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二つのプロローグ:高天原のプロローグ

 中つ国の少女の記憶が一旦途切れる、十六年前の話。


 中つ国の蒼穹そらにあり、この世界には存在しない世界、高天原たかまがはら。そこは真ん中の八つの角がある星のような島を中心に、様々な形をした島国が花弁のように広がっているような地形。

 九つに分かれた島のうち、東南に位置する島国、巽国そんこく、そのうちの最東端に広大な土地が広がり、山で西側を遮られた村、希共ききょう。風景は江戸時代の日本の農村を思わせる、何の変哲も無い村が始まりの舞台。


 希共は四年前まで凶作続きで、寂れかけたいた。村の人々は山を越えて、別の村へと行ってしまい、瞬く間に人口は減っていった。

 そして、この危機を救ったのは四年前のある少女の誕生。

 その少女の名は、ずい 星来せいら

 この国の人間は、高天原を治める五帝ごていと呼ばれる五人の神を除き、中つ国と同じように黒い髪と黒褐色の瞳を持つはずなのだが、少女・星来の髪と瞳は空の色をそのまま切り取り、張り付けたような色だった。

 おまけに、四歳だと言うのに、知能はすでに十歳ちょっと並にあった。

 もちろん、幼い星来にとって、それが特異なこととはわからない。何せ生まれつき、こんな感じだったから。


 あけ色に染まる、村の風景。春の暖かさは夕方になると薄れ、ほんの少し肌寒い。まだ“涼しい”と言って片付けられるほどの気温。

 田圃の中の道をある姉妹が走る。妹と見える、後方を走る少女の髪と瞳は、蒼い。

「星来! 早くおいでよ!」

 星来を呼ぶのは十一歳の姉、碧紗へきさ。星来自身も村では有名だったが、姉妹の仲の良さも同じくらい有名だった。

 星来は彼女なりに一生懸命ちょこちょこ走り、息を切らせて前を行く姉を追いかける。

「お姉ちゃん! 速いよぉ……」

「今日は早く帰ってきなさいってお母さん、言ってたじゃない。ちょっと帰りに川で遊び過ぎちゃったなぁ」

 朝、近くの家で畑仕事を手伝いに行く時、早く帰ってきなさいと母親に言われていた。その言いつけはちゃんと覚えてはいたのだが、川に久しぶりに魚が泳いでいるのを姉妹で見つけ、そのまま川遊びに没頭していたのだ。

