38話
どれほどの時間が経ったのだろうか。唇は、まだ重ねられたままだ。
ジュンカンは息が苦しくなり、次第に力が抜けていった。
ようやく唇が離れ、ジュンカンは大きく息を吸った。その瞬間、強烈な吐き気に襲われる。なんとか口を押さえて耐えたが、次に全身を引き裂くような激痛が走った。
「あぁぁぁっ……あっ……あぁぁぁっ!」
悲鳴とも呻き声ともつかぬ叫びをあげ、ジュンカンは床をのたうち回る。
全身を、何かが激しく駆け巡っていた。
「体が……熱い……熱い……ぐわぁぁぁぁっ!」
エイゲツは、ありったけの魔力を注ぎ終え、疲労のあまり床に倒れ込んでいた。呼吸は荒く、胸が大きく上下している。
承継とは突き詰めれば、相手の魔力容量を限界以上に無理やり押し広げる行為だ。
それは耐えがたい激痛を伴う。耐えきれなければ、死ぬだけだ。
身分差が二つあれば、魔力容量の差も致命的だ。
将軍と千人将――その隔たりは、想像を絶する苦痛となって、ジュンカンを襲っているはずだった。
魔力容量が拡張されれば、より強力な魔法を行使できる。あるいは別系統の魔法を扱う余地が生まれる。
承継と呼ばれてはいるが、本質はそれだけの話だ。しかも承継したからといって、元の使い手が魔法を失うわけではない。魔力が回復すれば、これまで通り使える。
――果たして、あの小娘に耐えきれるのか。
エイゲツは考えた。成功の可能性があるとすれば、自分とジュンカンが同系統の魔法使いで、魔力の相性が良いこと。
あるいは、すでにジュンカンが千人将の器を超え、それ以上の地力を秘めていることだ。
ジュンカンの叫び声は牢獄中に響き渡り、牢番は慌ててモクランに知らせた。
「いったい、何の騒ぎなの!?」
駆けつけたモクランの目に映ったのは、床でのたうち回るジュンカンと、ぐったりと横たわるエイゲツの姿だった。
「あなた……いったい何をしたの!?」
「別に……魔法の承継をしただけだ」
「……承継ですって?」
あまりに壮絶な光景に、モクランは絶句した。
同意による承継――理論上は存在するが、実現不可能とされてきたものだ。
モクランは思わずジュンカンを助け起こそうとした。
「触るな! これは、その小娘自身の戦いだ!」
エイゲツの怒声に、モクランは動きを止めた。
「なぜ……承継なんて……?」
「強くなりたいそうだ。ケイを守るために、ってな」
その言葉に、モクランは言葉を失った。
ジュンカンとケイの関係が、ここまで深いものだったとは。
「……ジュンカン……」
モクランは力なく座り込み、なぜか胸に込み上げるものを覚えた。
自分の知らないケイを、ジュンカンは知っている。
先を越されたような、奇妙な感情だった。
「ごほっ……ごほっ……!」
ジュンカンが咳き込み始める。
痙攣は収まったが、体は細かく震え、白目を剥いて泡を吹いていた。
「……頑張るのよ、ジュンカン……」
モクランは祈るように見守るしかなかった。
夜が明ける頃、エイゲツはいびきを立てて眠っていた。
モクランは一晩中、涙を流しながらジュンカンのそばを離れなかった。
やがて痙攣は完全に止まり、呼吸も落ち着く。
時折、悪夢にうなされるように眉をひそめ、呻き声を漏らすだけになった。
「……はっ!」
突然、ジュンカンが目を見開き、上半身を起こした。
「ジュンカン!」
モクランは駆け寄り、思わず抱きしめる。
「無事で……本当に良かった……!」
「モクラン……様……?」
状況を把握できないまま、ジュンカンは体の奥底から魔力が湧き上がる感覚を覚えていた。
「……ふん。悪運の強い小娘め……」
目を覚ましたエイゲツは、複雑な表情でその姿を見つめた。
「承継は終わった。だが、力を使いこなせるかどうかは……結局、お前次第だ」
ジュンカンは、強くうなずいた。
⸻
ジュンカンが去ったあと、モクランはエイゲツに問いかけた。
「……なぜ、承継したの?」
「分からない。ただ……あの真っ直ぐな目に負けただけだ」
エイゲツはそう言って、気恥ずかしそうに顔を背けた。
「……なら、秦の将軍として働かない?」
「……は?」
「あなたがしたことは、一生許さない。でも……秦には、あなたの力が必要なの」
エイゲツは、しばらく俯いたまま黙っていた。
「……少し考えさせてくれ」
「ええ。だけど時間はあまり無いわ。オウモウ殿は、あなたを処断したがっている」
モクランはそう言い残し、牢を後にした。
その背中が、なぜか眩しく見えて、エイゲツは目を伏せた。




