにな」

 そう言った暁の顔も優しく変わっていた。そんなところが本当に七緒にそっくりだ。

「聖良って呼んで構わないか? 私のことも呼び捨てにしていいし、敬語もいいから」

 似ているついでに七緒先輩と同じこと言うんだな、と聖良は思った。

「呼び方は構わないんですが……私は」

「じゃあ言い方を変える。この合宿期間だけ、姉妹になるっていうのは」

「姉妹、ですか?」

「そう。まぁ、姉妹とするなら、こんな似ても似つかないけどさ」

 失笑する暁を見て聖良は目を伏せて考えた。

「分かりました。暁、でいいんですね」

「うん。なんか、嬉しいな」

 二人は顔を見あって笑った。

 聖良はさっきいだいた疑問を暁に投げ掛ける。

「そう言えば、暁の笛……なんて言うの?」

 ああ、と暁は笛を持ち上げる。持ってみるかと差し出すと、聖良はそれを受け取った。

 予想よりもずっと軽い。それどころか、全く重さを感じない。目を瞑っていれば手に笛があるなんて思えないほど。笛に埋め込まれたぎょくが月を映し、静かに輝く。

「“風籟ふうらい”って言うんだ。高天原指折りの秘宝」

「風籟って、この島の名前と同じ……」

「そう。こいつも喜ぶかなって思って、吹いてみたらいつもよりずっと音の伸びが良かったんだ」

「へぇ……。この埋め込まれている石は?」

「正確に言うと石じゃないけどな。瑠璃るり翡翠ひすい瑪瑙めのう珊瑚さんご玻璃はり。控えめな輝きがかえっていいだろ」

 聖良は風籟の音を暁に返した。

 自分も吹けるようになったら、と思ったが、手に持った瞬間、悟った。これは暁にしか吹けないことを。

「んーっ……やっぱここは星が良く見えていいな。東京はこの半分くらいだ」

「話は聞いてたんですけど、やっぱりそうなんですか?」

「ああ。東京は夜でも明るい。人工の光が邪魔して、自然の光が見えやしない」

 暁は星空に手をかざした。そうすると、なんだか星が自分だけのものになった気がするのだ。

「皆とは、七緒達とはうまくやってる?」

「え?」

「あ、いや。そんな深い意味はないけどさ」

 暁は手を引っ込めて、聖良の方を向いた。しかし、聖良は視線を逸らすように俯いてしまった。

 うまくやっているか、と訊かれたら、肯定できる状態なのかもしれない。

 七緒先輩も同じこと訊かれたら、肯定するかもしれない。

 でも――


「……私、自分が嫌い」

 予想だにしなかった返答に、暁は眉をひそめた。

「蒼尊のくせに、能力一つ満足に操れない」

 ここ最近どうだろう。

 自分が仕留めた魔物の数と、七緒先輩、即ち蓮が仕留めた魔物の数。比べてみて、なんと言えばいいのか。

「皆の足引っ張って。私なんか、全然役に立たなくて……」

 目が潤む。ずっと悩んでいたことを溜め込んで、つらかった。いなくなってしまえばいいのに。何度思ったことか。

 すると、暁は後ろに手をついて、空を仰いだ。

「ジグソーパズル、って知ってる? 知らないわけないよな」

 何を言い出すんだろう、と思ったが、聖良はそっと耳を傾けた。

「思うんだ。パズルのピース一つ一つが人で、出来上がった絵がセカイ」

 海風が吹いて、暁の髪を揺らす。

「ジグソーパズルのピースって、四辺に必ずへこみとでっぱりがあるじゃないか。同じように見えて、実は特定のピースじゃないと合わないんだよな」

 投げ出した足をぶらぶらと宙をかく。

「で、ピースのへこみやでっぱりが、人のいいとこや悪いとこだ。絵になるには、必ず誰かが自分の凸凹おうとつを必要としてる。逆言っちゃえば、自分の凸凹がないと誰かは絵……世界に入れないんだ」

 暁と聖良は同時に互いを向き、顔を見合わせた。

「聖良はへこみが戦えないとこなんだな。でも七緒がちゃんとカバーしてくれて、ちゃんと世界を成しているじゃないか。きっと、同じように聖良の優しさを求めてる人がいる。私かもしれないが」

 暁の温かい手が聖良の頭に乗せられた。

「だから、気にすることなんてない。自分なりに頑張っていけばいい。七緒は絶対認めてくれる。そんな人なんだからな」

 ――ずっと、その言葉が欲しかった。

「強かったな。辛かっただろうな。誰にも弱音を言うことなく、一人で受け止めて」

「うっ……うぅ……」

 溜め込んでいたものが、一気に涙として流れ出た。

 近くにいた人だからこそ、言えないことがあった。

 だからと言って、あまり親しくない人にも言えない。

 今日、暁が来てくれて、良かった。本当に。

「そうだ。聖良の為に即興で曲を奏でてみようか。心が休まるように」

 そう言って、暁は風籟の音を構え、吹き始める。聖良は膝を抱え込んで目を閉じた。

 さっきの曲と違い、緩やかな音の繋がり。慰め、と言う言葉がぴったりだった。綺麗な音色。なだらかな旋律。

 風が、再び集まってくる。

 ――大丈夫だよ。

 ――泣かないで。

(……うん)

 いつもなんの変哲のない風音が声に聞こえて慰めてくれる。

 暁は風の精なのかもしれない、と聖良は思った。

 なんらかの形で、人間の形をしているだけで。そう思いながら、風籟の音で唄を奏でている暁の横顔を見ていた。

「ねぇ、高天原での名前はなんて言うの? 私はセイラって言う名前は同じで、でも漢字は違って、星が来る、って書くの」

 暁は口から風籟の音を離し、風と月光が似合うような微笑みを浮かべ、答える。

「……錫弥だ。シャクヤ」

 そして再び風籟の音を奏でた。


 夜空と静寂の下、幻想の旋律が響いていた――。

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