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アーシェル・ブルー  作者: ニート主夫
第5章

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第6話 暁に歌う灯

霧のカーテンは、まるで意志を持つかのように船をゆっくりと飲み込んでいった。 視界は瞬く間に白一色に染まり、先ほどまでの騒々しい追跡劇が嘘のように、世界は静寂に包まれる。波の音さえ霧に吸い込まれ、聞こえるのは船のきしむ音と仲間たちの呼吸だけだった。


「うわ、本当に何も見えないな……」 船首のノアが目を細める。その表情には不安よりも好奇心が勝っていた。


「これじゃ座礁しかねん。慎重に進むしかないな」 サリヴァンが速度を落とし、水面の気配を探るように操舵輪を微調整する。シロも警戒するように「ピィ……」と喉を鳴らし、悠の肩で小さく身を縮めた。


「悠、鍵が……」 リィアの声に悠が目を向けると、彼女の両手に包まれた銀の鍵が蛍のような淡い光を放ち始めていた。明滅を繰り返すその光は、まるで心臓の鼓動のようだ。


「こっちよ。この光が道を教えてくれてる」 リィアが指し示す方角は、霧がさらに濃くなっているように見えた。


「了解だ、案内頼むぞ」 サリヴァンが迷わず舵を切る。


やがて霧の中にぼんやりと巨大な影が浮かび上がる。最初は濃淡にしか見えなかったそれが、次第に輪郭を持ち始めた。


「……でかいな」 悠が思わず呟く。


現れたのは、海面から突き出す孤高の塔だった。石造りの外壁は苔と蔦に覆われ、波に削られた基部は今にも崩れそうだ。しかしその姿には神々しい威厳があり、頂上付近にはガラス張りの展望室のようなものが見える。だが、そこにあるべき「光」はなかった。


「“灯台の火を”……か」 悠は瓶に入っていたメッセージを反芻する。


船が塔の足元にある朽ちかけた桟橋へ近づくと、不思議なことにそこだけ霧が晴れていた。


「着岸するぞ。衝撃に備えろ!」 サリヴァンの操船で船は静かに桟橋へ横付けされる。


「ここが、あの手紙の主の場所……」 ノアがタラップを下ろしながら塔を見上げる。


その時、リィアが耳を澄ませた。 「聞こえる?……誰かが泣いているような音」


「え? 波の音じゃなくて?」ノアは、耳を澄ます


「ううん。もっと高くて綺麗な音……ピアノ、かしら?」


風に乗って微かな旋律が届く。寂しげで途切れ途切れのメロディだった。


「行ってみよう。鍵が導いた場所だ、きっと理由がある」 悠が先頭に立ち、桟橋へ降り立つ。板は古びているが意外にもしっかりと体重を支えた。



一行は灯台の入口、重厚な鉄の扉の前へ立った。鍵穴はリィアの銀の鍵とぴったり合いそうだ。


「開けるわよ」 リィアが鍵を差し込むと、カチャリと乾いた音が響き、扉が独りでに開いた。


中から吹き抜けてきたのはカビ臭さではなく、懐かしいラベンダーの香りと――より鮮明になった悲しげな旋律だった。


悠たちは顔を見合わせ、暗がりへと一歩を踏み出す。


螺旋階段は、まるで天まで続いているかのように長く、静かだった。


「……これ、何階分あるんだ?」 サリヴァンが膝を軽く叩きながらぼやく。


「運動不足解消にはもってこいじゃが、年寄りには堪えるわい」


「サリヴァンさん、まだ全然お爺ちゃんじゃないでしょ」 ノアが軽快な足取りで先を進みながら振り返る。壁面には淡く発光する苔がむしており、松明がなくとも足元はほのかに明るかった。


リィアは悠の少し後ろを歩きながら、壁に手を触れる。 「この塔……生きてるみたい。石壁の奥に、魔力の管が血管みたいに張り巡らされてる」


「血管か。じゃあ、心臓は一番上にあるってことだな」 悠がそう返すと、頭上の闇の奥からピアノの音色がより鮮明に降ってきた。曲調は悲嘆から期待を含んだ優しいワルツへと変わっていた。


――そして、一行はついに最上階へ辿り着く。


そこは壁一面がガラス張りの円形の部屋だった。外は濃霧で真っ白だが、室内は外光を拡散して幻想的な明るさに満ちている。中央には巨大なレンズ装置――灯台の光源となる部分が鎮座していたが、今は火が消え、冷たいクリスタルの塊と化していた。