 碧紗が妹を気遣いながら家に辿り着くと、家の前に母親ではない女性が立っていた。

 ただの人ではない。彼女の髪の色は燃える赤色。近くで見ると、瞳も赤色だった。それでも碧紗は星来のせいか、そんなに驚かなかった。

 女性は姉妹に気付き、振り向くと優しい口調で訊ねる。

「瑞 星来の家はここかえ?」

 すると星来が碧紗の影にやや隠れるようにして答える。

「うん。私が星来で、ここがおうち」

「星来がそなたなのはわかる。……見事な色じゃ。良い蒼尊そうのみことになるじゃろう」

 女性は屈んで星来の髪を手で梳いた。

「あの、どちら様ですか?」

 碧紗が尋ね、女性が答えようとすると家の戸が開く。出迎えたのは彼女らの母親、蘭景らんけい

朱夏しゅか様。ようこそおいでなさいました。どうぞ中へ」

「よい。あがるほど話は長くない」

「ですが、そういう訳にもまいりません」

「ふむ。では、お言葉に甘えようかの」

 蘭景が深々と頭を下げると、朱夏というらしい女性を中へ入れた。

 その後に碧紗と星来が続き、碧紗が小声で蘭景に女性のことを訊く。

「お母さん。あの人は?」

 蘭景は碧紗と星来に耳打ちする。

「あの方は、赤帝せきてい・朱夏様よ。とてもお優しい方だから多少の無礼もお許しなさっていただけると思うけど、なるべく失礼のないようにね」

 赤帝というのは五帝の一人。これは蘭景から何回も聞かされた話だ。でも、なぜここに。

 碧紗は続いて訊ねる。

「どうして朱夏様が?」

「今から説明してくださるはずよ」

 帰ってきた二人も中に入れると、囲炉裏を囲むように座らせた。

 朱夏は背筋を伸ばし、正座して口を開く。

「さて用件じゃが……星来が四天士の一人、蒼尊なのは知っておるな?」

「してんし? そうのみこと?」

 星来は首を傾げた。朱夏は優しく微笑む。

「五帝は知っておるか?」

「うん! 高天原を守ってくれる五人の神様のことでしょ?」

「さよう。四天士はその五帝に仕え、共にこの地を守る能力者。目印は我々五帝と同じように黒ではない、髪と瞳」

 星来は改めて、確かめるように肩まである蒼い髪を摘んで色を見た。

「星来は蒼い髪と瞳を持つがゆえに将来、蒼帝・陽春ようしゅんに仕えることになるじゃろう」

「ふぅーん……」

「こら! 星来!」

 星来が赤帝相手にそっけない返事をしたので、蘭景は控え目に叱る。朱夏は今のやりとりがおかしかったのか、くつくつ笑う。

「よい。五帝に普通の者と違い、多少気安いのは四天士の立派な素質じゃ」

 それでも蘭景は申し訳なさそうな頭を下げた。

「さて本題じゃが、四天士には決まって一人、守護獣がつく。私が陽春に守護獣、蒼氷そうひを向かわせるように言っておく。明日の昼には着くじゃろう。紺青の龍、または紺青の髪をした長髪の男が蒼氷じゃ。……二つの姿を持つ。伝えたかったのはそれだけじゃ」

 朱夏は立ち上がる。それに合わせて蘭景も立ち上がった。

「すみません。お茶も出せず……」

「よい。茶を飲みに来たのではないからな」

 朱夏がくつを履こうとすると、星来が立ち上がって朱夏の方へ近寄る。

「帰るの?」

 朱夏が振り返ると、真っ直ぐな星来の瞳がこちらを見つめている。その瞳の澄みきった色といったら。

 ――この子は、本当に良い蒼尊になることだろう。

「そうじゃ。また会おう。蒼尊よ」

 それだけ言って、家を朱夏は出ていった。



 翌日に待っていたのは、守護獣ではなく思いがけない悲劇の訪問だった。

 朝日が昇る前の早朝。希共は山賊の襲撃を受けた。。やっと芽吹いた作物も、全て火が食い尽くしてしまってしまい、緑色の草木の絨毯は火の海と化している。春の早朝は涼しいはずなのに、歓喜に酔ったように踊る火の暑さで汗がじんわり滲むほど暑い。

 星来達も家に火を付けられ、三人は逃げ惑っていた。

「お母さぁん……」

 碧紗と星来は怯え、離れないように蘭景の着物の裾をしっかり握った。

「いい? 絶対にお母さんから離れたら駄目よ」

「いたぞ! 蒼尊のガキだ!」

 山賊は星来を見るなり束となって向かってきた。

「こっちよ! 走って!」

 蘭景は碧紗と星来に縮こまる暇も与えず、手を引っ張って走り出した。

 足の速さは、子供を二人連れていることもあって山賊の方がずっと速いが、土地鑑は星来達の方が良かったことが幸いし、どうにか追い付かれてはいなかった。それでも、いつこちらが息切れして追いつかれるかわからない。

