15話
モクランは、遠くに見える軍の旗に目を見開いていた。それは東晋の軍だった。およそ五万はいるであろう。
「なぜ、こんなところに……」
あれは味方なのか。オウモウが東晋に要請したのであろうか。だが、モクランはそのような知らせを受けていなかった。
ケイは思った。史実では、燕は東晋に攻められ、秦に領土割譲を条件に援軍要請をした。秦は東晋の軍を追い払ったが、燕が領土の引き渡しを渋ったため、激怒した秦に攻められ、滅びの道を辿る。
だが、この世界での展開は史実とは異なる。このタイミングでの東晋到着に、嫌な予感しかなかった。
カクは深くため息をついた。傍にいたハクエンも状況を察し、天を仰ぐ。
「叔父は、なんて愚かなことをしたのだ。東晋に戦に介入させるなど……」
ヒョウがカクに時間稼ぎをしろと言ったのは、東晋の援軍を待っていたからだった。
「後々、面倒なことにならなければよいのですが……」
ハクエンが、カクの気持ちを代弁するかのように言った。東晋は南に追いやられたが、北の地を諦めてはいない。援軍を送る代わりに、領土割譲を要求するはずだった。
「我々は東晋国、カンオン将軍の軍である! 燕国の要請により、これより秦国を討つ!」
東晋軍から大音声が響く。モクランは血の気が引いた。ソンキンに命じ、急いで迎撃の体勢を整えさせる。
まだ東晋の軍は、弓や魔法の射程圏内にまで近づいてきていない。だが、東晋軍は停止し、早くも弓を構えた。
「なんのつもりだ……ただの威嚇なのか……?」
モクランは一瞬、圧力をかけているだけで、直接は戦わないのかと考えた。しかし、東晋軍から一斉に矢が放たれ、その考えは否定される。
矢は風を纏い、秦軍めがけて飛んでくる。
「まさか、風魔法なのか!?」
モクランは驚愕した。魔法の系統は火・水・木・土・金である。気象に関わる魔法は、雨を降らせるなど、水系統の複数の術者によって行われるものだ。
風を操る魔法は、どの系統にも属さない。これまで、誰も成功したことのない魔法である。
「いや……かつて一度だけ成功したと伝わる話があったはず……」
それは、かつて三つの国が争っていた時代、ショカツリョウという軍師が東南の風を吹かせた、という伝承だった。
「盾を構えよ!」
モクランは思考を切り替え、全軍に指示を出す。
これほど遠くから矢が届くはずはない――誰もがそう思っていた。だが、矢は勢いを失うことなく迫ってくる。
「来るぞ! 早く盾を構えろ!」
矢が秦軍に降り注ぐ。盾を構えるのが遅れた者が、次々と射抜かれていく。
第二波、第三波、第四波と続く。
「いつまで続ける気だ……」
モクランは理由を探るべく、燕軍の方へ目を向ける。遠距離射撃で牽制し、燕軍が動くと読んだ。だが、燕軍に動く気配はなかった。
「――!?」
一瞬、視線を外したその時だった。モクランの側に立っていた兵たちが、空気を切り裂く音がしたかと思うと、ギャっという短い悲鳴をあげ、盾ごと射抜かれて吹き飛ばされた。一本の巨大な矢が、兵と盾をまとめて串刺しにしていた。
モクランが東晋軍を見ると、巨大な弩を載せた戦車が、いつの間にか前進してきていた。矢の攻撃は目くらましで、本命は弩による狙撃だったのだ。
「なんですって....」
冷や汗が背を伝う。一歩間違えば自分も撃ち抜かれていたかもしれない。
戦車は三台。モクランめがけて、一斉に巨大な矢が放たれる。
「くっ……!」
モクランは本陣を覆うように、水の壁を立てた。矢は壁にボーンと当たり勢いを失ったが、何度も防げるものではない。
「あの戦車を破壊せよ!」
