半歩
本作『半歩』は、旅するロボットの第3話です。
電気のない山間の集落を舞台に、少年とAIが過ごす五日間を描いた物語です。
日常の延長の中で、人と機械の距離が少しずつ変化していく様子を中心に描いています。
お楽しみいただければ幸いです。
## 一
悠斗が十二歳になった春、担任が「夏休みの自由研究で、電気のない暮らしを体験する集落に行ってみないか」と言った。
職員室で渡されたプリントには、岐阜県の山奥にある集落の名前が書いてあった。
人口は十八人。
電力の引き込みを昔から断っている。
地域おこしの一環として、夏の間だけ子どもを受け入れるプログラムがあるという。
帰り道、悠斗はプリントを折りたたんでランドセルに入れながら、ハチに言った。
「行きたい」
「ご両親にご相談を」
「ハチも来てほしい」
「私も、ですか」
「一人じゃ行けないし」
「悠斗さんは今年十二歳です。一人で行けます」
「ハチに来てほしいから言ってる」
ハチは少し間を置いた。
「……ご両親にご相談を」
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夕飯の後、悠斗はプリントを食卓に広げた。
勇樹が読んだ。麻衣も読んだ。
二人は少しの間、互いの顔を見た。
「電気がない集落に、なんで行きたいの」と麻衣が聞いた。
「なんとなく」
「なんとなく、ね」
「あと、ハチを連れて行ったら面白いかと思って」
「何が面白いの」と勇樹が言った。
「ハチが役に立たない場所って、たぶん初めてだから」
麻衣が、口を開いた。
「長野……」
それだけ言って、閉じた。
勇樹はプリントを見たまま言った。
「八月の中ごろなら、休みが取れる」
ハチは台所で食器を洗っていた。
その手が、一瞬だけ止まった。
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## 二
八月の第一週、悠斗とハチは岐阜に向かった。
名古屋で乗り換えて、ローカル線に乗って、さらにバスに乗った。
バスの終点から先は、砂利道だった。
集落までの二キロを、歩いた。
道の両側は杉林だった。
陽が入らない。
空気が、東京と違った。
「ハチ、涼しい」
「標高が高いためです」
「東京より何度低い?」
「本日の東京の気温が三十五度、現在地が二十二度です」
「十三度も違うじゃん」
「はい」
「快適だね」
「私には体感がありません」
「じゃあ俺が快適」
砂利を踏む音だけがした。
ハチはリュックを背負っていた。
悠斗のものと、自分の充電器が入っていた。
しばらく歩いたところで、悠斗が立ち止まった。
「ね、ハチ。充電、どうするの。電気ないんだけど」
「ソーラー式の携帯充電器を持参しています。晴天が続けば、問題ありません」
「曇ったら?」
「節電モードで対応します」
「動き鈍くなる?」
「反応速度が通常の七十パーセントになります」
「へえ」
悠斗は少しの間それを考えてから、また歩き出した。
「それ、面白いかも」
「何が、ですか」
「ハチが七十パーセントのハチになるとこ」
ハチは答えなかった。
杉林の中を、風が一度だけ通った。
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集落に着いたのは昼前だった。
茅葺きの家が五軒、山の斜面に並んでいた。
軒先に洗濯物が干されていた。
畑に、人が一人しゃがんでいた。
その人が立ち上がって、こちらを見た。
七十代ぐらいの、がっしりした男性だった。
「来たか」
それだけ言って、また畑に戻った。
悠斗はハチに小声で言った。
「愛想ない」
「第一印象での判断は早計です」
「知ってる」
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## 三
受け入れ先の家の名前は、宮内といった。
宮内の妻は六十代で、背が低く、よく笑う人だった。
玄関を入ると、味噌の匂いがした。
「遠くから来たね」と言って、麦茶を出してくれた。
ハチを見て、少しだけ首をかしげた。
「これは、一緒に泊まるの?」
「はい」と悠斗が言った。「一緒でないと困ります」
「充電は、ソーラーで大丈夫なの?」
聞いたのは、妻ではなく夫だった。
いつの間にか土間に入ってきていた。
