第12話「再び」
封筒は、思いのほか簡素だった。
差出人の名も、宛名も記されていない。
けれど、ひと目でわかった。――ソールだ、と。
フェリシアはそれを、朝の光のなかで開いた。
庭に面した書斎の椅子に腰かけ、白い封を切る。
まだ風は冷たく、咲き始めたばかりの春の花がかすかに揺れていた。
たった数行の、拙い文字。
彼の筆跡は、軍の報告書に比べてずいぶん不揃いで、震えていた。
「これは、ただの便りです。
あなたが読まなくても、構いません。
けれどもし、読んでくれるなら――
そのとき、私は初めて、あなたと向き合えるのかもしれません。」
声に出さずに、彼女はそれを読んだ。
何度も、繰り返し。
まるで、音楽のように。
まるで、祈りのように。
そして、不意に――ふっと、笑った。
涙ではなかった。
けれど、胸のどこかに、ふわりと温かいものが灯ったのを感じた。
フェリシアは、立ち上がった。
もう、過去には戻れない。
けれど、だからこそ。
この白紙のような手紙に、自分も一文字だけ、何かを返してみようか。
まだ、何も決まっていない。
けれど、少なくとも――
「もう一度、会って話してもいいかしら」とだけ。
それだけで十分だった。
***
その日、ソールの執務室に、一通の便箋が届いた。
封はされておらず、差出人の名もなかった。
だが、その紙の香りと、柔らかく滲んだ筆致で、彼はすぐにわかった。
彼女の筆跡。
彼女の、沈黙のような声。
彼は、息を吸い込み、長く吐いた。
春の光が、またひとつ差し込んできた。
窓の外で、鳥が鳴いていた。
ゆっくりと立ち上がり、彼は外套を取った。
その先に何があるかは、まだわからない。
だが、いまならようやく歩き出せる。
初めて、自分の足で。
これは、終わりではない。
ようやく始まった、彼と彼女の物語――
白紙のページを、二人でゆっくりと綴っていくための、最初の一歩だった。
この物語に、劇的な転機はありません。
誰かが叫ぶ場面も、激情に身を任せて泣き崩れる瞬間もありません。
あるのは、言葉を選びすぎた男女の、離婚から始まる静かな再会の記録です。
彼女は、泣きません。
けれど泣くよりも深く、誰よりも誇り高く、愛していました。
彼は、気づきません。
けれど気づいたときにはもう手遅れで、そしてそれでも遅すぎる初恋を選びました。
この話を書きながら、思っていたのはただひとつ――
「愛されることより、愛することを選んだ人間が、報われてほしい」という祈りのような感情でした。
フェリシアが最後に手を伸ばせたのは、誰のためでもなく、自分自身のためだったのだと思います。
それを彼が受け止められたこと、それだけが救いでした。
物語の余白に、少しでも共鳴してくださったなら嬉しく思います。
ありがとうございました。
早坂知桜