17話
モクランは魔法の展開に全力を注いだ。カクのような水の防壁を作らなければ、東晋に追撃され大打撃を受けてしまう。
唯一、こちらに有利なのは、東晋軍が歩兵主体であることだ。古来より南船北馬という言葉がある。騎馬での機動力では、秦軍の方が上であった。
ソンキンを呼ぶ。
「騎兵を率いて撹乱せよ」
ソンキンは緊張した面持ちで、騎馬三千を率い出撃する。東晋軍五万を掻き乱すのだ。止まることは絶対に許されない。
「出るぞ!時間を稼ぐ!絶対に止まるな!」
モクランは歩兵を半分に割った。半分を撤退させる。半分は水の防壁を作る場所の後方に円陣を構えさせる。モクランと麾下の部隊は、その円陣の真ん中に構えた。
秦軍の撤退が始まる。
「逃すな!追って殲滅せよ!」
カンオンの号令のもと。東晋軍は前方の円陣へ矢を降り注いだ。秦軍は盾を構え受ける。
燕軍はやはり動かない。まるで、この戦いに関心がないようであった。
ジュンカンの部隊は円陣にいる。ケイは盾を構えながら、いつ弩の戦車が来るのか、盾の隙間から見ていた。
「この間のように焼き払ってやる……」
ケイは呟く。
「気負うなよ……これは撤退戦なんだ……生きて帰ることが目的だ……」
ケイの呟きが聞こえたのか、ジュンカンが言った。ジュンカンの声は、以前の鬼教官のようなものではなくなってきている。粗野な面は抜けないが、ケイに対する言葉はどこか優しさを帯びてきていた。
生きて帰る。レイにそう誓ったのだ。ケイは、レイが祈る姿を思い浮かべ、盾を持つ手に力を込めた。
「レイ....俺に力を貸してくれ....」
戦車が二台進んでくる。ソンキンの騎兵が護衛兵に一撃を加え、すぐに離脱する。止まれば矢の的になる。ソンキンは動き続け、突いては離れるを繰り返す。
「あの羽虫を仕留めよ」
カンオンはガンリュウに命じる。ガンリュウの歩兵五千が、ソンキンを囲うように広がる。ソンキンの騎兵に矢が集中してくる。少しずつ削られていく。
モクランは魔力の集中を続ける。魔力の高まりが頂点に達したと感じ、旗を振り、ソンキンに下がれと合図を送った。
ソンキンは、ガンリュウの包囲の薄いところを狙い、突破を図る。
「逃すか!」
ガンリュウはソンキンに向けて槍を投げた。ソンキンはそれを払いのけ、包囲を突き破り、円陣の後方へ逃れた。
「ちっ……やはり騎馬の動きは歩兵では捉えられないか……」
カンオンは苛立つ。そして戦車に、円陣に向けて撃てと指示を送る。
「来る!」
ケイは、戦車が矢を装填するのを見て取り、火の矢を放つ構えを見せる。
「待て! モクラン様の魔法が展開するぞ!」
ジュンカンがケイに下がれと言う。そして、円陣の前に分厚い水の壁が現れた。これまでモクランが放った水の壁の中でも、最大の規模であった。
戦車の矢が水の壁に当たるが、破ることはできず落ちる。モクランの手は震えていた。魔力をひたすら壁に送り続けている。壁が受けた衝撃も、魔力の道を通じてモクランに伝わってくる。
秦軍は円陣のまま、徐々に後退を始める。円陣と水の壁の距離が離れるほど、魔力の消耗は大きくなる。モクランは、もはや自力では立っていられず、部下に体を支えられながらも、壁の維持に集中した。
戦車に矢が再び装填される。その間にも、東晋軍は弓矢を水の壁に当て、少しでも削ろうとしてきている。
戦車が二発目を発射する。
「ぐわぁ……」
モクランは、衝撃が魔力の道を通じて伝わり、悶絶する。だが、すぐに歯を食いしばり、魔力を注ぎ続ける。水の壁の厚さは、半分近くになっている。
