23話
燕は、ここにきて、洛陽を東晋に引き渡すことを渋っていた。
ボヨウスイが強硬に反対していたこともあり、王であるボヨウイの心は揺れていた。
「国家間の信用に関わります。どうか約束を違えませんように」
宰相ヒョウは王に諫言する。内心では、その優柔不断な態度に苛立っていた。
東晋からも、早く引き渡すよう催促の使者が来ていた。
ヒョウは王に進言する。
「洛陽の民や資材も、すべて中山へ連れて行きましょう」
東晋へは、洛陽を明け渡すと言っただけであり、その中身まで渡すとは言っていない――そうヒョウは主張した。
ヒョウは、中山の準備が整っていないとして、半年待ってほしいという使者を東晋へ送った。
オウモウはジセンからの情報により、燕と東晋の関係がうまくいっていないことを把握していた。
オウモウは、ジセンの諜報部隊を洛陽に多めに投入する。
すると、少しずつ人々が家財道具などの財産を携え、中山へ向けて引っ越しを始めていることが分かった。
洛陽にある家屋なども取り壊されているという。
燕は、資材すら残すつもりはないようであった。
燕は秘密裏に進めているつもりなのだろう。
だが、毎日数百人という民の移動は、隠し切れるものではなかった。
いずれ東晋側も、その動きに気づくはずである。
もぬけの殻となった洛陽を、東晋が欲しがるかどうかは疑問であった。
秦は、先の敗戦から半年を経て、立ち直りつつあった。
各地で軍の増強が進んでいる。
オウモウはフケンに、諸将を集めて軍議を開くよう進言した。
先の敗戦の遠因は、宰相であったオウモウと、トウキョウら将軍たちとの関係性が良好ではなかったことにあった。
そしてそれは、そのまま中央の民族と騎馬民族との対立構図でもあった。
フケンとオウモウの二人だけによる密談のような形で国家の意思決定が行われてきた体制も、ここで改められることになった。
トウキョウ、チョウシ、モクランといった秦を代表する将軍のほか、
フケンの長男である皇太子フコウ、
フケンのクーデターの立役者ともされる老臣リキなど、
老若男女、さまざまな種族の人物が一堂に会した。
オウモウが口を開く。
洛陽の現状、そして燕と東晋が洛陽引き渡しを巡って対立していることを説明した。
トウキョウはオウモウの話を聞きながら、あくびをしている。
オウモウはそれに気づいたが、何も言わなかった。
フケンが立ち上がり、話し始める。
「洛陽は、天下統一の象徴となる都市である。余は洛陽が欲しい」
フケンの言葉は、いつもと違っていた。
徳の高い王であろうと心掛けているフケンは、このように露骨に「欲しい」と口にすることはなかった。
たとえ内心で決めていることがあっても、必ず家臣たちと侃侃諤諤の議論を重ね、そのうえで最終判断を下してきたのだ。
それだけ、フケンの洛陽に対する思いが強いのだと、この場に居合わせた者は誰しも感じ取った。
「洛陽を取る。これは絶対である。そのために、どう動くべきか。それぞれ意見を述べよ」
大きな地図が広げられる。
そこには都市の名が記され、秦国内各地の軍勢が駒として置かれた。
「軍は増強されております。一気に洛陽を叩きましょう」
まず、モクランが口を開いた。
「それでは、燕と東晋の二国を同時に相手取ることになります。半年前の二の舞となりましょう」
老臣リキが反論する。
この男は、フケン即位後まもなく隠居しており、近年は目立った活躍はなかった。
だが、クーデターの立役者であり、その功績はこの場にいる誰よりも大きい。
秦にとって重要な局面で、フケンに請われ、現役に復帰していた。
「軍は増強されたとはいえ、新兵も多い。いきなり洛陽を狙うのは荷が重いでしょう。まずは小さな戦を重ね、実戦経験を積むべきです」
チョウシが続けた。
今回の増強で、最も多く新兵を受け入れたのがチョウシの軍であった。
「燕は中山への遷都準備を進めています。主力が北へ移動する前に、燕北部を侵略してはどうでしょうか」
フコウが意見を述べる。
「余は洛陽と言った。北部を攻める理由は何だ」
フケンが問い返す。
「一つ目は、軍に実戦経験を積ませるため。
二つ目は、中山を脅かすことで、燕の意識を洛陽から逸らすため。
三つ目は、北部は近年戦がなく、資源が蓄えられています。それを奪い、燕を弱体化させるためです」
フコウは整然と述べた。
フケンはゆっくりと頷く。
「皆はどう思う?」
「俺は、いいと思いますぜ」
トウキョウが、あくびを噛み殺しながら答えた。
その態度は不遜ではあったが、ボヨウスイと互角に渡り合った男の意見として、無視はできなかった。
「では、まず燕北部を侵略せよ。期限は、夏が終わるまでの四か月間だ」
フケンが決断を下し、一同は拝礼した。
四か月という期限の意味は、誰もが理解していた。
麦秋の頃、燕と東晋の関係は、洛陽周辺の麦の徴税を巡って、最も拗れると見られていたからだ。
軍議は続く。
モクランから、燕の将軍カクについての情報が共有された。
もはやヒョウの影に隠れた存在ではなく、ボヨウスイと並ぶ、燕の中核を成す将軍として認識されていた。
燕北部を攻めるにあたり、モクランのいる太原からの出撃が最も近い経路であった。
モクランが先鋒、長安にいるチョウシが続き、二軍による侵攻が決定した。
南の要衝を守るトウキョウは、燕および東晋への抑えとして動かせなかった。
チョウシの軍には、皇太子フコウが帯同することとなった。
フケン自身も戦で成り上がった王である。子にも戦の経験を積ませたい意図があった。
諸将は、それぞれ自軍のもとへ戻っていく。
先鋒を務めるモクランの目は、闘志に燃えていた。




