34話
燕軍が続々と穴から出てくる。燕軍は幕舎や馬草、食糧庫に火をかけていった。消火しようとする秦軍は、次々と燕軍に討たれていく。
チョウシの陣は大混乱に陥った。
「まさか、地下道を掘っていたというのか……」
チョウシは悔しさのあまり、指揮棒をへし折った。
「なぜ、気づかなかったのだ……」
チョウシは自身の情けなさに、首を振った。このところ頭の中はいかにフコウの暴走を抑えるかでいっぱいであったのだ。燕軍の動きに、もっと気を配るべきであった。いや、それでも地下までには気が回らなかったであろう。おそらく地下道は、鄴の城内から続いているはずだ。
このような作戦で自慢の防壁が破られるとは、予想だにしていなかった。ボヨウスイの派手な夜襲も、地下道を進軍する燕軍の物音を察知させないためのものであったのだ。
穴から燕軍の騎馬隊が出てくる。トク、そして鄴の守将シュンであった。燕の騎馬隊は秦の旗を切り落とし、防壁を守る歩兵の背を打った。
防壁に再び衝撃が走る。ボヨウスイの三発目の火の虎であった。防壁は大きな音を立てて崩れ落ちていく。
その光景を見て、チョウシの誇りも崩れ落ちた。力なく膝をつく。
チョウシに向かって、燕軍の騎馬隊が突進してくる。トクであった。チョウシは座り込んだままであった。
トクの矛が閃き、チョウシの首が宙を舞った。
フコウはこの混乱に乗じて馬に乗り、陣を出た。もはや秦軍の敗北は確定的であった。あちこちで火の手が上がり、陣は燃え上がっていく。防壁も崩壊していた。
「せめてカクだけは討つ……」
フコウは単騎、カクの陣の前に出た。
「カク! 余と一騎打ちせよ!」
カクはその姿を憐れんだ。執念だけは立派だ。だが、その行動は皇太子としては失格である。とても次の王となる器ではないと感じた。リキも浮かばれないであろう。
ハクエンが手を上げて振り下ろすと、魔道具兵の水弾がフコウに降り注いだ。数百発の水弾により、フコウの体は人の形を保っていないほどに打ち砕かれた。
大敗北であった。その衝撃は秦全土を駆け巡り、首都長安にいるフケンのもとにも届いた。
チョウシの戦死、そして皇太子フコウの戦死。
フケンは目の前が真っ暗になり、そのまま倒れた。
今回の戦いは北部では勝利した。だが、それは秦の悪名を後世に残すものとなった。そして鄴での大敗北は、北部での勝利を打ち消すものであった。
オウモウはその知らせに茫然自失として椅子にへたり込んだ。フケンも知らせを受けて倒れたという。幸い命に別状はないようだが、しばらくは復帰できないであろう。
秦の天下統一の夢は大きく遠のいた。それだけでなく、今、他国の侵攻を受ければ、滅亡の危機すらある。
そんな国家の大事な局面に、オウモウのもとへトウキョウが訪れてきた。
「こんな大事な時に、何しに来た?」
オウモウとトウキョウは犬猿の仲である。このような時に現れ、わざわざ嫌味でも言いに来たのかと、オウモウは思った。
「俺を大将軍にしろ」
トウキョウが唐突に言った。
「は? なんだと」
この男は何を言っているのだ。頭がおかしくなったに違いないと、オウモウは思った。
「俺を大将軍にしろと言ったのだ。わからんのか。その意味を考えろ」
トウキョウは本気で言っているようだった。オウモウは目を閉じた。トウキョウの顔を見ていると、冷静に考えることができない。トウキョウの言葉を反芻する。
今、秦は窮地にある。もし他国が侵攻してくれば、必要なのは国を守る柱であった。その任に耐えられる者は一人しかいない。
モクランは国民に人気があり、戦功もある。だが、まだ若い。国の柱とするには荷が重かった。
そうなると、トウキョウしかいなかった。あのボヨウスイと互角に渡り合える男。性格に難はあるが、とにかく戦に強い。
大将軍とは、軍の象徴である。その存在だけで十分、他国への圧力となる。おいそれと手を出そうとは思わなくなるはずだ。
大将軍という地位は宰相と並ぶ。宰相の認可なしで行動でき、軍を動かすこともできる。トウキョウが大将軍となれば、今のオウモウの立場より上になる。
「だが、王は病床にある」
オウモウは目を開き、トウキョウに言った。
「それがどうした。生きてるんだろ。何とでもなる」
トウキョウの言葉を、オウモウは否定できなかった。
「……分かった。お前を大将軍に推挙しよう」
オウモウはフケンが復帰するまでの間、摂政としてフケンの次男・フトウを立てた。まだ二十歳にもなっていないが、皇太子だったフコウのような短気さはなく、聡明であった。
フトウはトウキョウに、大将軍の証である秦伝来の剣を与えた。この剣は、この大陸を初めて統一した皇帝が、リ秦という将軍を大将軍に任ずる際に与えたとされる、由緒あるものであった。
トウキョウはそれを拝受し、剣を抜いた。
「この国は、俺が守る!」
その叫びに、首都長安は歓声の渦に包まれた。
トウキョウはすぐに軍を再編した。北はタイゲンにいるモクラン。長安には、ジョセイを再び将軍として任命し配置した。
将軍の数が足りなかったこともあるが、ジョセイはあの敗戦で顔つきが変わり、血気に逸ることもなくなっていた。
トウキョウ自身は、秦の最重要拠点であるジョウヨウに戻った。
こうして、その年の夏が終わる。
秋。
混乱は、洛陽から始まるのであった。