モクランは円陣を解き、歩兵に駆けろと命じた。モクランと麾下の騎兵二千だけが残り、殿をするつもりであった。千人将単位で、歩兵が順次離脱していく。
「あと少しだ……」
モクランは力を振り絞る。歩兵は、あとジュンカンの部隊が離脱すれば完了する。それまで持てば、モクランも離脱するつもりだった。
戦車から三発目が発射される。巨大な矢は、ついに水の壁に穴を開けた。そして、バシャーンと大きな水飛沫が音を立て、壁は崩れ去った。
「くそ……ここまでか……」
モクランは剣を抜き、ジュンカンに早く撤退せよと命じた。だが、ジュンカンはその場に留まった。
「モクラン様は、この国の柱です! 私が殿を務めますので、撤退してください!」
ジュンカンが叫ぶ。
「わずか千人の兵で、あれを止められるのか! 死ぬぞ!」
モクランも怒鳴った。だが、ジュンカンの目は本気だった。命を投げ出す覚悟ができた目であった。
「すまない……決して死ぬなよ」
モクランはジュンカンを見る。そしてケイにも視線を送った。ケイは、その視線を受け止め、悲しそうな顔をした。
モクランは部下に支えられながら馬に乗り、撤退した。戦車と敵兵が迫ってくる。
「ケイ! やれ!」
ケイは戦車に向けて火の矢を放つ。低い唸りを上げ戦車に突き立ち、燃え広がる。もう一台の戦車から矢が放たれ、歩兵十数人を薙ぎ倒す。
「くそったれー!」
ケイは次の火の矢を戦車に向けて撃つ。それも命中し、戦車はすぐに燃え上がった。ケイは、この間までは二発放てば魔力が尽き倒れていたが、この戦争の間に魔力が上がり、もう一発撃つ余力があった。
「調子に乗るな! ガキども!」
ガンリュウが迫ってくる。ブォンと槍を投げた。
ジュンカンは礫を何発も放ち、槍を空中で粉砕する。ジュンカンの魔力も、この戦争で上がっていたのだ。
「これ以上は無理だ! 引くぞ!」
モクランはすでに視界から消えている。ジュンカンは部隊に、散開しつつ引けと命じた。
伍長単位で散り散りになる。ジュンカンは、ありったけの礫を放ちながら撤退を援護する。だが、敵の数は多かった。ガンリュウの部隊に、ジュンカンは一人包囲されてしまう。
「この小娘が! 邪魔ばかりしやがって!」
ガンリュウが怒鳴る。ジュンカンは礫をガンリュウに向けて放つ。だが、魔力の限界を迎え、礫は力なくポトリと落ちた。ジュンカンも地面に膝をつきながら、顔だけはガンリュウを睨みつけた。汗が流れ落ち地面を濡らした。
「よく見れば、可愛い顔しているじゃないか」
ガンリュウは下品な笑みを浮かべる。
「くっ……一思い《ひとおも》に殺せ……」
ジュンカンは観念し、目を閉じた。
「ぎゃーーーー!!」
突然、ガンリュウが叫び声を上げた。ジュンカンが目を開けると、ガンリュウは燃え上がっていた。
「隊長! こちらへ!」
ケイだった。最後の火の矢で、ガンリュウを燃やしたのだ。
「馬鹿! なぜ来た!」
ケイはジュンカンの手を取り、力を振り絞って走った。ガンリュウの部下たちは、火を消そうと必死に旗で叩いた。慌てふためき、包囲が緩む。ケイたちはそれを突破し、ひたすら駆けた。
ケイはジュンカンを連れ、追手の目をくらますために山に入った。木の影に隠れた二人の側を、トウジン軍の追手が駆け抜けていく。二人はさらに奥へと進み、洞窟を見つけて身を隠した。ケイもジュンカンも魔力が尽き体力も底であった。二人寄り添い息を殺すのであった。




