第三章:守りたいモノ、始まりの目覚め・前編
星来は聞き慣れない鳥の囀りで目が覚めた。
風籟島にそんな鳥、いたっけな、と考えたが、まず自分自身が今風籟島にいないことに気付く。
(一日交代で朝、迎えてる……)
中つ国と高天原で交互に朝を迎えている。聖良の感覚では三日経っているが、実際には中つ国では二日しか経っていない。変な気分だった。
鳥の声をかき消す、朝から威勢のいい蓮達の声も聞こえる。
「いーのか? 三人一斉で」
「構わないよ。どうせ魔物はそれ以上だし」
会話の内容から、早くに起きて庭で稽古を行っているのだろう。星来は二階の部屋から窓を開ける。蓮が凌雅達と対峙している。蓮の手には華焔刀、他の三人の手には疑似刀ではなく木刀が。
(凌雅……)
星来の目は意識せずとも自然とそちらを向く。凌雅は木刀を片手に二人と共に蓮と対峙する。
「あ、星来!」
最初に気付いたのは斗暉で、こちらを向いて手を振る。蓮も気付いて振り向く。
「おはよう。星来。眠れた?」
「あ、はい。私もすぐそっちに行った方がいいですか?」
「来てもいいけど、来なくても全然構わない。来るとしても急がなくていいし」
「じゃあ、今から行きます」
こんな返事をしたのは、先輩達がいるのだからと言う気遣いではなく、ただその場所に凌雅がいるから。これは自分でもわかっていた。
「はい、りょーかい。星来がこっちに来るまでに今日の鍛練、終わらせちゃおーっと……」
暢気そうな返事だったが、次に行われた鍛練は三人が一斉に襲いかかるという、真剣勝負だったためか、表情は真剣そのものだった。
星来は思わず感心して目を奪われる。
(おっと。こうしちゃいられないんだった。でも急がない方が? ま、いっか。歩いて行こう)
髪をすいたりと軽く身支度を整えてから部屋を出た。
「よっし。今日も快調、快調っと」
星来が庭に出る頃には、四人、否、ほぼ蓮自身のみの鍛練は終わっていて、あとの三人は同時に攻撃を仕掛けるという有利な条件だったはずなのに、座り込んで肩で息をしていた。
「蓮! お前毎度ながら手加減なさ過ぎなんだよ!」
「手加減の言葉も知らない魔物が相手の時は、そんなこと言わないのに?」
軽く嘲るか、挑発するように笑ってみせる。
「わーった。今度から魔物って呼んでやる」
「おっとぉ! 足が大幅に滑ったぁ!」
「いってぇ!」
蓮は自分の背後にいた、あぐらをかいて座っていた尭宗を後方回転蹴りで腹から蹴り上げられ、一歩分だけ吹っ飛んだ。伏したままの尭宗の苦悶の表情が、その激痛を物語る。
「李雪……いくらなんでも、ここまでやると、死ぬんじゃないのか」
「平気だって。打たれ強さと骨の強度は私のお墨付きだから」
「総将軍閣下にお誉めいただき、光栄に存じます……」
腹を押さえながら、棒読みで尭宗が呟いた。顔を持ち上げると星来と目があい、視線で助けを求める。
「なぁ、星来。あいつ、ひでぇよな?」
大人しい子だから同情してくれる――と疑わず思っていた。
星来は気を使ったのか、視線がある程度あうようにしゃがんだ。
「尭宗って、そんなんで本当に将軍職を務めているんですか?」
一瞬、星来以外の四人には何が起きたか理解できなかった。
「あははっ! やばい! 傑作!」
蓮が体を二つ折りにして笑い、尭宗は完全に落ち込んだ。凌雅と斗暉の二人は、尭宗を庇うどころか、明らかに失笑していた。
「あ! すみません! とんでもないことを……」
