20話
翌日、ケイは改めてハンに話を聞いた。
「私も詳しいことは知らないのです。なんでもタクゲン様が死んで、家の稼ぎ頭がいなくなったものだから、奴隷を売ったみたいなんです」
ケイは泣きそうになった。だが、必死に涙をこらえた。
「いったい、どこへ売られたんだ?」
「さあ……私の聞く限りだと、タクゲン様より上流の貴族様としか……」
「では、タクゲンさんの奥方はどこに行った? それに、この国では未亡人には年金が出るはずだが」
ケイは立て続けに問いかけた。
「ああ、奥方様なら鄴の商人と再婚したみたいですぜ。タクゲン様が生きている時から不倫していたと、もっぱらの噂だったんですよ。もっとも、タクゲン様だけは知らなかったようですがね。奴隷を高値で売ったみたいですし、年金も必要ないと断ったそうですわ」
――鄴か。
ここは太原外れにある街である。ケイは、鄴へ行こうと思い立った。
だが、その思いは翌朝、砕かれる。
ケイのもとに招集の知らせが届いたのだった。
もはや奴隷兵ではない。百人将となった今、勝手に旅に出ることは許されない立場であった。
「もう次の戦か……」
だが、招集は戦に出るためのものではなかった。次の戦いに備えるための訓練であった。
ケイは太原へ向かう。そこにはジュンカンが待っていた。目が合うと、ジュンカンは微笑んだ。
ハンも招集されてきていた。ジュンカンがケイに微笑むのを見て、驚いたような視線をケイに向ける。ケイはそれが鬱陶しく感じ、足早にその場を離れた。
「待て! まだ話は終わってないぞ!」
ジュンカンがケイの後を追う。ハンはその様子をニヤニヤと眺めていた。ケイはその視線に気づき、ハンを睨みつけた。
招集された兵は一万であった。来るべき戦に備え、再度訓練を行うのだという。ここ太原以外にも、首都長安や、南の要衝である襄陽でも、同様に万単位の兵が集められ、訓練が行われているようだった。
ここ太原の訓練を指揮するのはモクランであった。その姿が現れると、兵たちから歓声が上がる。
「やった! 当たりだ!」
などと口走る兵もいるほどの人気ぶりだった。
騎馬隊を増強するため、歩兵の中から適性のある者を選抜するという。ケイは実は馬に乗った経験がある。前世では大学の馬術部の顧問をしていたのだ。もっとも、顧問といっても名ばかりで、実際の運営は学生が行っていたのだが。
ジュンカンも馬には乗れる。歩兵の千人将ではあるが、指揮官として馬上から指揮を執ることも求められるため、訓練を受けていたのだ。
モクランはジュンカンを呼び止めた。
「あなたの千人隊は、騎馬隊の訓練をしなさい」
ジュンカンは喜んだ。騎馬隊になれば、今よりもずっと礫を活かした動きができる。より多くの武功を挙げられるはずだ。
「ああ、それから――ケイの百人隊は私が預かります。後で幕舎に来るよう、伝えなさい」
モクランは付け加えるように言った。
「え……?」
ジュンカンの胸に、もやもやとした感情が湧き上がった。まるでモクランにケイを取られたような感覚だった。
ケイだけが、本当の自分を知っているのに……。
だが、モクランの指示に背くわけにはいかない。ジュンカンは渋々、承諾するしかなかった。
ケイはモクランの幕舎へ向かった。モクランの指名だと伝えるジュンカンの顔は、悔しそうに見えた。
「よく来たわね。まずは、先の戦での働きに感謝するわ」
モクランはケイに声をかけた。彼女の姿は、戦場で見た鎧姿ではなく、ずいぶんと軽装であった。薄い絹の服はかすかに透け、体の線が見える。素足にサンダルのような履き物。
そして、その胸元――ケイは思わず目を逸らした。
幕舎の中には香が焚かれており、甘い匂いが漂っていた。戦場とのあまりのギャップに、ケイの心臓は激しく鼓動する。そんなケイの反応を見て、モクランは微笑んだ。
だが、モクラン自身も、男を幕舎に入れるのは初めてであった。内心では、かなり緊張していたのだ。
「もっと近寄りなさい」
ケイは恐る恐る近づき、ひざまずく。近くで見るほど、モクランは美しい。汗が止まらなかった。胸元に――うっすらと浮かぶものが、どうしても視界に入る。
「なぜ、私を呼んだのですか?」
ケイはかろうじて言葉を発したが、喉はからからで、声はたどたどしかった。
「あなたのことを、もっと知りたいからに決まっているでしょう」
その言葉に、ケイの全身が緊張で硬直する。
「近くで顔を見せて」
モクランはケイの顔を手に取り、じっと見つめた。
――近い……。
息がかかるほどの距離だった。ケイは思わず恥ずかしくなり、目を閉じてしまう。
「しっかり目を開けて、前を見て」
ケイはなんとか目を開き、モクランの顔を直視した。
「その……なぜ、そんな格好をしているのですか?」
ケイは、思わず聞いてしまった。
「あら? 宮女から聞いたのよ。男を呼ぶときは、こうするのが礼儀だって」
モクランは、少し恥ずかしそうに言った。
――そんな馬鹿な。今頃、その宮女は爆笑しているに違いない。
モクランは純粋なのだ。決してケイを誘っているわけではないと気づき、少し落胆する。
だが、モクランの次の言葉に、ケイはハッとした。
「似ているわ……あの男に」
ケイは、その言葉に目を見開いた。
「かつて戦った、代の国王に似ているわ」




