30話
秦軍は本陣に一万を残し、千人将単位で散開した。その数はおよそ三十部隊に及ぶ。
ケイはモクランに、ジュンカンの部隊と共に行動させてほしいと直訴した。
モクランは本来、ケイにこのような役目を負わせたくはなかった。だが、ケイの真剣な眼差しを前に、その申し出を認めた。
本当は、ケイこそがジュンカンに手を汚してほしくないと思っていたのだ。
「いいのか、ケイ。この任務は心が痛むぞ」
ジュンカンが問いかける。
「構わない。ジュンカンと、苦しみは分かち合いたい」
そう答えると、ジュンカンは何も言わなかった。ただ、少し泣いているように見えた。
⸻
常山を預かるボヨウグンは、秦軍が散らばっている様子を見て不審に思った。
本陣は動かず、常山には一万の兵が駐屯しているだけ。迂闊に打って出ることはできない。
だが、各地から立ち上る煙を目にして、ボヨウグンは顔色を変えた。
「なんてことをしてくれるんだ……!」
秦軍は田畑を焼いていた。春に苗を植えたばかりの畑だ。これでは秋の収穫は、完全に失われる。
「申し上げます! 秦軍が町や村を襲っています!」
ボヨウグンは愕然とした。秦軍がこれまで、民を標的にすることはなかったはずだ。
判断がつかず、ボヨウグンは急ぎ中山へ伝令を送った。
ボヨウグンは王族の血を引いているというだけで常山を任されていた平凡な将に過ぎない。
近年、北部では戦が起きておらず、それでも務まっていたのだ。
「やめてください! それを取られたら生きていけません!」
懇願する農民を蹴り飛ばし、糧食を奪っていく秦軍の兵。
反抗して立ち向かう者は、容赦なく斬り捨てられた。
中には食料とは無関係な宝飾品を奪う部隊もいた。それを横目に、ジュンカンは首を振る。
「……こんなのは、戦じゃない」
ケイは怯える農民たちに歩み寄った。
「俺たちは、あんたたちを殺したいわけじゃない。すまないが、少しだけ食料を分けてほしい……それから、東へ避難してくれ」
ケイの穏やかな言葉に、農民たちは震えながら倉を指差し、逃げていった。
「全部奪うのは、愚か者のすることだ……」
ケイの呟きを、ジュンカンは安堵した表情で聞いていた。
だが、ジュンカンのような部隊は少数派だった。多くの部隊は田畑を焼き、食料を奪い、持ちきれぬ分は倉ごと焼き払った。
⸻
モクランは本陣から、火の手と煙が上がる光景を歯を食いしばって見ていた。
オウモウからの指示とはいえ、命じたのは自分だ。見届ける義務があった。
堪えきれなくなったボヨウグンは、掠奪を止めるべく出撃した。
それを見たモクランは、ソンキンに命じる。
「撃破せよ」
ソンキンは騎馬三千を率い、高所から駆け下りた。逆落としの一撃で、ボヨウグンの軍は粉砕された。
ボヨウグンは慌てて城へ逃げ戻り、籠城する。ソンキンは深追いせず、本陣へ戻った。
⸻
中山にいたエイゲツは、ボヨウグンからの報を受け、即座に出撃を命じた。
「これより北部軍の指揮は、ボヨウスイ将軍の命により、このエイゲツが執る!」
中山には三万の軍が駐屯している。エイゲツは守将エンキに二万を与え、散在する秦軍の掃討を命じた。自身は一万を率いて常山へ向かう。
秦軍の掠奪は燎原の火のごとく広がった。常山、中山一帯は瞬く間に火の海と化す。
エイゲツは山上に陣取るモクランを睨みつけた。隙はなく、正面から攻め落とすことは不可能だった。
一度敗走したボヨウグンは恐怖に囚われ、もはや出撃しようとしなかった。
「この軟弱者め! 玉はついているのか!」
エイゲツは怒号を飛ばす。
「縛り上げろ!」
ボヨウグンは捕えられ、城壁の上へ引きずり出された。
「臆病者の末路は、たとえ王族であろうとこうだ!」
エイゲツはボヨウグンを城壁から蹴り落とした。悲鳴とともに落下し、地面に叩きつけられて絶命する。
それを目にした守兵たちは、顔を引き締めた。
エイゲツは守兵五千を出撃させ、秦軍掃討に向かわせた。
⸻
だが、掃討は困難を極めた。
秦軍は千人単位で分散し、機動力に優れ、捕捉できない。
エンキも軍を細かく割って追撃したが、秦軍は周囲と連携し、分断された燕軍を各個撃破していった。
それを可能にしていたのが、ジセンの諜報部隊である。
独自の通信手段で、燕軍の位置を各部隊に伝えていたのだ。
この消耗戦は二か月続いた。ヨウチョウの一万も合流したが、状況は変わらなかった。
援軍要請は何度も送られたが、ボヨウスイもカクもチョウシと対峙して動けない。さらにヒョウがギョウ入りし、北部への増援を禁じていた。
被害は拡大し続ける。
地方都市の守備兵は数百程度で、消火に追われ戦力にならない。
エイゲツはついに北東国境の北部駐屯軍に頼る決断をした。
四万が駐屯するその軍から、ボヨウタクは一万を派遣すると約した。
その返事を聞き、エイゲツは毒づく。
「もっと早く動け……王族はクズばかりだ!」
すでに北部の今年の収穫は、ほぼ絶望的だった。
エイゲツはヨウチョウに中山を任せ、自ら二千を率いて北部駐屯軍へ向かう。
その途中、掠奪に消極的な秦の千人隊を発見した。
「いい。あれで鬱憤を晴らす」
標的となったのは、ジュンカンの部隊であった。