千人将率いる歩兵五部隊が、盾を構え前に出た。
「出番だ! 目標は戦車破壊!」
ジュンカンの部隊も前進する。戦車の一台が狙いを歩兵に向け、巨大な矢を放つ。
轟音とともに、盾ごと兵が粉砕され、串刺しになる。怯み、伏せる者も出た。
「怯むな! あの矢は連発できん! 駆けるぞ!」
ジュンカンが檄を飛ばす。ケイも続いた。
「隊長を守れ!」
ケイは百人の部下に命じ、ジュンカンを囲ませる。怪我が完治していないのに、無理をしている。守らなければならなかった。
矢が降り注ぎ、何人も倒れる。弩の狙いがこちらを向く。
近づく。戦車を護衛する東晋兵が槍を構えた。
「わたしはいい!ケイ! やれ!」
火の矢が放たれた。低い音を立て飛ぶ。戦車に突き立ち、ゴォーッと燃え上がる。同時に弩が発射され、巨大な矢が頭上をシュッと掠める。
護衛兵が消火を試みるが、火は衰えない。
「いまだ! 蹴散らせ!」
ジュンカンの礫が護衛の千人将の顔面を粉砕した。
「次だ!」
残る二台。カンオンは舌打ちする。
「まだ精度が足りんか……」
本来は初手でモクランを撃ち抜く算段だった。
「戦車を下げよ」
五千人将ガンリュウが前に出る。
モクランはその動きを見て、ソンキンに迎撃と、戦車破壊に向かった歩兵の援護を命じた。ソンキンは騎兵三千を率い、飛び出す。
モクランは側面に気配を感じた。
「やはり来たか……」
燕の騎兵が動く。ハクエンであった。
「嫌な時に来る」
水の壁を使った疲労が残っている。だが、ハクエンに対処できるのは自分しかいない。モクランは自らを奮い立たせ、麾下の騎兵を率いて迎撃に出た。
ソンキンはガンリュウの歩兵と衝突する。乱戦となり、戦車も後退していく。
「蹴散らせ!」
ガンリュウは木魔法を使い、無数の縄を飛ばす。
「小癪な!」
ソンキンは火の槍で縄を切るが、次第に周囲の騎兵が絡め取られていく。
「助けるぞ!」
ジュンカンが駆ける。ケイは父の仇であるソンキンを助けるのかと一瞬迷ったが、後に続いた。
ジュンカンの礫がガンリュウを襲う。ガンリュウは気配で察し、槍でカキーンと弾いた。
「この小娘が!」
槍が投げられる。脇腹の痛みで、ジュンカンの動きが一瞬止まった。ケイが飛び込み、間一髪で槍を逸らす。
「あっ……」
ケイはジュンカンに覆い被さっていた。胸に手を当てていることに気づく。鎧の上からでも、むにゅっという柔らかな感触が伝わってきた。
「馬鹿! 早くどけ!」
戦車が完全に退却するのを見て、ガンリュウは撤退を命じた。殿となり、槍を並べる。
ソンキンは追わなかった。東晋は、まだ四万以上の兵を温存している。
一方、ハクエンは舌打ちした。
「援軍に来たくせに、連携する気はないのか……」
モクランが迫る。水流剣同士がぶつかり、水飛沫はバチンと火花のように弾けた。
「カク様は、私のものだ!」
叫びを聞き、モクランはハッとする。この女は、カクを想っている。
そして、奪われると恐れている。
あの夜、モクランの名を呟いたカクの声、それが、ハクエンの剣を狂わせていた。
モクランは、剣筋の乱れを見抜き、あえて隙を作る。
ハクエンの剣がシュッと空を切る。
「しまった!」
モクランは柄で脇腹をドスッと突き、馬から落とした。モクランは落ちたハクエンに一瞥をくれると引き上げた。
斬れば、怒ったカクが全軍で動く。東晋とも対峙している今、それは避けねばならない。
ハクエンはモクランの考えを理屈では理解していた。
だが、斬られなかったことは、屈辱でしかなかった。ハクエンは遠ざかるモクランの背中を睨みつけた。