その傍らに置かれた古風なアップライトピアノ。鍵盤に向かっていたのは少女――いや、人間ではない。


透き通るような白い肌、継ぎ目のある関節、硝子細工のような瞳。彼女は精巧に作られた“自動人形オートマタ”だった。


悠たちが足を踏み入れると、人形の指が鍵盤の上で止まる。最後の音が空気に溶けるように消えた。


「……お客様、ですか?」 人形がゆっくりと首を回し、彼らを見る。その声はオルゴールのように美しいが、少し錆びついた響きがあった。


「瓶の手紙を拾ったんだ。この鍵も」 悠が一歩進み出て、リィアが持っていた銀の鍵を示す。


その瞬間、人形の瞳に微かな光が宿った。 「あぁ……私の、ネジ巻き鍵……」


彼女はよろめくように立ち上がり、ドレスの裾を引きずりながら歩み寄る。カシャン、カシャンと小さな歯車の音が体内から響いた。


「ずっと待っておりました。動力が切れる前に、誰かが届けてくれることを」


「あなたが、あの手紙を?」 リィアが優しく問いかけると、人形は頷いた。


「私はこの“暁の灯台”の守人、アイリスと申します。主人が亡くなってからも、この海域を通る船の道標として灯りを守り続けてきました。ですが……」


アイリスは胸元に手を当て、悲しげに目を伏せる。 「主人が遺した魔力が尽きかけ、私は動けなくなる寸前でした。最後の力で起動鍵を海へ流したのです。適合する魔力を持つ方に見つけていただけるように」


「それが、僕たちだったわけか」 ノアが納得したように呟く。


サリヴァンが顎をさすりながら巨大なレンズ装置を見上げた。 「だが嬢ちゃん、鍵を返せばお前さんは動けるだろうが、肝心の『灯台の火』はどうなんだ? あれが点かなきゃ、この霧は晴れん」


アイリスは困ったように微笑む。 「はい。鍵は私を動かすためのもの。灯台の光源となる“炎の欠片”は燃え尽きてしまいました。代わりになる強い魔力がなければ……」


言葉が途切れ、彼女の体が崩れそうになる。悠がとっさに支えた。 「っと、大丈夫?」


「申し訳……ありません。もう、限界が……」 アイリスの瞳から光が消えかけていた。


悠はリィアと目を合わせる。リィアが真剣な表情で頷いた。 「悠、お願い。鍵を彼女の背中に。私が魔力を流し込んで補助するわ」


「よし、やってみよう」 悠はアイリスを支え直し、銀の鍵を背中の鍵穴へ差し込む。


カチリ、と小気味よい音。


ノア・サリヴァンが見守るなか、 悠がゆっくりと鍵を回す。キリキリと硬質な音が響くたび、アイリスの身体が淡い光に包まれていく。


「……あたたかい」 アイリスが夢見るように呟く。 「ただの魔力じゃない……これは海風の優しさと、誰かを想う心の音……」


リィアが祈るように手をかざし、魔力を鍵に通して注ぎ込む。悠の《海風(ブリーズ)()加護(ギフト)》の癒やしの魔力と混ざり合い、古い自動人形の錆びついた回路を駆け巡った。


カチャン! 最後に大きな音が鳴り、アイリスが目を開ける。瞳は鮮やかなサファイア色に輝いていた。


「……素晴らしいです。体が羽のように軽い」 アイリスは優雅にお辞儀し、希望に満ちた顔で悠たちを見た。


「ありがとうございます、旅の方。私の機能は回復しました。そして、その溢れんばかりの魔力があれば、あるいは……」


彼女は中央のレンズ装置へ歩み寄る。 「貴方様の魔力をお借りできませんか? このレンズは風の揺らぎを光に変える“歌う水晶”なのです」


「風を、光に?」 悠は自分の手を見つめる。


「やってみなよ。悠さんの魔力なら、きっと綺麗な光になるさ」 ノアが笑って背中を叩いた。


「ああ」 悠はレンズの前に立ち、深く息を吸い込む。海で感じた陽光と穏やかな《海風(ブリーズ)()加護(ギフト)》の風をイメージする。


(灯れ――)


悠がレンズに触れ魔力を送り込むと、水晶が共鳴音を立てて震え始めた。


次の瞬間――


ボウッ! 眩い青白い光がレンズから噴き出し、螺旋を描きながら塔の頂点から空へ放たれた。


「わぁっ……!」 リィアが歓声を上げる。


強烈な光の帯は濃霧を次々と貫き、払っていく。視界が開け、真っ白だった世界が晴れ、眼下には夕焼けに染まる広大な海原が広がった。


「綺麗……」 アイリスが涙ぐみながらレンズを見つめ、ピアノへ駆け寄る。


「お礼に、この光に曲を捧げます。さあ、聞いてください!」


彼女が弾き始めたのは、先ほどの悲しい曲ではなかった。 高らかで力強く、これからの冒険を祝福するような疾走感あふれる旋律だった。


光と音楽が溢れる塔の上で、サリヴァンがハッカ草の煙草を取り出し、満足げにふかす。 「やれやれ。とんだ寄り道だったが……悪くない眺めだ」


夕陽と灯台の光が交錯する中、悠たちはしばらくその美しい光景に見とれていた。


悠は心地よい風を感じながら、新たな水平線を見つめた。

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