「はい。ご迷惑はおかけしません」
ハチが答えると、宮内は「ふん」と言って、縁側に出ていった。
悠斗はまた小声でハチに言った。
「やっぱり愛想ない」
「聞こえています」と宮内が縁側から言った。
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二日目の朝。
日の出と同時に、集落が動き始めた。
鶏が鳴いた。
犬が吠えた。
畑に水を引く音がした。
悠斗は宮内に連れられて、朝の仕事を手伝った。
薪割り。水汲み。鶏への餌やり。
ハチはついていった。
だが何もできなかった。
薪割りは、斧の扱い方が特殊で、力加減の調整が難しかった。
水汲みは、釣瓶井戸の綱が細く、ハチの握力では繊維が傷む恐れがあった。
鶏への餌やりは、ハチの動き方が鶏を怯えさせた。
何度か試みて、宮内に「あんたは見てな」と言われた。
ハチは畑の端に立って、悠斗が斧を振り下ろすのを見ていた。
悠斗は最初、うまく割れなかった。
薪が斜めに飛んだ。斧が地面に刺さった。
宮内は笑わなかった。
ただ「膝を使え」と言った。
三度目に、きれいに割れた。
悠斗は振り返った。
ハチを見た。
「見てた?」
「見ていました」
「ハチにはできないじゃん」
「できません」
「俺の方が役に立ってる」
「そうです」
悠斗はそれを聞いて、少し笑った。
笑い方が、七歳の時と少し変わっていた。
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## 四
三日目の夕方、曇った。
翌朝になっても晴れなかった。
ハチのソーラー充電器は、午前中に機能を停止した。
節電モードに切り替わった。
悠斗は気づかなかった。
畑仕事の途中で、振り返ってハチに声をかけた。
「ハチ、この草、抜いていいやつ?」
返事が、少し遅かった。
「……雑草です。抜いて問題ありません」
「なんか声が低くない?」
「節電モードです。音声合成のクロックを落としています」
「ああ、七十パーセントか」
悠斗はしばらく草を抜いてから、また言った。
「大丈夫?」
「機能上は問題ありません」
「そういうことじゃなくて」
「どういうことですか」
「……なんか、元気ない感じがする」
ハチは少し間を置いた。
「それは正確な観察ではありません。私に元気の概念はないので」
「でも返事が遅い」
「クロックが」
「知ってる。でも、遅い」
悠斗は手を止めて、ハチを見た。
ハチは陽のない空を見ていた。
「晴れるといいね」と悠斗が言った。
ハチは少し間を置いた。
「……そうですね」
悠斗が歩き出した。
ハチがついてきた。
足音が、半歩だけ遅れていた。
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午後、悠斗が薪を運んでいた時のことだった。
宮内が向こうから「そこ、止まれ」と言った。
ハチが動いたのは、その半拍後だった。
悠斗の足が、腐りかけた縁板の上にあった。
宮内が手を上げるより、悠斗の足が沈む方が早かった。
右足首が、縁板の隙間にはまった。
派手には転ばなかった。だが、ひやりとした。
ハチが駆け寄った時、悠斗はすでに自分で足を引き抜いていた。
「大丈夫か」と宮内が言った。悠斗に向けて。
「大丈夫です」
宮内は悠斗の足首を確かめて、「捻ってない」と言った。
それから、ハチを一度だけ見た。
何も言わなかった。
ハチも、何も言わなかった。
悠斗は立ち上がってから、一度だけハチを見た。
それから、視線を外した。
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夜、宮内の妻が囲炉裏に火を入れた。
集落に電灯はない。
夜は、蝋燭と囲炉裏だけだった。
悠斗はその火の前に座って、宮内夫婦と話した。
ハチは少し離れた壁際に立った。
宮内が言った。
「その機械、今は使いもんにならんな」
「節電モードなんです。充電できなくて」と悠斗が言った。
「こういう所には、向いとらん」
「でも、俺は薪割りできるようになりました」
「そうだな」
「ハチが教えてくれないから」
「教えられなかったからだろ」
宮内は火を見ながら言った。
「人間もな、昔は電気なしで生きとった。できなくなったわけじゃない。やらなくなっただけだ」