星来は言った後で、自分はどういう発言をしてしまったのかを理解し、狼狽える。
「いいって! あー、笑える。涙出てきた。斗暉。一応看てやって」
「もう。毎回仕事増やさないで欲しいね。……尭宗」
もう一度、尭宗が顔を持ち上げると斗暉は満面の笑みを浮かべた。
「将軍職のクビがとぶのと、尭宗自身の頸が飛ぶの、どっちが早いだろうね」
明らかに斗暉の周りがどす黒くなった気がし、ある意味、一種の麻酔を打たれた尭宗は、固まったまま斗暉の診察を受ける。
「うん。怪我として残るほどのものはないよ。……て、あれ?」
斗暉の前に細長い影が落とされた。その場にいた全員が空を仰ぎ、影を落とす者を探す。
青空に引かれた、蒼い線。
「蒼い、龍――蒼氷か?」
「蒼氷だって? 星来?」
蓮が見た、空を見る星来の横顔は。
――どこか、微笑っていた。
蒼氷は地に降りると、人型に姿を変えて膝をつく。
「只今、参りました」
「ありがとう。蒼氷、蓮達と一緒に碧紗さんを助けたいんだけど、力を貸してくれる?」
「星来……!?」
星来は振り向いて、決心を胸に秘めて頷いた。もちろん、それに至る理由は星来以外、誰も知らない。
蒼氷は星来の中で何かが動き、一つの蓋が開いたことを認め、要望を聞き入れる。
「致しましょう」
「――ありがとう」
「でも、本当にいいの? 数が多かったら、星来が危機状態になっても、僕らは助けに行けないかもしれない」
平気です、と星来は斗暉の心配、遠回しの制止を振り切った。
「決心は揺るがないんだね。わかった。じゃあ、蓮」
「うん。今日の作戦はまず宮中の人達も操られてることを想定し……」
「蓮様ぁー!」
「ぅわっ!?」
星来より少し年下の、昨日の朝に凌雅や斗暉が着ていたような着物を纏った少女が、猪突猛進と言わんばかりに全速力で蓮に突進し、抱きついた。蓮は勢いに耐えきれず、倒れるまではいたらなかったが、大幅によろめく。
「蓮様ぁ、聞いてくださいよぉ! 碧紗様が変なんですよぉ!」
「あーはいはい! わかったから落ち着きなさい!」
蓮は少女をなだめるように頭を撫でる。
「ケイカ。初対面の人がいるんだから、まず自己紹介しなさい」
少女は涙目で初対面の人を探す。
「あ……蒼尊……?」
その人は、本来ならば敬意を払わなければならない人物だったので、慌てて頭を下げる。
「こ、こんにちは! 姓は麗、名は慶果と言います! まだ十七歳なので字は無いです。えっと」
「私のお付きの女官だ。慶果、この人は星来。一番年が近いから仲良くね」
星来もぺこりとお辞儀する。慶果は十七歳と言ったが、随分幼く見えた。
「そういえば、碧紗がどうかしたのか?」
「そうです! 聞いてくださいよぉ、蓮様ぁ〜」
「また最初の状態……落ち着いて言いなさい」
慶果は蓮に促されて深呼吸をする。
「昨晩、碧紗様が突然、全官吏に宮外退去命令を出されたんです」
さっきまでの慶果の雰囲気と不釣合いな、まさかの報告に、その場にいた全員が呆然とする。
「もちろん、はい、そうですかと納得する人は少なくて。ここからは父に聞いたんですけど、徳官長が反論なさったら……」
早口だった慶果の言葉が急に止まる。
「碧紗様の影から、魔物が湧くように出てきたそうです」
「……ははっ。夏の夜の怪談話にありそうな話」
「余裕そうだな」
「焦りが極限まで達して、かえって余裕が出てきたよ」
蓮は引きつった頬を叩いて気を引き締める。
「宮内の人が操られていないことはわかったけど、代わりにとんでもないことがわかったね」
