二つのプロローグ:中つ国のプロローグ
〜始まりの前に〜
幼い頃から見る夢がある。
龍に乗る、騎士の夢。
蛇のように長い蒼い龍に、同じく蒼い鎧に蒼い髪、蒼い目をした、騎士。
その人が持っている剣も、深海のように青かった。
そして、毎回“何か”を私に言ってくる。
――ううん。今考えれば、“言っている”というより、“呼んでいる”感じだったかな――
数十年前。一時的に活発になった火山活動により一つの、大きさにして沖縄程の島が誕生した。その島は“風籟島”と名付けられ、日本の領土となった。
位置は、沖縄県の南。沖縄に近いというのに夏はそんなに暑くなく、冬は暖かい。快適な島だ。
その島の、南の方。
風籟島で1、2を争う剣道場の少女。
その少女こそ、この物語の主人公。
「だぁぁっ!」
少女は剣道の防具を身に纏い、竹刀を振るう
隙を突いたので、いける、と彼女は思った。
「甘いっ!」
少女の相手、父親は素早く反応し、少女の竹刀を受けとめる。父親は一瞬の油断も全て見逃さない。
「胴あり! 一本!」
胴を竹刀で叩かれ、朝の稽古は終わった。
「聖良。また決定打を防がれたと油断したな」
少女の名は、新堂聖良。この新堂道場の跡取りでもある、高校一年生。
「……はい。すみません」
「まったく。毎度言っているだろう。お前は由緒正しき新堂道場の跡取りなんだ。わかっているのか?」
聖良は防具を外し、腹立たせた父親の小言を聞いていた。
――わかって、いるのに。
「もういい。朝稽古は終わる。部活が終わったらすぐに来るんだ。いいな?」
「はい。失礼します」
聖良は道場を後にした。
朝早くから稽古があり、終わったら父親の説教。学校では武術系の部活の名門だけあって厳しい練習。帰宅後も1時間だけ稽古。ただし、部活がある日のみ、勉強をするという理由でこの時間の短さを許されている。ゆえに聖良にとって、部活がある日の方がかえって休める。
また朝稽古で説教をくらった。本当は褒めてほしいのに。……昔のように。
(……ううん。期待しちゃいけない。私は『新堂家の跡取り』……)
道場と自宅を繋ぐ、短い渡り廊下を重い足取りで通る。
(それだけでしか、ないんだから……)
洗面所で顔を洗うと、いつもより朝のスケジュールが滞っていることを知り、直ぐ様制服に着替える。
リビングでは母親が既に朝食の準備を済ませていた。
「おはよう。今日はどうだった?」
この主語の抜けた言葉は稽古のことを意味する。
聖良は誤魔化すように、笑って答える。
「いつもと同じだよ。……いただきます」
聖良はトーストを頬張った。
「そぅ。これからも頑張りなさいよ。あなたは新堂家の跡取りなんだから」
(お母さんまで、これなんだから)
いつもより食欲が湧かないが、トーストを二枚、サラダを少しつまむと聖良はさっさと鞄を持つ。
期末テストも終わったし、もうすぐ夏休み。今から楽しみだ。
「今日から短縮授業だから、いつもより早く帰るね」
「わかったよ。いってらっしゃい」
学校へ向かう道中、聖良は考えていた。
(頑張るって、これ以上どうやって? 今まで頑張って来たのに)
皮肉なことに、悩むことも通学路を通るのと同じくらい日課になっていた。
いつもと同じ、変わらない通学路を歩く。少女はまた何の変化もなく一日が終わる、と思っていた。
「はぁーあ。やっと掃除が終わったよ……」
「あんな暑苦しいとこで二人だけで掃除って、拷問もいいとこだよね」
「あははっ。言えてる!」
午前中のみの授業が終わり、部活も終わって各部活の当番による部室の掃除を終えた聖良は、同じく当番だった親友の菊田麻奈と部活棟と校舎を繋ぐ廊下でたわい無い会話をしていた。
「せっかく期末テスト終わって早く帰れると思ったのになぁ〜」
麻奈は溜め息をつく。
「仕方ないよ。当番制だし。明日は早く帰れるから、いいじゃん」
「あのねぇ。テスト最終日こそ、さっさと帰ってテストが出来なかった悔しさをバネに寝るのっ!」
「今明らかに言葉の使い方間違ってるような気がするんだけど……」
「いーの! あたしは理系の頭脳なの! 聖良はいいよね。中学の頃から四捨五入しちゃえば百点になる点数しか取ってないもんね」
聖良は否定できない真実に上手く返答できる自信が出ず、下手に返答すれば麻奈を怒らせてしまうかもしれないので、ただ苦笑いした。
聖良は幼い頃からずば抜けて暗記力がよく、教科書の内容は三回読めばほぼ全部のことは覚えられたのだ。
もっとも、聖良にとってはこの吸収率が剣道の方に行ってくれれば、と思っているが。
「でも何でもっと上の学校にしなかったの? 別にこの学校が頭悪いってわけじゃないけど。もう一つ位ランク上げられたんじゃない?」
「明華学園は武術系の部活の名門だから、って父さんが……」
あぁ、なるほど、と麻奈は頷く。
「すごいねぇ。剣道一筋、スパルタなんだねぇ」
「ホント。困っちゃ……きゃっ!」
聖良は人にぶつかり、後ろによろめいた。
聖良とぶつかった人は無事らしいが、相手の人がもっていたプリントが散乱し、結果的にまず無事とは言い切れなかった。