「お母さん……怖いよぉ」

 碧紗は顔を赤らめ、べそをかいている。

「お母さんだって怖いわ。でも今は逃げなさい」

「でも……あっ!」

 突然、碧紗が木の根に足をとられた。

 足を前に踏み出せば転ばずにすむ、と思ったが、踏み出した足を滑らせ、転んだ。


 ――否。崖から転落してしまった。


 碧紗は悲鳴と共に一瞬にして、母親と星来の前から姿を消してしまった。

 思わず二人は足を止める。

「お姉ちゃん!」

 走らなければいけない状況を忘れ、崖まで様子を見に行こうとする星来の腕を母親が強く掴み、引き寄せる。

「星来! 今は逃げなさいって言ったでしょう!?」

「でも!」

「お姉ちゃんはきっと生きてる。大丈夫よ。星来が死んだらお姉ちゃんも死んでしまうわ」

「……うん」

 星来は大声で泣き出したい気持ちを抑え、再び走り出す。

 強く星来を制止した蘭景の頬には、かすかに光る一筋が描かれていたのを星来は見ていた。


 林を走り抜け、やっと砂浜に着くと、水平線から朝日が顔を覗かせていた。

 この砂浜は希共の秘密の場所。来るには蘭景達が通った道を通るしかなく、少しでもそれから外れば崖があったり、鬱陶しい林に捕まり方向感覚を奪われる。

「ここまで来れば大丈夫よ」

 母親にそう言われても、星来は碧紗のことでいっぱいになっていた。

 ――四年間、いっしょだったのに。

 それが一瞬に。ほんの一瞬の間にいなくなってしまった。大事にしていた人形、川の近く摘んだ綺麗な花。林で拾った珍しい形の石。どれを無くした時よりも比べものにならないほどの喪失感が胸に残る。

 と、その時、不意に右腕を強く捕まれ、上にあげられた。

「捕まえたぞ! これで東の国も俺の物だ!」

 さっきの山賊達とまた別の大柄な男だった。

 星来は千切れそうな右腕の痛みをよそに、幼いながら瞬時に判断した。

 ――誘導されたんだ。ここに。

 ここは村人以外知らない、秘密の砂浜だから逃げるとしたらここだろうと予測したのだろう。だが、この男達は村で見たことがない。なぜこの場所を知っているのだろう。

 蘭景は気付き、怒った形相で男に向かっていく。

「その子に触らないで!」

 ぴしゃり、といかにも痛そうな音をたてて平手打ちで男の腕を叩くと、星来の腕を掴んでいた手が開き、その隙に星来は男から離れる。少し距離を置いて振り返ると、代わりに母親が胸ぐらを掴まれ、身動きがとれない状態になっていた。

「この女っ! なめたマネを!」

 一層険しい形相になった男は刃物を取り出し、高く掲げて切っ先を母親に向けた。

 その光景を、星来が黙って見過ごすわけがなかった

(お母さん!!)

 何かが、星来の中で弾けた



 ――やめて。



 星来は震えていた



――殺さないで。



 その感情は、怒りにも恐怖にも似ていた。あるいは両方が入り混じったものかもしれない。

 母親と重なる、姉の笑顔。もう見れない、笑顔。



 ――もう、何も私からとらないで……!!



 星来の頭の中に自然と言葉が浮かび、勝手に右腕が剣印を抜刀して唱えた。

「陽は定まり、天を成す。陰は定まり、地を成す……」



 それを唱えてはいけない……!



 どこからか声がした。星来はその声の主を知らない。

「色即是空、空即是色……」



 ――それを……


 再び、同じ声が頭の中で反響する。


 星来にはわかっていた。これを唱え終った時に、恐ろしい事が起こる。

 それでも口は意志に反し、なおも導くように唱え続ける。

「急急如律令……皆蝕乱狂かいしょくらんきょう!」

 唱え終わってしまった。よくわからないうちに悲しみが溢れて、それを表すように涙で目の前が滲む。


 ――何で、こんな事を。


 ――逃げて。


 地が予兆の如く、鳴動し始める。

「星来! こっちに……」


 ――お願い。お母さん。逃げて!


 そう叫んだつもりだったが、声にはならなかった。

 突然、景色が歪み、風が吹き荒び、海は荒れ狂い、地は大きく揺れ動く。

 男はおののき、手を離す。解放された蘭景はその場に蹲るようにして身を守った。背中を飛ばされた枝がひっかいていく。今すぐ星来のところに行きたいのに、何か強い力で押さえ込まれ、全く動けない。


 それは唐突に終わった。


 蘭景は顔を上げ、引っ掻き傷だらけの体を起こす。しかし、そこにいたのは蘭景ただ一人だった。目の前にいたはずの男がいなければ、星来もいない。

「星来? どこなの? 出てきなさい」

 大声で呼ぶつもりだったが、声が震えて話し声程度しか出なかった。

 ザザーン、と波の音のみの静寂が、否定を示したようだった。

「星来ーーーっ!」

 叫んでも、返答はなかった。


 世界は蒼尊を失ったのだ。


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