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アーシェル・ブルー  作者: ニート主夫
第2章

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第7話 風のサヴァナ — 潮と歌と

朝の仕込み屋台から見える、港の海は金色の筋を描いて

潮風が香ばしい煙を運び、焼き台の上で脂の弾ける音が響く。


「……今日は特にいい匂いがするな」

悠は炭火をうちわであおぎながら、

隣で串を返すトーヴァの手元を見つめた。


「潮が変わったんだよ。こういう朝は魚が身を締める。

焼きも香りも違ってくるんだ」

トーヴァが笑い、皺だらけの手で塩をひとつまみ。


港通りの向こうでは、リィラの歌声が風に混じって流れてくる。

彼女が風守りマーレの庵で子どもたちに風のうたを教えているのだ。

澄んだ声が潮騒に溶け、港の空気を少し柔らかくする。


「……もうすぐ、出航だな」

悠が呟くと、トーヴァが炭の灰を払いながら言った。

「そうらしいな。――《シーウィンド号》、明日の朝に出るって聞いたぜ」


悠は頷き、掌に潮風の気配を集めた。

潮風(タイド)()(ハンド)》が、そっと彼の指先に宿る。

焼き台の炎がふっと静まり、風がひと筋、屋台を包む。


「お、おい、炭が落ち着いたな。便利なもんだ」

「風の機嫌を少し整えただけです」

悠は微笑む。


トーヴァは串を一本取り、炭火から上げると悠に差し出した。

「出航前の縁起もんだ。潮火亭の焼き魚は、旅の加護をくれるって評判だぞ」

悠はその串を受け取り、一口かじる。

熱と塩気が舌に広がり、胸の奥に潮風が吹き抜けるようだった。


「ありがとう、トーヴァさん。忘れません」

「忘れるなよ。海の上でも腹は減るんだ。

 風の匂いを嗅いだら、こいつを思い出しな」


マーレの庵では静かな風が吹いていた。

「明日、行くのかい」

老女の声は潮の音に溶けていた。


リィラは膝を抱えたまま、マーレをみた。

「うん……でも、風の道でまた会えるよ」


マーレは笑い、小さな貝殻を糸で結んだ護符を差し出した。

「これは潮の音を閉じ込めた貝だよ。

 迷ったときは、風の歌を聴きなさい」


そのとき、貝の奥から微かに光がこぼれた。

リィラはその光を胸元に抱きしめた――。



翌日、港の鐘が鳴る。

《シーウィンド号》の帆が風をはらみ、白く膨らむのが見えた。

悠は潮火亭の前で深く頭を下げ、港へと歩き出す。

その背に、トーヴァの声が響いた。


「おう! 帰ってきたらまた焼いてやるぞ!」


風が応えるように、店の赤い布がはためいた。



港を抜ける道は、朝の潮に洗われていた。

潮の香りと木材の匂いが混ざり、帆船たちの影がゆっくりと動く。

悠は《シーウィンド号》のある桟橋へ向かいながら、ふと背後を振り返った。


風の丘の方に、リィラの姿が見えた。

白い外套の裾を押さえ、風に髪をなびかせながらこちらへ駆けてくる。


「悠!」


息を弾ませた声が、潮騒を越えて届く。

悠は歩を止め、笑って手を振った。


「間に合ったね」


リィラは胸元を押さえながら、はにかんだ微笑みを浮かべた。

その肩には、マーレから授かった風鈴のような護符が下がっている。

小さな貝殻に、淡い光を宿す風の印。


「これ、マーレから託されたの。

“風の道を歩む者に、静けさの加護を”って」


悠はそれを見つめ、そっと彼女の手を包んだ。

掌の間に風が溶け、潮の香りがやさしく舞い上がる。


「……きっとまた、風がつないでくれるよ」


「ええ。サヴァナの風は、行く人を見送って、帰る人を迎えるから」


リィラの声が揺れる。

悠は短く息を吸い、海を見た。

《シーウィンド号》の帆がなびいている。


「行こう」

「うん!」


リィラと悠は頷き、船へと向かった。


桟橋を渡る足音の下で、海がきらめく。

乗り込んだ瞬間、潮風が帆を打ち、船体がゆっくりと動き出す。


――港町サヴァナが、少しずつ遠ざかっていく。


甲板の上で悠は風を掴むように両手を広げた。

海風(ブリーズ)()加護(ギフト)》が応え、帆を満たす柔らかな風が生まれる。

潮の匂い、陽の光、そして背後に残る港の喧騒。


船が沖に出るにつれて、港の喧騒がゆっくりと薄れていった。

リィラが手すりに寄りかかり、潮風を吸い込む。

「ねえ、悠。海の上って、思ったより静かね」

「風が話してるだけだ。――陸の音が届かない分、素直なんだよ」

リィラは微笑み、胸元の護符を指で撫でる。

その貝殻が小さく鳴った。風の音と重なり、まるでマーレの笑い声のようだった。


甲板の先、空の境目に白い光が滲む。朝の風が東から吹いてくる。

悠はその風を受け止め、そっと呟いた。

「――ありがとう、サヴァナ」

風が応えるように、帆を揺らした。


「行こう、《シーウィンド号》」

悠の声に、船が静かに答える。


リィラの歌が風に乗り、港の彼方へと伸びていく。


“帰る風も、旅立つ風も

同じ空へ、溶けていく――”


悠はその声に目を閉じた。

潮風が頬を撫で、心に静かな熱を残した。


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