16話
カクは東晋の援軍への礼のため、カンオンの幕舎を訪れた。
「此度の援軍に感謝する」
カクは、援軍など要らないと内心思っていたが、形式上、礼を言っただけにすぎなかった。
「あと一押しのところで、秦軍を討てます。次はともに連携して攻撃しましょう」
カクの提案に、カンオンは鼻で笑った。
「連携? そんな必要はありません。むしろ、あなた方は黙って見ていていただきたい」
「なぜですか?」
カクは、カンオンの言葉に疑問を呈した。
「ふふん。それは、そちらの宰相に聞いてください」
カクは、カンオンをいけすかない奴だと思いながら軍営を出た。カンオンは、自ら剣を取るというより、軍師タイプの人間だ。そして、その腹黒さも隠そうとしない。
どうせ国同士の話だ。カクは興味を失った。自陣に戻ると、ヒョウが待っていた。
「お前は、これ以上動かんでいい。大人しくしていろ」
カクは、ヒョウの言葉を黙って聞いていた。ヒョウは、カンオンとの取引内容を話した。その内容は、衝撃的であった。
東晋が秦を追い払えば、洛陽を引き渡すというものだった。さらに、敵将軍を討てば、追加で許昌を与えるという破格の条件であった。
ヒョウは、さらに説明する。
「燕の国は南北に長く、首都洛陽は南に偏りすぎている」
そして続けた。
「洛陽は古来より政治の中心地だが、平坦な場所にあり、攻められやすく守り難い。よって、洛陽を東晋に引き渡し、秦への壁になってもらうのだ」
「燕の首都は、どこへ?」
カクは問うた。
「中山だ」
そこは、かつて燕が首都としていた場所だった。洛陽から見れば、相当北に移ることになる。もはや、燕は天下統一を狙わないということなのか。
カクは、ヒョウの説明を聞き、愕然とした。そんなことを王は了承したのか。そして、ボヨウスイが黙っているはずがない。秦を追い払っても、一悶着起きることしか想像できなかった。
「そういえば最近、屋敷に来ないな? お前に会いたがっている女が、たくさんおるぞ。それとも、あのハクエンという女が、そんなに気に入ったのか?」
ヒョウの軽口を聞き流し、幕舎を出た。そして、カクはハクエンの幕舎へ向かった。モクランと戦って以降、様子がおかしかった。
「あの夜のことを、気にしているのか……」
カクは、自分がハクエンを深く傷つけたのではないかと気にしていた。あの時の笑みは、余裕などではなく、嫉妬だったのだ。
なんと切り出してよいかわからず、とりあえず、ヒョウから聞いた話をハクエンに伝えた。
「なんて愚かなことを……カク様は、どうなさるおつもりですか」
ハクエンに問われ、カクは言葉に窮した。今までヒョウに黙って従ってきた。どうすると聞かれても、答えることができなかった。
カクは、ハクエンの肩に手を回す。だが、ハクエンはその手を払いのけた。
「わたくしは、モクランではありませんよ……」
ハクエンは、モクランのことを思うと、内心、怒りが込み上げてくる。それでも、カクの前では表情を繕い、わざと意地悪そうに笑ってみせた。
「すまなかった……俺には、ハクエンしかいないんだ」
「嘘ばっかり……」
ハクエンは軽く笑い、カクに唇を合わせた。カクは力強くハクエンを抱き、寝床へともに倒れ込んだ。
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モクランは、オウモウからの使者の話を聞き、愕然とした。ジョセイが先走ったため、秦軍が大損害を受けたこと。その補強のため、援軍はこちらには回せないこと。オウモウは、モクランに自力で戦えと言ってきたのだ。
「今の状況を、オウモウ殿はご存じなのか? 東晋が現れたのだぞ!」
モクランは、思わず声を荒げた。使者は、東晋の介入を知らなかった。
「急いで戻り、オウモウ殿に伝えよ!」
モクランは使者を追い返す。だが、ほどなくして、別の使者が現れる。それは、撤退を命じるものであった。
オウモウは、フケンに謝罪した。東晋が介入してくることを予測できなかったこと。ジョセイをはじめとする将軍たちを、統率できなかったことを詫びた。
「よい……余が判断を誤ったのだ。お主に責任はない」
フケンは、燕攻撃はまだ早かったのだと悟った。もっと配下たちの団結力を高めてから、動くべきであった。
「誰かが責任を取らねば、将軍たちは収まらないでしょう……」
オウモウの言葉に、フケンは仕方ないと判断し、オウモウを宰相職から解任し、大臣に降格した。オウモウは恭しく礼をし、立ち去る。
フケンは深くため息をつき、玉座に座り込んだ。
「道は、まだ半ばだ……」
チョウシ、トウキョウへ撤退命令が伝えられる。チョウシは防壁を厚くし、撤退を悟られぬようにした。
ボヨウスイは、洛陽北方の戦場に東晋軍が現れたと報告を受けていた。ヒョウからではない。自ら物見を放ち、得た情報であった。
「あの男は、余計なことをする……」
だが、これで秦軍の勝機は、完全に潰えた。チョウシが防壁を組み直しているのは、目眩しであり、撤退準備であろう。
やがて、秦軍が去ったとの報告が届く。
「見事なものだ……こちらに追撃の機会を与えぬとは……」
ボヨウスイはため息をつき、洛陽へ戻る支度を始めた。
一方、モクランの撤退は至難であった。燕軍と東晋軍、双方と対峙している。燕軍はなぜか動かない。だが、東晋軍は明らかに距離を詰めてきていた。まるで、秦軍に援軍は来ないと見切ったかのような動きであった。
モクランは、迫り来る東晋軍を見て、唇をぐっと噛みしめた。




