36話
二人は宿に戻った。部屋で街で買ったものを食べた。
饅頭には肉汁たっぷりの豚肉が入っており、美味かった。太原で売っているものより品質が良いようだ。
だが物価は、秦が北部を焼き払ったせいか、食料品を中心に値上がりしてきているようだった。人々の会話にも、秦に対する怨嗟の声が混じっていた。
「この宿には湯浴みが出来るようだが、先に入ってきてくれるか……」
浴場は一つしかなく、時間ごとに男女が入れ替わる仕組みだった。
―――ケイは、なぜ再婚した商人など探しているのか……
サクは湯船に浸かりながら考えた。色街を見た時の、あの絶望的な表情は何だったのか。
―――やはり、直接聞くしかないか。
理由を知らなければ、サクとしても力になれない。それがいかなる理由であっても、受け入れるしかない。サクはそう覚悟を決めた。
入れ替わりでケイが浴場に行った。
―――やはり、サクに話すしかないのか……
ケイは湯船に浸かりながら悩んでいた。ただでさえサクは、ジュンカンとの関係に気づいている可能性がある。あの日の出来事で、確信したはずだ。
―――そのうえ、レイの話をしてもよいのか。
この時代、この世界がいくら一夫多妻であったとしても、次々と女性の名前が出てくるのを、どう思うのだろうか。
ケイは転生前に結婚経験がある。子供も出来たが、家庭を顧みなかったせいで離婚した。不倫も浮気もしたことはない。むしろ、よく結婚できたものだと思っていた。
ところがこの世界に来た途端、急に女性との関わりが増えた。
「モテ期なのかな……」
ケイはくだらないことを考えた。そしてエイゲツのことが、なぜか頭をよぎった。あの日のことは、忘れたい屈辱の記憶として、なおも残っている。
だが、体を接した時のエイゲツの、あの顔が焼き付いていた。一瞬で主導権がケイに移ったのを感じたのだ。ケイは視線を落とす。それは、しっかり上を向いていた。
夜、二人は背を向けて寝た。この二日間で、サクとの関係は近づいている。だが、まだ早いとケイは思った。
サクはケイの方を向き、肩に手を当てた。今日も寝息を立て、先に寝てしまっていた。
―――馬鹿……
サクは、聞こうと覚悟したことが空振りに終わり、思わずこう呟いてしまった。ケイはモクランのように鈍感ではない。むしろ女性のことをよく知っているようだった。ケイが、あえて踏み込んで来ないのだと思い、気持ちが晴れなかった。
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ジュンカンは太原で、肩の治療を受けていた。エイゲツに砕かれた肩は、ようやく手を上げることが出来るまで回復した。
―――もっと強くならなければ。
ジュンカンは怪我の治療の合間を見て、剣を振った。医者は安静にしろと言っていたが、無視した。早く強くなりたかった。
ケイは休暇を取り、鄴に行ったという。一番会いたい人なのに、近くにいない。
「あの馬鹿野郎。こんなに好きなのに、人の気も知らないで!」
剣を振りながら、思わず声に出して言ってしまった。ジュンカンはハッとして周囲を見た。誰にも聞かれていなかった。
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エイゲツは、太原の薄暗い牢の中にいた。じっとしていては体が鈍るので、時折運動もした。エイゲツに会いに来る者もいなかった。
牢の生活は、それほど悪くはなかった。決まった時間に、一日二度の食事が出た。麺であったり、米であったり、肉も出た。暖かい汁物もあった。
二日に一度は、体を拭くための湯と布が出た。着替えの服も出て来た。捕虜への待遇としては、むしろ良い方であった。
―――あの男は、何者なのだ。
エイゲツはケイのことを考えていた。このところ、ケイのことばかり考える。
たかだか百人将のために、大将であるモクランが出てきた。
作戦的には、エイゲツの動きを捕捉し討ちに出たとも見える。だが、単騎で森に飛び込んだ動きは、作戦とは思えなかった。
―――あの男に、何があるというのだ。
モクランの愛人だとでも言うのか。だが、それは無いと思った。エイゲツの女の勘では、モクランは男を知らない。むしろ周囲の男たちに、どのように見られているか、全く気づいていないと感じた。ケイの側にいた、あの千人将の方が、エイゲツから見れば女であった。あの二人の必死な庇い合いは、そういうことだと感じさせた。
モクランの愛人でないなら、弟といった血縁の者なのか。それも無いと思った。ケイとモクランとでは、全く似たところがなかった。
―――わからないことを考えても仕方がない。
そう思い、エイゲツは寝転んだ。牢の中の寝床も、硬すぎず寝心地がよかった。
ケイのことを考えると、体が疼いた。あの日、体を接した瞬間、ケイに主導権を奪われたと感じた。モクランが割り込んでこなければ、自分はいったいどうなっていたのだろうか。正気を保っている自信がなかった。
「……ん……」
エイゲツは、疼きを抑えようとした。牢番に聞こえるかもしれない。
だが、もはやエイゲツの名は地に落ちている。一時の快楽のために負けて捕らえられた将軍と語られているに違いない。そこに、牢の中で自慰しているという噂が広がったとしても、気にすることはなかった。
―――早く首を刎ねてくれたらいいのに……いや、その前に、ケイに会いたい……
次第に熱を帯びていく。そして一気にその熱が冷めていく。だが心は体ほど満たされていなかった。
あの歳下の男に対して、なぜ乙女のような気持ちになるのか、分からなかった。
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ジュンカンは、肩の怪我がほぼ完治するのを感じ、決意を固めた。
―――エイゲツに、会おう……




