疲労のツケ?
山田 百々瀬との試合後(最弱王決定戦)のこと。
俺は全ての体力を使い切り、あと一ゲームを残した状態で体育館の試合観戦用椅子に腰掛けていた(最後のゲームは普通に負けた)。
言い忘れていたが、俺の通う高校はスポーツの名門校である。指導教員の質、設備、そしてそれら抜群の環境に囲まれた生徒たち......そのどれもが一級品の輝きを誇っている。
俺を打ち負かした山田も、中学時代にバドミントンで県二位という圧巻の成績を残し、推薦で入学してきたスポーツお化けーーーだったらしい。
『らしい』といったのは山田には現在、その圧倒的な身体能力を発露させることができない深刻な事情があるからである。
ーーーそれすなわちドクターストップ。
お転婆娘の山田 百々瀬は、高校二年時の夏季大会で左足靱帯に大きな怪我を負った。それ以来、山田はバドミントンに目一杯打ち込むことができなくなったというわけだ。
運動音痴な俺とスポーツ万能の山田が、しかも山田の得意種目でほぼ互角なのには、そういうトリックがあったわけでございます。
と、ここまで試合に熱中していたことで忘れていたが、俺の命が残り二時間を切っていることに気づく。これは非常にピンチだ。どうやって氷と《結構しっかりしたチュー》をするんだ。というか氷は嫌だろ俺とチューするの。じゃあできんぞ。俺は紳士でありジェントルマンだ。無理だ。
「どうしたもんかなぁ......」
右腕を天井へ掲げる。体育館を照らし出す何種類かの光源が、疲労した両目に突き刺さって痛い。そんな人工の光が与える途轍もない逆光にも屈することなく、俺の視界左上には《雪原 氷と手を繋ぐ clear!》という表記が依然として存在する。
ーーーそもそもこれは一体何なんだ?
俺たちはサブミッションをクリアすることに必死になっていて、根本的なことを考えてもいなかった。
これはマジで何? マジのガチで何?
冷静に考えたらおかしいよね? だっておかしいじゃん。おかしいんだもーん!
ーーーいや疲れてるからって思考を捨てるんじゃない。しっかりしろ俺。
ーーー仮に、氷の方に表示されているサブミッションの残り時間がゼロになってしまったとしても......俺が本当に天使になるかは分からないじゃないか。
そうさその通りさ。
まだ確定的ではないことに怯えて、判断を誤るよりはひとまず落ち着こう。
そうだ綾瀬 木綿。
お前の強みは冷静でいられることだ。高校入学時の簡易的な面接でも『君の長所は何ですか?』という質問に対し『冷静なところです』と答えたじゃないか。その返答に微笑む先生たちが、一緒に面接を受けていた氷に対しても同じ質問をしたら、緊張していた氷は何を思ったか『冷製パスタです』と言っていたじゃないか。
面接の帰り道、自身の失態によって不合格を確信(実際は筆記試験の点数が群を抜いていたので、余裕で合格していた)したらしい氷は、涙を流すことさえなかったが相当落ち込んでいた。犬のうんちを踏んづけたり、ずっこけそうになって俺は世話を焼いたっけ。
ーーー表面では冷静さを取り繕っているようにみえる氷だが、実際は人一倍の脆い心を持っている......ような気がするような気がしないでもないような気が......って俺はこんな時に何を考えて......
「おっつー綾瀬君......って汗かきすぎじゃない? 私との一戦したっきりほとんど動いてないのに」
俺とのゲームの後に、まだ身体を動かしていた化け物こと山田の帰還だ。あんまり汗かいてないのが怖い。
「俺は山田みたいな体力お化けじゃないんでね」
「私を何だと思っているんだよ失礼な男がここにいます! 誰か退場させてください!」
「お化けと思っているよ」
山田は疲れた素振りこそ見せているものの、俺との一戦前にも三戦はしていた。どうなってるんだ? アンドロイド?
「というか、ドクターストップ出てるんだろ? 動かしていいのかよ」
俺が素直に疑問を口にすると、山田がいい顔でにへらと笑った。
「だいじょーぶ。綾瀬君がそんな気づかいできる人だったとはね」
「俺を何だと思ってるんだよ」
「コミュ力逆お化けだと思っているよ」
俺たちが二人とも違う属性を持つお化けだと判明したところで、十二月の寒く重たい風が体育館の窓の隙間から流れ込んできて、俺たちはぶるっと震えた。
さっきまで運動をしていた時は全く感じなかった寒さが、汗で冷え切った身体に嫌というほど染み込んでくる。さっむ。こりゃ早くシャワー室で温まったほうがいいな。
「おい山田、このままじゃ俺たち二人とも冬の悪魔に背中を優しく撫でられて風邪ひいちまうぞ」
わずかに光る頬の汗を、スポーツモデルの機能性タオルでぽんぽんと拭き取る山田。その姿が結構サマになっていて妙にかっこいいのがムカつく。
「へ? あ、ああ。そうだね。授業ももうすぐ終わるし......ってあれ。綾瀬君なんか顔赤くない? 私の美しい女神のような運動後の姿に見惚れっ......わっわっ......」
何だ? 山田のやつ突然慌てて......
というか何言ってるんだこの人......
あれ?
視界が急に回転し始めた......
視界左上のやつもごろごろと回転していく。何だこれは。
うるさいな山田......静かにしろよ......
いや、というかサブミッションどうしよう......このままじゃ......
「お、俺の命が......豊臣秀吉の攻略を......結構しっかりめのチューを......」
狭まっていく視界の中で、慌てた様子の山田だけがちらりと見えた。何やら顔を左右へ慌ただしく向け、俺を強引に動かそうとしているらしい。
「うわああああっ! あ、綾瀬君が......綾瀬君がぁっ!」
な、何だよ......俺が何だってんだ......うおおっ!?
俺は突然、山田の怪力によってお姫様抱っこ状態に持ち上げられた。
「な、何を......この怪力お化けめ......」
「あ、綾瀬君が死んだぁっ! 豊臣秀吉と結構しっかりめのチューしながら命がっ!」
「すごいマルチタスク!」
俺の意識は、絶妙なツッコミを残してそこで途絶えた。




