第1話「帰還」
戦場の塵と血をまとったまま、ソール・アルメニエール将軍は都へ戻ってきた。
大勝――そう呼ばれる戦果だった。三国連合軍の若き総大将として、彼は敵の名将エイデンを破り、南方戦線を終結に導いた。
だが、勝利とは名ばかりのものだと、彼自身は知っていた。
兵は疲弊し、補給線は限界まで細り、味方の死体は丘を埋め尽くした。
“勝った”と叫ぶ者の後ろに、叫ぶことすらできずに死んでいった者たちがいる。
凱旋の朝、都の空はどこまでも晴れていた。
それが酷く皮肉だった。
「殿下がご覧になっています。…気をおつけて」
副官のエリーナが、彼の肩の泥を静かに払った。
短い沈黙があった。だが、彼は何も言わずに振り返る。
彼女の視線を避けるように、馬を進めた。
エリーナは、この戦争の中で最も近くにいた存在だった。
励ましも、作戦の影の支えも、夜の慰めも――
だが、それを愛とは言わない。言ってはいけないのだと、彼は知っていた。
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王宮にて報告を終えたのち、ソールは初めて“自分の家”へ戻った。
しばらく使われていなかったらしい室内は、うっすらと埃を被っていた。
それでも整っていたのは、きっと彼女――フェリシアの気配が、どこかに残っているせいだろう。
結婚して三年。
だが、彼はそのうちのほとんどを戦地で過ごした。
新婚の時間などなかった。
公的な契約としての婚姻――家と家の思惑が交錯し、当時の自分は、それにただ従っただけだった。
彼女の横顔すら、記憶の中では霞んでいた。
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部屋に入った瞬間、薄い香の匂いが微かに鼻先をかすめた。
甘くもなく、強くもなく、けれど妙に記憶に残る香りだった。
「……これが、君の匂いだったのか」
フェリシアのことを思い出すたび、胸のどこかに小さな棘が刺さったような痛みがある。
だが、それが“未練”なのか“罪悪感”なのか、彼自身にもわからなかった。
やがて、侍従が伝える。
「奥方様が、本日、将軍閣下とお話がしたいとのことにございます」
ソールは頷いた。
そうか――と、その声にならない言葉を心の内に転がす。
あの日、自分は一方的に手紙だけを送り、戦地へ発った。
結婚指輪も、渡せないままだった。
彼女が今、どんな顔をして自分に会いにくるのか。
想像できなかった。
それを想像しようともしなかった。
だが、ほんのわずかだけ、胸の奥が音を立てた。
それが、痛みかときめきかもわからぬまま――
彼は、静かに、扉の方を見つめていた。