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アーシェル・ブルー  作者: ニート主夫
第4章

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第5話 風の香る食卓

霧が少しずつ晴れ、塔の裏手に柔らかな光が差し込んでいた。

苔むした石の広場に布を敷き、リィアと悠は昼食を広げていた。

干し果実と潮風で燻した魚、ノアが焼いたパンの切れ端。

風の歌が戻った島には、ちょうどいい静けさだった。


リィアが小さく歌を口ずさむと、風がそっと揺れた。

その気配に応えるように、霧の向こうから数人の風精霊が姿を現す。

彼らは島の外にいた精霊種――風の歌が戻ったことで、ようやくこの地に足を踏み入れられたのだ。


「……風継ぎのリィア」

年若い精霊が、静かに声をかける。

「風が、あなたの歌を運んできました」


リィアは少しだけ微笑み、果実を差し出す。

「よかったら、座って。今日は、風も休んでるから」


精霊たちは静かに頷き、布の端に腰を下ろす。

風の昼餉は、こうして始まった。


しばらくして、ひとりの精霊が懐かしそうに呟いた。

「昔、風がよく運んできた香りがありました。潮と麦、それに……焼きたての皮の焦げる匂い」


別の精霊が頷く。

「ええ。風が歌っていた頃、島の北端で焼かれていた“風の皮包み”。

中には甘い根菜と、香草の粉が入っていて……風が通るたび、香りが空に舞ったのです」


語り終えた精霊の言葉が、風に溶けるように広がった。


ノアは焚き火のそばでじっと聞いていたが、ふと目を輝かせて顔を上げる。

「それ……パンですか? いや、包み焼き? ……風の味って、どんなだったんです?」


精霊たちは顔を見合わせ、少しだけ笑った。

「言葉では難しいですね。風が通ったときだけ、香りが完成するんです」


ノアは立ち上がり、焚き火のそばへ向かう。

「よし、やってみます。風の味、再現してみたい!」


悠が肩越しに笑う。

「無理するなよ。風は気まぐれだぞ」


「だからこそ、挑戦するんです!」


ノアはパン生地に、精霊たちが差し出した香草の粉を練り込み、

さらに潮風で乾かした根菜の薄切りを包み込んだ。


リィアがそっと見守る。

「……風が、見てるわね」

「ええ。ちょっと緊張してきました」


焚き火の上に置かれた石板が熱を帯び、パン生地がふくらみ始める。

熱せられた石板から立ちのぼる香草の香りが、霧の中で揺れた。


精霊たちは静かに周囲を囲み、風の流れを整えるように指先を動かしていた。


そして――


ボンッ。


パンが、破裂した。

生地が跳ね、香草の粉が霧の中に舞い、根菜が空中でくるりと回って落ちた。


精霊たちは一瞬沈黙し、次の瞬間、風のような笑い声を立てて揺れた。


少し離れた石段の上で、サリヴァンが腕を組んで座っていた。

「……風ってのは、笑うときは容赦ねぇな」


彼はぼそっと呟き、焚き火の方へと歩いてくる。


ノアが振り返る。

「見てました?」

「見てたさ。風の味に挑むってのは、まあ……無謀だな」

「でも、香りは悪くなかったですよね?」

「そうだな。昔、船の甲板で焼いた干し芋の匂いに、ちょっと似てた」


悠が笑う。

「それ、風の味っていうより、芋の味じゃないか?」

「風任せの人生ってのは、だいたいそんなもんだ」


リィアがくすくすと笑い、精霊たちも静かに頷いた。

風は、誰の記憶にも、少しずつ染み込んでいる。


陽が傾き、ルミエラの空が淡い茜に染まり始めていた。

霧はすっかり晴れ、島の輪郭がやわらかく浮かび上がっている。

焚き火の炎が、石の広場に小さく揺れていた。


ノアが焼き上げたパンを焚き火のそばに並べる。

サリヴァンがひとつ手に取り、湯気をふっと吹いてから口に運ぶ。

しばらく噛んで、火を見つめたままぼそりと呟く。

「……前よりずっと、まともになったな」


ノアが少し身を乗り出す。

「ほんとですか?」

サリヴァンはパンの端をもう一口かじりながら、肩をすくめる。

「爆発しなかっただけでも進歩だ。悪くねぇ」


ノアは安堵の笑みを浮かべる。

「よかった……次は、もっと“風の味”に近づけたいです」


サリヴァンが焚き火の炎を見ながら、低く笑う。

「風の味なんて、風に聞いてみるしかねぇな」


悠が向こう側から声をかける。

「でも、風は喜んでるみたいだぞ」


リィアがくすくすと笑いながら、パンの香りに鼻を寄せる。

「ええ。香りが、風の記憶に少しだけ似てる」


焚き火の上、風が小さく渦を巻き、火の粉がふわりと舞い上がる。

それはまるで、風が踊っているようだった。


悠は焚き火のそばに腰を下ろし、背中を石に預ける。

「……こういう時間、久しぶりだな」


サリヴァンが火を見つめながら、低く呟く。

「風が静かだと、人も静かになるのかもな」


精霊たちは焚き火を囲むように座り、誰からともなく、風の歌の断片を口ずさみ始めた。

それは言葉にならない旋律。

けれど、風が覚えていた記憶のかけらが、音になって揺れていた。


リィアがそっと目を閉じる。

「……風が、語ってる」

悠が少し身を乗り出す。

「何て?」

リィアは静かに答えた。

「“ありがとう”って。……“また、ここから始めよう”って」


ノアがパンをもう一切れ火にかざしながら、ぽつりと呟く。

「じゃあ、明日からまた旅ですね」


悠が頷く。

「そうだな。でも今日は、風と一緒に、ここにいよう」


焚き火の音が、風と重なって、夜のはじまりを告げていた。


ルミエラの空に、ひとつ、星が瞬いた。

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