31話
モクランは、北部駐屯軍が援軍を出したと聞き、そろそろ頃合いだと判断した。
燕北部の軍は、この頃戦がなかったため統率も取れない弱兵であった。だが、北部駐屯軍は違う。東の半島の国々と戦を繰り返してきた熟練の軍だ。これ以上、分散したままでは各個撃破される恐れがあった。
それに北部の地は、ほとんど焼き尽くしている。モクランは本陣への再集結を指示した。
各地から続々《ぞくぞく》と千人隊が帰還してくる。食糧を携えて戻る部隊、持ち帰れず焼いてきた部隊もあった。中には関係のない宝飾品を持ち帰ってくる部隊もいた。モクランはそうした部隊の千人将を、容赦なく斬首した。
「誰が食糧以外のものを奪ってよいと言った!」
モクランの語気は荒く、宝飾品を奪っていた他の千人将たちは震え上がり、奪った品を投げ捨てた。
モクランなりの、せめてもの正義であった。
ほとんどの千人隊は帰還してきた。
だが、ジュンカンの部隊、そして同行していたケイの百人隊が戻っていなかった。
日が暮れる。待てども二人は帰ってこない。
そこへ、血だらけの男が本陣へ駆け込んできた。ジュンカンにつけていた諜報部隊の一人であった。
「何があった!?」
モクランは男の肩を掴み問い詰める。
「エ、エイゲツが……お、襲ってきて……か、壊滅……」
男はそれだけ言うと力尽きた。
モクランの顔から血の気が引いた。すぐに馬に飛び乗り、本陣を飛び出す。麾下の騎兵も慌てて追いかけた。モクランは俊足の魔法を自身にかける。
――ケイ……
モクランはケイの無事を祈りながら、馬に鞭を入れた。
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常山にいたヨウチョウは、突然騎馬隊が駆け降りてくるのを見て意図が分からず、警戒を強めた。秦の騎馬隊は北東へ向かっていく。陽動かと考え、動かなかった。
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ジュンカンの部隊は、エイゲツ軍二千の奇襲を受けた。気づいた時には、すでに目の前まで迫っていた。回避する余裕はなかった。
「敵襲だ! 構えよ!」
エイゲツの顔が見える。
ジュンカンは八十個の礫を放った。だがエイゲツはニヤリと笑い、百個以上の礫を撃ち返す。空中で礫同士がぶつかり合い、砕け散る。だが数に勝るエイゲツの礫が、ジュンカンの周囲の兵を撃ち倒した。
ジュンカンは舌打ちし、拳大の礫を放つ。エイゲツも同じく拳大の礫を撃った。
空中で激突する礫。
だがエイゲツの礫の方が威力で勝り、ジュンカンの礫を砕いてそのまま襲いかかった。
「ぐあああっ!」
威力は半減していたが、それでもエイゲツの礫はジュンカンの肩を砕いた。
ジュンカンは激痛に歯を食いしばり、馬から落ちそうになるのを堪えた。
そこへ、怒りの表情を浮かべたケイが駆け寄ってくる。
「よせ! お前の敵う相手じゃない! 逃げろ!」
だが、その声はケイには届かなかった。ケイは弓を構え、火の矢を放つ。通常の二倍の魔力を込めた一射だった。
エイゲツは即座に土の壁を築く。火の矢は壁に激突し、轟音とともに消えた。
「逃げろ!」
ケイは叫ぶ。
「何を言っている! お前が逃げろ!」
ジュンカンが叫び返すが、部下たちはジュンカンの馬に鞭を入れた。馬はジュンカンを乗せたまま駆け出す。
ケイは再び火の矢を放つ。エイゲツは軽く身を捻り、矢をかわした。
エイゲツの礫が放たれる。咄嗟にサクが飛び込み、ケイを突き飛ばした。
二人は礫をかわしたが、すでにエイゲツ軍に囲まれていた。ケイの百人隊は救出に向かったが、ほとんどが討ち倒された。
エイゲツはケイとサクの顔を見て、ニヤリと笑う。
「縛り上げろ。連れて行く」
二人は縛られ、担ぎ上げられた。
「ケイ! ケイ! 戻って! 助けて!」
ジュンカンの叫びが響く。
だが馬は止まらない。ケイの姿は次第に遠ざかっていった。追撃はなかった。
ケイとサクは、近くの森へと連行された。
「お前たちは先に行け」
エイゲツは部下を制し、数人だけを残して部隊を先へ向かわせた。
ケイは、正面からエイゲツを睨みつけた。
「……なぜ殺さない?」
エイゲツは、薄く笑った。
「お前程度の百人将、いつでも始末できる」
そして一歩距離を詰め、低い声で言った。
「それに……お前の顔が気に入った」
ケイは縄を引きちぎろうと身をよじる。
「俺が目的なら、サクは離せ! 彼女は関係ない!」
エイゲツは一瞬だけサクを見て、肩をすくめた。
「なるほどな……。だが、命乞いをする余裕があるとは、随分と部下思いだ」
ケイは歯を食いしばる。周囲の兵たちはまた将軍の悪い癖がはじまったと笑いあった。こういうことをするのは初めてではないようだ。
「部下の前で、どこまで耐えられるか……試してみたくなった」
エイゲツが近づき、威圧するように視線を落とす。空気が重く、逃げ場がない。
「やめなさい!」
サクが叫んだ。
「これ以上、隊長を侮辱するなら――」
だが言葉は途中で遮られた。エイゲツがサクの顔に小さな礫を投げつけた。
「口の利き方に気をつけろ」
サクは唇を噛みしめ、必死に耐えた。
「よく見ておけ」
エイゲツは、わざと間を置いて続ける。
「守ろうとした結果、どうなるのかを」
エイゲツは自ら鎧を外し肌をさらけ出す。そして、ケイに体を密着させた瞬間だった。エイゲツの表情が、わずかに歪んだ。
「……なんだ……これは?」
予期せぬ、背筋をなぞる、説明のつかない感覚。息がわずかに乱れる。支配する側であるはずの自分が、なぜか内側から揺らいでいる。
「……お前……ん……あぁっ!」
エイゲツは思わず、ケイの顔を見つめていた。そして取り繕うように唇の端をあげ、妖艶な笑みを浮かべた。
そのときだった。
「――貴様! 何をしている!」
怒声が森に響いた。
次の瞬間、馬ごと突進してきた影が、エイゲツを跳ね飛ばした。エイゲツは霰もない姿で転がる。
モクランだった。
「捕らえよ!」
遅れて駆け込んできた兵たちが、一斉にエイゲツを取り押さえる。
モクランはすぐにケイのもとへ駆け寄り、縄を断ち切った。
「……無事か」
そう言って、強く抱き寄せる。
ケイは、ようやく息をついた。
少し離れた場所で、ジュンカンはその光景を見つめていた。
本当は――
自分が、あの場所に駆け寄りたかった。