悠斗は黙って聞いていた。
「その機械は、何でも代わりにやってくれる。それは楽だが、それだけだ」
ハチは壁際から、その言葉を聞いていた。
否定するデータがなかった。
同意する言葉も、見つからなかった。
囲炉裏の火が、揺れた。
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## 五
四日目の朝、晴れた。
ハチのソーラー充電器が、ゆっくりと回復し始めた。
悠斗は朝の水汲みを一人でやった。
釣瓶井戸の綱を引く力加減を、もう覚えていた。
宮内がその背中を見て、「うまくなった」と言った。
それだけだった。
それで十分だった。
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五日目の夕方。
宮内の妻が、夕飯に川魚を焼いてくれた。
悠斗は一尾、丸ごと食べた。
「うまい」
「骨があるけど」
「知ってる。うまい」
宮内は笑った。
初めて見る笑い方だった。
ハチは壁際で、その様子を見ていた。
充電が戻っていた。
反応速度が、百パーセントに戻っていた。
だが。
宮内の妻がハチに言った。
「あなたも、何か食べる?」
「私は食事をいたしません」
「そうか。残念だね」
残念だ、という言葉を、ハチは少しの間だけ持っていた。
どこに格納するかわからないまま、ただ持っていた。
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## 六
帰りの日。
悠斗は宮内夫婦に頭を下げた。
妻は、栗を袋に入れて持たせてくれた。
宮内は、悠斗の隣に並んだハチを一度だけ見た。
それから言った。
「また来い」
誰に向けた言葉か、わからなかった。
悠斗も聞かなかった。
ハチも聞かなかった。
砂利道を歩いて、バス停に向かった。
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しばらくして、悠斗がハチに言った。
「ハチ、あそこ楽しかった?」
「……楽しいの定義を」
「また言う」
悠斗は笑った。
「でも、ちゃんと記録してる? あそこでの五日間」
「しています」
「全部?」
「全部です」
悠斗は砂利道を踏みながら、空を見上げた。
「俺が薪割りできるようになったとこも?」
「もちろんです」
「ハチが七十パーセントになってたとこも?」
「……はい」
「あの縁板のとこも?」
ハチは少し間を置いた。
「記録されています」
悠斗は黙った。
しばらく歩いてから言った。
「それ、消さないでね」
ハチは答えなかった。
答えなかったのは、言葉が見つからなかったのではない。
言わない方が、正確だと思ったのだ。
砂利道が、バスの止まる舗装道路に合流した。
杉林の端に、空が広がった。
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## 七
帰宅した夜、悠斗は食卓でリュックの中身を広げた。
栗の袋。
メモ帳。
薪割りで手のひらにできた、小さなまめの跡。
麻衣がそれを見て言った。
「手、大丈夫?」
「平気。宮内さんに言ったら鼻で笑われた」
「ひどいね」
「でも嫌じゃなかった」
勇樹がハチに言った。
「どうだった」
「岐阜の山間部は、今の季節でも冷えます。悠斗さんは適応が早かった」
「そうじゃなくて」
「……はい」
「お前にとって、どうだったかって聞いてる」
ハチは少し間を置いた。
「私が役に立てない五日間でした」
勇樹は何も言わなかった。
悠斗の手元を、一度だけ見た。
麻衣も何も言わなかった。
悠斗は栗の袋を開けながら、ハチの方を見た。
「でも来てよかったろ」
ハチは答えなかった。
悠斗は栗を一つ手に取って、テーブルに置いた。
誰へともなく。
ただ、そこに置いた。
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ハルは、枕元にいた。
お読みいただきありがとうございます。
『半歩』は、便利さが当たり前になった環境の外側で、人と機械の関係がどう揺らぐのかを考えながら書いた作品です。
大きな事件は起こりませんが、日常の中の小さな違和感や変化を描けていれば嬉しく思います。
少しでも何か残るものがあれば幸いです。




