33話
チョウシは、皇太子フコウを抑えきれなくなっていた。フコウは毎日のように「出撃させろ」と言ってくるようになった。
この戦で、フケン即位の立役者であり、興国の英雄であるリキが死んだ。リキはフコウの家庭教師でもあった。
「見ろ! あの燕軍の散漫な攻撃を!やつらは我らを恐れているのだ!」
このところ燕軍の攻撃は、一日に何度か秦の陣の前に現れては、ぱらぱらと矢を射かけるだけのものになっている。
「きっと余の作戦がうまくいき、北部が混乱して燕軍の士気が落ちているに違いない!」
燕北部がモクラン軍の焦土作戦により大混乱に陥っていることは、諜報部隊の報告により事実であった。
だが、その成果が本当に現れるのは、もう少し後――収穫の季節になってからだ。
おそらく燕の今年の年貢は例年の半分以下になる。飢饉が来るよりも酷い状況になると見られていた。
「燕軍の攻撃は、こちらが出てくるのを誘っているのです。あのような安い挑発に乗ってはいけません」
チョウシはフコウを諭す。だがフコウはリキの仇を討つのだと言い募り、チョウシが諭すたびに当たり散らし、自分の軍営へ戻っていった。
カクは、チョウシの陣の中の気配が揺らいでいるのを感じていた。自分が感じているということは、ボヨウスイも同じだろう。
だが、ボヨウスイは不気味なほど動かなかった。
北部はモクラン軍により散々《さんざん》に荒らされ、現地の軍も、ボヨウスイが送った援軍も、秦軍に翻弄され、まともなぶつかり合いができていないという。
カクは魔道具兵を出した。チョウシの陣の揺らぎが見える方角に、水弾を撃たせた。
もちろん陣の奥まで届くものではない。だが、揺らぎは確かに大きくなった。
フコウは、カクが魔道具兵を連れて陣の前に現れたと聞き、急いで馬に飛び乗った。
「カクを討つ! 余に続け!」
尊敬するリキを、卑怯にも魔道具で殺害したカクが許せなかった。
そのカクが、事もあろうに魔道具兵を引き連れて現れたのだ。フコウは完全に冷静さを失っていた。
フコウの軍営の騒ぎを聞きつけ、チョウシは慌てて馬に乗り飛び出した。そして出撃しようとするフコウの馬の前へ、進路を遮るように飛び出す。
フコウの馬は驚いて立ち上がり、フコウを振り落とした。チョウシは急いで馬を降り、フコウを助け起こす。
「ご無礼つかまつる。フコウ様、ここは堪えてください。ここで出撃すれば、お命に関わります!」
フコウはチョウシの手を払いのけた。
「止めるな! リキの仇を討つのだ!」
なおも言い募るフコウに、チョウシは歯を食いしばった。
「……御免!」
チョウシはやむを得ず、フコウの首に手刀を入れて気絶させた。部下に幕舎へ連れて行き、監視せよと命じる。
カクは、チョウシの陣の揺らぎが収まるのを見て引き上げた。
「チョウシも、面倒なものを抱えたものだ……」
カクはチョウシの立場を不憫に思った。だが、それはカクも似たようなものだ。叔父の存在が、カクを縛っている。
幕舎に戻ると、ボヨウスイの伝令が来ていた。
「ボヨウスイ将軍は、あと三日、何もするなと仰せです」
その言葉に、カクは首を傾げる。三日待てば何があるというのか。
トウジンが援軍に来ることもなく、そのような報告もない。燕にも、これ以上鄴へ援軍を送る余力はなかった。
「……何を考えている」
カクはボヨウスイの考えが読めなかった。だが、それを見定めてやろうと決める。
「ボヨウスイの動きをしっかり見ろ。遅れを取らぬよう、準備を整えよ」
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三日後の夜。
その日は新月であった。
月明かりはなく、漆黒の闇に星だけが冴え冴えと輝いている。
ボヨウスイの陣は、篝火も最低限で薄暗かった。
「出撃だ。今宵で決着をつける」
その声は小さく、闇に溶けそうでありながら、確かに全軍に伝わった。
馬には革靴を履かせ、口には布を噛ませている。ほとんど物音を立てず、ボヨウスイ軍は全軍、陣を出た。
カクはそれを気配で察知する。
「……出たか」
カクも、ボヨウスイの策を邪魔してはならないと、極力音を立てず出撃の準備をさせた。
陣門で馬に乗り、機を待つ。隣にはハクエンが並び立っていた。
「無理はするな」
カクの言葉に、ハクエンは静かにうなずく。
やがて、ボヨウスイの総攻撃が始まった。チョウシの防壁を越え、火の矢が次々《つぎつぎ》と撃ち込まれる。
「夜襲か!」
チョウシは跳ね起き、外へ出た。
防壁を越えた火の矢は幕舎や馬草を焼いたが、兵たちがすぐに土砂をかけ鎮火する。その程度の攻撃は、チョウシの陣には無意味だった。
直後、防壁から爆音が響き渡る。
ボヨウスイの火の虎の魔法が、防壁にぶつかった音だ。
陣全体が揺れるが、防壁は崩れない。
「なぜだ……」
なぜ、ボヨウスイが夜襲まで仕掛け、このような無意味な攻撃をするのか。チョウシは理解に苦しんだ。
燕軍が梯子をかけ、防壁を登ってくる。
「突き落とせ!」
仮に占拠されても、防壁は合図一つで外側を崩壊させられる。ヨウチョウを下敷きにしたことを、ボヨウスイも知っているはずだ。
「……何かある」
チョウシは警戒したが、正体が掴めない。
攻撃は続き、防壁には再び衝撃と爆音。二発目の火の虎が放たれた。
「これで終わりか……?」
防壁にはひびが入ったが、修復可能な範囲だ。
チョウシは修復のため、少し前へ出た。
――その時だった。
背後で、地鳴りのような音が響く。
振り返ると、地面に無数の穴が開き、そこから燕軍が這い出てきていた。




