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アーシェル・ブルー  作者: ニート主夫
第3章

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第1話 カルナス編・前編

甲板の上で、悠はコーヒーを飲み干し、

 カップを少し掲げて、海に向かって言った。


 「肉、食いてぇ!」


 リィラが隣で目を瞬かせる。

 「おはようの代わりがそれ?」

 「たまには、朝から焼き肉でもいい」

 「じゃあ探そうか。カルナスの“肉”」


 ふたりは同時に笑って、甲板を降りた。


 桟橋を下りると、カルナスの風が迎えてくれた。

 潮の匂いに混じって、香辛料の甘い香りが鼻をくすぐる。

 通りの石畳は朝の光を反射して白く輝き、

 行き交う人々の服もどこか色鮮やかだった。


 「魚より、匂いが濃いね」

 リィラが笑う。

 悠は頷きながら辺りを見渡した。

 「この香り……スパイスだな。肉の予感しかしない」


 港の中央に立つ**風晶塔ふうしょうとう**が、蒼い光を脈打たせていた。

 頂に浮かぶ風石が唸りを上げ、街全体に穏やかな風を巡らせている。


 その風の向こうで、鉄板の焼ける音がした。


 通りを抜けると、香辛料の香りがいっそう濃くなった。

 鉄板の上で厚い肉が焼け、油が弾けるたびに、

 周囲の風までも旨そうな匂いに染まっていく。


 悠は立ち止まり、声をあげた。

 「……これだ」


 屋台の奥で、ひときわ大きな体の男が肉を返していた。

 褐色の腕に白い布を巻き、額には赤いバンダナ。

 顔には笑いじわ、そして煙の向こうに光る白い歯。


 「おう、旅の兄ちゃん! 腹、鳴ってんな?」

 「鳴ってる。朝から肉が食いたくて」

「そいつぁ上等だ! カルナスの朝はスパイスで始めるのが通だぜ!」


 鉄板に新たな肉が置かれる。

 ジュッ、と立ちのぼる煙。

 甘く、辛く、少し焦げた香辛料の匂いが、潮風に混ざって広がる。


 リィラがくすりと笑った。

 「いい匂い……でも、ちょっと強そうね」

 「辛くても、風が吹きゃ旨みが残るさ」


 男が片目をつぶり、皿を差し出す。

 「ほらよ、“風焼き肉”。カルナス名物だ」


 悠は一切れつまみ、熱そうに息を吹きかけてからかじった。

 噛んだ瞬間、肉汁とスパイスの香りが広がり、

 舌の上で波のように混ざり合う。


 「……うまい!」

 「だろ? 風と火の加減がすべてよ!」


 男が豪快に笑い、鉄べらをくるりと回した。


 ガロスは得意げに鼻を鳴らした。

 「この港じゃ“風精ふうせい”が煙の流れを整えてくれる。

  焦げすぎず、香りだけを残す。――こいつがいなきゃ、この味は出ねぇ」


 「俺は十年、風と喧嘩してやっと友になった。

  半年や一年で覚えられねぇさ」


 悠はもう一口かじりながら、潮風に乗ってくる香りを感じた。

 ほんのり甘く、焼けた脂と風の匂いが混ざっている。

 この港の空気そのものが、味になっていた。


 「……こういう旅なら、悪くないな」

 「ふふ、次は何を食べる?」

 「まずはもう一皿だ」


 悠が笑い、ガロスがまた火をあげる。

 カルナスの朝が、炎と風の音で満ちていった。


 ――昼前。潮風が少し強くなってきた。


 港の桟橋には、積み荷を運ぶ声とロープの軋む音が混じっている。

 異国の言葉も飛び交う、ざわめきの街。


 悠は手をかざして海を見渡した。

 「ノアたち、ここに寄るって言ってたんだよな」

 「“風路便ふうろびん”を使うって言ってた。フェリスからカルナスへは週に一度」


 リィラが港の掲示板を指さした。

 古びた板に刻まれた航路表が、風でぱたぱたと鳴っている。


 《フェリス発・風路便《ルミナ号》本日午後入港予定》


 昼が近づくにつれ、港の風が変わった。

 潮の匂いの奥に、焼きたてのパンのような香ばしさが混ざる。

 海の向こうに白い帆が見えた。


 「来たな……」


 悠が目を細める。

 陽光の中、金の線のようにルミナ号の帆が輝いていた。

 風路便の名にふさわしく、風を味方にして進む姿だ。


 港の係員たちが縄を持って走る。

 掛け声とともに、船体が桟橋に寄せられ、乗客たちが次々と下船していく。

 その中で、ひとりの若者が大切そうに紙袋を抱えていた。


 リィラが小さく息をのむ。

 「……パンの匂い」


 リィラが小さく呟いたとき、悠がその姿を見つけて目を見開いた。


 「ノア!」


 声に気づいたノアが顔を上げる。

 潮風の中で、少年のような笑顔が広がった。


 「悠さん!」


 走り寄ったノアの腕には、フェリスのパンが抱えられている。

 その香りが、港のスパイスと混ざって懐かしく揺れた。


 「本当に来たのか」

 「ええ。……どうしても、また海を見たくて」


 ノアが少し照れたように笑う。


 その後ろから、落ち着いた声がした。

 「こいつを止めるつもりだったんだがな。気づいたら、俺も船に乗ってた」


 悠が笑みを浮かべる。

 「……サリヴァン」


 サリヴァンは軽く手を上げた。

 「よう。久しぶりだな、悠」


 潮とスパイスの匂いが混ざり合い、どこか懐かしい空気になる。


 悠が隣の少女に目を向けた。

 「紹介する。リィラ。今は一緒に旅をしてる仲間だ」


 「はじめまして」

 リィラが柔らかく微笑むと、ノアとサリヴァンも少し緊張したように会釈した。


 「こちらこそ。……悠さんの旅の仲間、ですか」


 ノアの声には、ほんの少しの羨望が混ざっていた。


 悠は笑った。

 「まあ、縁ってやつだな。風が運んでくれる」


 桟橋の鈴が鳴った。

 潮風が笑うように吹き抜けていく。

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