「でも、作戦は変えない。星来が行ってくれるなら、どうにかなる」
蓮と星来は顔を見合わせた。
「慶果は私達が使っていた部屋で待ってて。尭宗は揖恕と王宮を繋ぐ道まで一緒に来る。あとは王宮の向かって左側に行く」
星来、蓮、凌雅、斗暉、蒼氷の五人は王宮の左側に回り込んだ、離れたところに集まる。
「もう一度作戦を確認する。これから太宰の部屋に一番近い裏口から突入する。外の魔物は私と緋炎で食い止める。星来、凌雅、斗暉、蒼氷は碧紗のところまで行ってもらう。少しでも危機を感じたら、星来、君が碧瑠刀を通して私にそれを伝えてくれ。華焔刀が共鳴するから」
「わかりました」
星来は少し震える手で碧瑠刀を握り締める。その肩に斗暉は手を乗せる。
「心配することないよ。僕達がちゃんと守るから。それに蒼氷もいるわけだし。ね? 凌雅」
「あぁ。大切な仲間を失うわけにはいかない」
そっと、凌雅の顔を見た。
――それだけなのに、鼓動が速くなる。
(凌雅……)
――いつか、大切な“仲間”ではなく、大切な“人”になれたら。
「じゃあ、行くよ!」
「は、はいっ!」
五人は一斉に走り出した。
蓮の予想通り、裏口の扉の前で昨日と同じ種の魔物が地面から湧くように急に現れ、道を塞ぐ。
「どけぇっ!」
蓮は先を行き、華焔刀を構え、月紅火を放つ。紅の虹が爆発を起こすと、扉までの道を開いた。
「行け!」
「最初から月紅火って、大丈夫なのか? 李雪」
「大丈夫、とは言い切れない。でも、あんた達は私の身を案じている場合じゃないでしょ」
魔物の群れを抜け、蓮のみ向きを変える。
「あーっと、開いてないかもしれないから、斗暉。よろしく」
打って変わって気の抜けたような付けたし。
「えー。なんでそのまま扉ごと吹っ飛ばしてくれないかなー」
「私がやったら扉どころじゃ済まないから」
「ん。まぁ、もっとも」
呆れながら吐息をつくと、走る速度を速め、飛び蹴りを木製の扉に食らわせる。扉はそれ自体があまり強度がなかったのか、斗暉の蹴りが異常に強かったからか、呆気なく開いた。斗暉に続き、四人も振り返らずに宮中に入っていく。
実は斗暉は中つ国で一種の趣味としてテコンドーをやっていたので、蹴りは蓮と比べるとわからないが、凌雅や尭宗より強い。
「うまくやってね。でも、絶対にいなくならないで」
かつての戦友のことを思い出す。
――自分だけ助かって、あの二人は死んでしまった。
魔物の殺気が、勢いを増した。蓮は魔物達に見せるように華焔刀の鋒を向ける。
「この命は、守るために使う」
――そう。約束を破るのは、嫌いだ。
宮中の広く、天井も高い廊下を三人は横に並んで駆け抜ける。いつもは人が点々といるはずなのに、嵐の前の静けさと言わんばかりの静寂には、凌雅と斗暉は絶対的な違和感を覚えた。
「何で皆を宮外退去させたのかな……」
星来が独り言として呟く。
「さぁ。どう思う? 凌雅」
「来客のために掃除をした、と考えとけ」
「なるほどね。だって」
斗暉は星来と顔を見合わせる。凌雅はともかく、こんなほやほやした感じの斗暉が将軍職に就いていることが、未だに信じられなかった。
将軍と言ったら、日本史や物語ではもうちょっときりりとした印象が深い。ただし、今目の前にいる人のことを考えると、先入観としか言いようがないのか。
「無駄話は一先ず止めて……来るよっ!」
廊下の赤い絨毯から双頭の狼、嶄河が二匹湧く。