その光景を見て最初に口を開いたのは、ぶつかった人の後ろにいた人だった。
「あ! せっかく整理し終わったのに……お前!」
「す……すみません!」
聖良は足元のプリントから拾い始める。
「俺達がどれだけ……」
「もういいコドウ。拾ってまた整理し直せばいいことじゃない」
ぶつかった女子生徒が、コドウと呼ばれた人とほぼ正反対の口調でなだめる。
その女子生徒は上履きのラインの色から、三年生であることがわかった。その顔の第一印象は、“カッコいい”。普通、女性なら“可愛い”とか“綺麗”とか、そういう形容詞が出てくるはずなのに、この人は“カッコいい”と言った方がはるかに似合う。
「でもあれだけの!」
「落ちたのはほんの一部。四人でやれば十分で片付く」
「そうだよ。ワタル。そんな何百枚とあるわけじゃないんだから」
怒鳴った少年は女子生徒と後ろにいた別の男子生徒の二人からもっともなことを言われて、黙った。
「ごめんね。こいつ血の気が多くて。気にしないで」
聖良は安堵したのも束の間、その瞬間にその人が誰だったか思いだし、後悔した。
そこにいた四人は明華学園生徒会三年生メンバー。
怒鳴り、未だどこか顰めっ面をしているのは書記・虎堂航
最後に航に言い止めた、茶髪で女顔のルックスが人気の会計・西園寺仁史
三人のやりとりを冷ややかに見つめている、少し長めの髪にいかにもクールな印象を受ける副会長・原瀬敏希
そして聖良がぶつかった相手こそ、完全無欠の会長と明華で有名な、巽七緒
相手が悪かった。この四人はどういう経緯かは知らないが、何故か下手したらここの校長より権力を持っている。
こんな人にぶつかるなんて、本当についてないというか、不運というか。
「本当にごめんなさい! だから退学には……」
「退学?」
七緒はプリントを拾いながら吹き出した。
「何でこれくらいで退学なの? そしたら、この学園の生徒のほとんどは退学になってると思うけど」
聖良は自分が拾いあげたプリントを七緒に渡す。
「お喋りもいいけど、人がいることに気付かなくなるまで没頭するのは気を付けた方がいいよ」
最後のプリントを拾い上げ、それでもなお穏やかな口調で七緒は言う。
「はい! すみません」
「もういいって。怒ってないから。じゃあね」
七緒達生徒会は聖良の進行方向と逆を行った。
四人の中の誰かが
「あの人じゃん?」
と言ったのに、聖良は気が付かなかった
「き……緊張したぁ……」
「でも巽会長ってキレイ、というか凛々しいよね〜」
七緒は成績は学年トップの秀才、武術にもたけている学園の有名人でもある。
「それに優しいし。神は二物も、それ以上もお与えになったんだね〜。サインもらえば良かった〜! 今度会ったら握手してもらお〜っと!」
「人事だと思って。本当に緊張したんだからね!」
聖良は緊張のあまり息をするのも忘れていたので、まだ肩で息をしていた。
「大げさだね〜」
「違う! だから……もういいや。余計に疲れたから帰ろうよ」
「りょーかい。んーっ! 帰ったら寝ようっと」
麻奈は伸びをしてから上履きから革靴に履き替える。
「私は帰ったら……」
とっさに父親の言葉を思い出した
帰ったとこでどうせまた稽古だろう。しかも帰りが早いから今日は長めなはず。
麻奈はそれを察してか、言いかけた言葉を追求しなかった。
「本当に解放感が得られるのってテスト最終日だけなんだよね」
麻奈は話題を変える。
「次の日とかになっちゃうとテスト返却が憂鬱になって……て聖良には関係ない話か」
麻奈は大きくため息をついたものの、その顔は笑っていた。
聖良も麻奈のことを察していて、敢えて声には出さず、心で言った。
(ありがとう。麻奈)
昼下がりの、帰り道。
交差点で麻奈と別れた途端に吐気まで催す程の憂鬱感に襲われた。
帰ったらすぐ稽古があることなど珍しいことではない。しかし今日は一段と憂鬱になる。
(だるい……)
戻すまではいかないが、その日の吐気は酷かった。
(いいや。寄り道しよう。気分転換にはなるはず)
聖良は真っ直ぐ行くはずの道を曲がった。
(そうだ。海行こう。最近行ってなかったし)
潮の臭いがする。その臭いにつられるように、聖良は走った。
別の場所に向かうだけで、吐気はなくなり、こんなにも気持ちが晴れるなんて、思いもしなかった。
風籟島の砂浜は、どこよりも美しいと言われている。
どこの国の法律を真似たのかは知らないが、この砂浜でゴミを捨てると罰金ものになる。
「はぁー。きれー……」
聖良は潮風を体いっぱいに取り込むように、深呼吸した。
こんな風にゆっくり海を見るのは何年振りだろう。
波がゆっくり行き来する光景を見ると、自然と心が癒される。
このまま波と一緒に消えることが出来たらどんなにいいか。
――貴方がいるべきは、其処じゃない。
「……え?」
砂浜には誰もいないのに、男性とも、女性とも言える声が聞こえた。
その瞬間、後方で何かが激しく発光した。
少女の記憶は、一旦ここで途切れた。