18話
洞窟の中は予想以上に狭かった。ケイとジュンカンが座ると、体がくっつくほどの距離であった。
「ぶるぶる震えていたガキが、生意気なんだよ……」
ジュンカンは言った。ケイが初めて戦に出たのは、ついこの間のことなのだ。初めて人を殺した感覚も、今でも思い出すことができる。
あの時は吐いた。だが激戦が繰り広げられる中、次第に戦争に慣れていった。そう思うと、ケイは自分が怖くなった。
「お前はすぐに死ぬと思っていたよ……だが、私を助けるほどになるなんてな……まったく予想外だ……」
ジュンカンが言う。ケイ自身も、ここまでのことをするとは想像していなかった。だが、ケイはこの先の運命――いや、成すべきことを知っている。あくまで史実によるものではあるが……。
「あらためて礼を言うぞ。ありがとう。お前がいなければ、私は死んでいた」
はじめて聞くジュンカンの優しい言葉に、ケイは驚いた。
「なんだ。何かおかしいか?」
そう言いつつも、ジュンカンは照れて目を伏せた。
「!?」
ケイは自分でも分からない衝動に駆られ、ジュンカンの唇を唐突に奪った。ジュンカンは目を見開く。
ジュンカンはケイの顔を引き離そうとするが、すぐに手を放し、目を閉じた。
どれほどの時間が経ったであろう。それは短くもあり、長くもあった。二人は互いに唇を離し、見つめ合う。ジュンカンの目から、涙が流れる。
ケイは慌てた。指で涙を拭う。ジュンカンは、なぜ涙が出たのか分からず、戸惑っていた。
「ジュンカン……」
ケイに突然名前を呼ばれ、ジュンカンは心臓の鼓動が跳ね上がった。
――なんだ、この感覚は……。
ジュンカンは気を取り直し、ケイを睨む。
「わたしのことを名前で呼びたいなら、他にやることがあるだろう……」
ケイはジュンカンの言葉の意味を考えた。目をじっと見る。やはりそうだと確信し、再び口づけをした。
やがて辺りは暗くなり、洞窟の中も真っ暗になる。トウジン軍の足音も聞こえない。静寂の中、木々のさざめきや、微かな虫の鳴き声だけが聞こえる。
ジュンカンはケイに身を任せた。互いに経験はないはずだ。だが、ケイの動きは、熟知しているかのように滑らかだった。当然だ。ケイの中身は六十歳近い大人なのだ。ジュンカンはもちろん、そんなことは知らない。だが、ここはケイに任せようと思った。
互いの感情が膨らみ、ぶつかり合い、やがて何かが優しく包み込む。ジュンカンは男を毛嫌いしていたはずだった。だが、この瞬間は幸せであった。
夜が明ける。二人は鎧を身に纏う。乾いた兵糧を食べる。無言であった。二人の関係は、千人将と、その部下の百人将の立場に戻った。だが、それは表向きのことで、心の中では何かが芽生えていた。
二人は慎重に山を下りた。近くに敵兵らしきものは居なかった。秦に向かって歩き出す。
やがてシンの騎馬隊に遭遇する。モクランは、戻ってこないケイとジュンカンを探すために、捜索部隊を出したのだという。たかが千人将と百人将に対して行うことではないと思われた。
だが、帰還を報告したときのモクランの表情は、とても明るかった。まるで太陽のようであった。
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ボヨウスイは洛陽に帰還し、王のボヨウイに謁見した。そこにはヒョウとカク、そして東晋軍を率いてきたカンオンがいた。
「では、あとは手筈どおりに……」
カンオンはそう言い、立ち去る。
――何かある。
ボヨウスイは嫌な予感がしていた。やがて王の口から、とんでもないことが告げられる。
「中山に遷都する」
ボヨウスイは唖然とし、王に問うた。
「なぜですか?」
王の代わりにヒョウが口を開いた。ボヨウスイはヒョウを睨みつける。この男は、碌でもないことをしたに違いないと感じていた。その直感は、すぐに当たる。
「洛陽は、援軍の礼として東晋に引き渡すことになった。これからは東晋と共に、秦軍と戦うことに相成った」
――何が「相成った」だ……。
「洛陽は古来より政治の中心地にして、統治の象徴のような都市です。お考え直しを」
ボヨウスイは王に向き直り、進言する。だが、王は目を背けるばかりで、何も言わなかった。昔からそうだ。この王は優柔不断で、何も決められない。ヒョウの傀儡のようなものであった。
「決まったことである。ボヨウ将軍、控えよ」
ヒョウが凛とした声で言う。だが、ボヨウスイはなおも続けた。
「東晋にとってラクヨウは悲願の地です。北の統治も諦めたわけではありません。きっと近い将来、我が国にとって、よくないことが起きることでしょう」
「中山に遷都することは、南北に長い我が国にとって利にかなったことである。そして洛陽を渡せば、東晋とも良好な関係を築くことができる」
ヒョウは反論した。
「だが、洛陽は南に寄っているとはいえ、先代の王が天下統一の姿勢を見せるため、あえて首都とお決めになったのです。王は、その意志を継がないおつもりなのか」
ボヨウスイは、再び王に問うた。
「無礼であるぞ! これは我が国が力を蓄えるための策でもある。これ以上言い募ると、将軍の地位を剥奪するぞ!」
ヒョウが声を荒げる。王はやはり何も言わなかった。むしろ、このやり取りが早く終わってほしそうな顔をしている。
ボヨウスイは諦めて、謁見の間を出る。そして天を仰ぎ見て、叫ぶのであった。