凌雅は鞘から剣を抜き、吠えながら向かってくる嶄河を頭を分けるように軽々と両断する。
斗暉は宙返りで嶄河をかわし、そのまま目で追った嶄河の双頭に斗暉は合わせて、器用に両足で踵落としを食らわせる。脳天を強打され、くらくらしている嶄河に容赦なく両頸を剣で断ち切った。
「蹴りの方が得意なのはわかったが、やりすぎて後で足が痛いから走れないとか言うなよ」
「まさか。そんな貧弱じゃないし。行こう」
嶄河の死体を避けて再び四人は走り出す。
(やっぱりすごいな、凌雅と斗暉は……)
特に斗暉の方。さっきまで柔らかかったものが、嶄河出現と共に瞬時に固まり、鋭利なものを形成したような感じだった。
「ガルァアッ!」
「後ろか!」
もう一匹、嶄河が後ろから飛びかかってきた。気配が現れてからすぐにこれ。恐らく、湧いた勢いで飛びかかったのだろう。
「星来様!」
一番後ろにいた星来に狙いが定まっていたのは明らかだった。蒼氷は主を守る術を放つべく、構える。だが、それより先に――
(皆を、凌雅を……)
碧瑠刀の柄を右手に握る。
(守る!)
「だぁっ!」
刀身を嶄河の胸に差し込む。血が刀身を滴り、鍔に当たって赤い絨毯に染み込む。刺した嶄河の重さが剣に加わり、反射で引き抜き、ついでに身を捩って返り血をもろにかぶるのを防いだ。
「やれば出来るじゃないか」
「あっ……」
凌雅の素っ気ない称賛で我に帰った。
気が付くと、戦おうとした。
気が付くと、剣を握って構えをとっていた。
気が付くと、嶄河に剣を突き立てていた。
――守るために戦うって言うのは、こういうものなのかもしれない。
「厄介ですね。念のため星来様の周りに結界を張ります。魔物の攻撃は多勢は防げないかもしれませんが、最低、すぐ近くからの出現は抑えられます」
「凌雅と斗暉も結界内に入るくらいのを、よろしくね」
「御意」
ウァン、と奇妙な音がすると、蒼氷は印を結んだ手をほどく。
「じゃあ、続き、行きますか。留京の部屋までもうすぐだし」
斗暉の一言に無言の了解をしてまた走り出す。
蒼氷の言う通り、すぐ近くからの出現は防ぐことは出来たし、一度に出現するのは三頭から五頭程度だったので、攻撃も防げた。しかし、結界を張っている以上、中からも攻撃出来ない。付きまとわれるのが、鬱陶しいと思い始めた頃、蒼氷も同じことを考えていたらしく、自身の能力で結界の表面に電気を流し、触れる魔物を次々と感電させた。
「蒼氷、すごいね」
「ありがとうございます」
蒼氷が戦う、と言う形にするとどうかはわからないが、魔物を倒すところを見たのは初めてだった。
――守護獣がこれなら、主はもっとすごいことができるのでは?
(できない私は、やっぱり蒼尊じゃないんじゃ……)
「着いたよ。留京の部屋」
部屋を塞ぐ、昨日蓮が開けた両開きの扉。昨日とは違い、中からも異様な空気を漂わせている。
「誰が開ける?」
「俺が……」
「私が開けます」
星来が凌雅より先に大きな取っ手に手を添えた。
「危険だ。開けた瞬間に何か襲いかかってくるかもしれない」
「すみません。でも、頼りっぱなしは嫌ですから……」
操られているのは、星来の姉。その気持ちがなんとなく理解でき、凌雅は一歩下がる。
開ける権利を譲られた星来は右手にしっかり碧瑠刀を持って、不意討ちに対処出来る状態にしてから、始めはゆっくり隙間を作る程度に開け、不意討ちはないと判断すると、蒼氷にもう片方の扉も開けるように指示を出し、バタンと勢いよく扉を開く。