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アーシェル・ブルー  作者: ニート主夫
第2章

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第6話 潮騒と小さな喧嘩 ― 風の子たち

 サヴァナ港に着いてトトと別れてから、三日が過ぎた。

 《シーウィンド号》は修繕を終え、港の陽を浴びながら静かに揺れている。

 潮の香りと、スパイスの匂いが混ざる昼下がり。

 風の町は、今日ものんびりとしたざわめきに包まれていた。


 悠は甲板の上で、空の袋を手にため息をついた。

 中には何も入っていない。最後のアーラの実を挽いて飲んだのは、昨日の朝だった。

 香ばしく苦い香りを思い出しながら、悠はぽつりとつぶやく。


「……コーヒーが、なくなったか」


 船内の小さなテーブルでは、リィラが朝の風を束ねて遊んでいた。

 彼女の髪が光に透け、潮風にふわりと踊る。

「また飲みたいの? あの黒い実のやつ」

「うん。あれがないと、一日が始まらない」

「じゃあ買えばいいじゃない。市場に行こう」

「……金が、ない」


 リィラが首をかしげた。

「ないって?」

「フェリスでサリヴァンの手伝いをして得た金貨が……もう残り一枚もない」

「えぇっ!? いつの間に」

「風石の補充したり、帆の補修をしたり。港での係留費も馬鹿にならなかったんだ」

 悠が財布を見せる。中には、くたびれた鉄貨と銅貨が数枚。

 リィラの顔が少し曇る。


「じゃあ、どうするの? このままじゃご飯も食べられないよ」

「まあ、なんとかなるさ」

「なんとかって……」


 リィラの声に少し怒気が混ざった。

 彼女は腰に手を当てて、真っすぐ悠を見つめる。

「悠、働こうよ!」

「やだ」

「即答っ!?」


 悠は目を伏せ、潮風に顔を向けた。

「……もう、働くのはうんざりなんだ。

 時計の針と睨めっこする生活は、もうごめんだ」

「でも、……金がないよ」

「そうだけど……」

「わたしは働いてみたい。人の役に立つって、楽しそう」


 リィラの瞳は真剣だった。

 けれど悠は、どこか遠くを見るように目をそらした。

 風が通り抜け、二人の間に小さな沈黙が落ちた。


「じゃあ、わたし、一人で行ってみる」

「え?」

「風守りのマーレさんのところ。昨日、お手伝いが欲しいって言ってたの。

 少しでもお金になるなら、やってみたい」

「……好きにしなよ」

「ほんとに、行くからね!」

 リィラはぷいと背を向け、甲板の梯子を降りていった。


 その姿を見送りながら、悠は小さくため息をつく。

「働く、ねぇ……。風任せで生きてる方が性に合ってるのに」


 潮騒だけが、答えるように静かに響いていた。


 ◇


 港の街は昼の光に満ちていた。

 風信の塔が白く輝き、露店の屋根には色とりどりの布がはためく。

 リィラは籠を抱えて、マーレの家を訪ねた。


 「おや、来たね。昨日の子じゃないか」

 風守りの老女マーレが、潮風の匂いをまとって現れた。

 彼女の家は、塔のすぐそば。窓辺には乾かした花束や貝殻の飾りが吊るされている。


「今日は風花を作るんだよ。潮の香りを混ぜて、風信に添えるんだ」

「風花?」

「風の便りに添える香の花さ。風の道しるべになるんじゃよ」


 リィラは興味津々で頷き、花びらを指先で丁寧にほぐしていく。

 マーレが笑う。

「手つきが優しいねぇ。風の子のようだ」

「風の子?」

「風に好かれる子は、みんなそう呼ぶんだよ」

 リィラはくすぐったそうに笑いながら、籠を抱えた。


 外では子どもたちが凧を上げ、大人たちが網を干し、風が町を通り抜けていく。

 リィラは少しだけ胸が熱くなった。

 ――こうやって、みんな“風と生きてる”んだ。


 ◇


 一方その頃、悠は港の石畳をあてもなく歩いていた。

 潮風が顔を撫で、どこからか魚を焼く匂いが漂ってくる。

 船大工の呼び声、商人の笑い声、子どもの喧嘩。

 働く人々の声が、まるで海そのもののざわめきのように響く。


 「働くって、なんなんだろうな……」

 つぶやいた声が、風に溶けた。


 港の掲示板には、「荷運び募集」「給仕見習い募集」などの札が並んでいる。

 悠は立ち止まり、しばらく眺めた。

 けれど、足は動かない。

 背中のどこかが、痛みを覚えている気がした。

 “また同じことを繰り返すのか”――そんな声が胸の奥でささやく。


 風が通り過ぎた。

 どこかから、リィラの笑い声のようなものが聞こえた気がして、悠は顔を上げた。


 「……少しくらい、風に流されてみるか」


 港の灯台下にある小さな屋台「潮火亭しおびてい」。

 そこでは陽気な中年の店主トーヴァが、魚の串焼きを焼いていた。

「いらっしゃい、兄ちゃん! 腹減ってんだろ?」

「……金、ほとんどないんだけど」

「手伝ってくれたら食わせてやるよ」

「え?」

「風が止まった時は、風任せに動くもんさ。そういう顔してる」


 悠は思わず笑ってしまった。

 「じゃあ、焼き台の風、整えるよ」

 手をかざし、《潮風(タイド)()(ハンド)》で風を整える。

 潮風が優しく包み、静かに炎の揺らぎを安定させる。

「おおっ、こりゃ助かる! 風を操れるのか、兄ちゃん!」

「ちょっとした特技だよ」


 魚を焼く香りが広がり、人が集まってきた。

 トーヴァが笑う。

「こりゃあ、いい風が吹いてきたな!」

 悠もどこか晴れやかな気持ちになっていた。


 ◇


 夕暮れ。

 港にオレンジの光が差し、風信の塔が淡く染まる。

 リィラは風花の籠を抱え、マーレと並んで風を見上げていた。


「風ってね、人の想いを映すんだよ」

 マーレの声が穏やかに響く。

「だから、風を止めることも、動かすこともできん。ただ、寄り添うだけじゃ」

「けれど、それがいちばん難しいんだよ」

 リィラは頷き、胸の奥で何かがふっと軽くなるのを感じた。


 その時、港の向こうから香ばしい匂いが漂ってきた。

 焼いた魚の匂い。潮の香りと混ざって、どこか懐かしい。


「……あれ、悠の匂いがする」

 マーレと別れ、リィラは小さく笑って歩き出す。


 港の角を曲がると、潮火亭しおびていの前で風を整えている悠の姿が見えた。

 袖をまくり、火の向こうで汗をかきながら笑っている。

 リィラが近づくと、悠が気づいて手を振った。

「あれ! 働きたくないって言ったのに、働いてるじゃん」

「そっちこそ!」


 二人は顔を見合わせ、吹き出した。


「……まあ、ちょっとだけね。風が呼んだから」

「風に呼ばれたのは、わたしも」

「そっか」


 風が二人の間を通り抜け、潮の香りを運んでいった。

 悠が魚を一本差し出す。

「ほら、給料の一部だ」

「ありがと」


 港の灯がともり、空には一番星が瞬き始める。

 風信の塔の羽根がゆっくりと回り出した。

 マーレの声が遠くから響く。

「風は働く者の頬を撫でる。よくやったねぇ、風の子たち」


 二人は顔を見合わせ、静かに笑った。

 潮騒が、優しくその笑い声を包んでいた。


 「――風は、働く心にも、そっと吹いていた。」

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