第七章 報告書の中の微笑み
一挙に3話更新で完結です。
王城の執務室に、沈痛な空気が流れていた。
リオネルは、机に広げられた一通の報告書を黙って見つめていた。
──セルディア村にて、元王太子妃候補レティシア・アルフォード嬢、村に移住後、畑仕事に励みながら村人に親しまれ、現在はアベル・ノイシュタット氏と婚約、来春に婚姻予定。
なお、同氏は王国西部の名門・ノイシュタット公爵家の落胤であることが判明し、近年その血筋が正式に認められ、地方領地の一部を託されるかたちで“ノイシュタット領セルディア分家”として登録された。
現在はアベル氏とレティシア嬢がともに村の代表を務めており、村の実質的な領主夫妻として、地域の発展に尽力している。
──なお、レティシア嬢は現在懐妊中。
乾いた紙の上の文字が、やけに眩しく見えた。
「……まさか、男が」
リオネルは小さく吐き捨てるように呟いた。
あれほど冷たい視線を向けてしまったレティシア。
何もかも、エミリアの言葉を信じた自分の過ちだった。
思えば、レティシアがエミリアを階段から突き落としたという証言も、不自然に整いすぎていた。
あの頃の自分は、彼女を信じようとせず、ただ自分の感情と衝動に流されていた。
──あの日、冷たい光が射す舞踏会で、頭を下げたレティシアの姿が脳裏によみがえる。
王太子妃教育を受けながらも、温室の花を慈しむような穏やかさを忘れなかった彼女。
何も言い訳せず、毅然と背を向けたその背中を、リオネルは一生忘れることができないだろう。
そして、エミリアは王妃の座に就くことなく国外に渡り、すでに縁組を済ませて一子をもうけたと伝えられている。
「……王子よ、早く後継ぎを……」
リオネルはセレネの冷たい声を思い出す。
政略結婚で結ばれた王妃セレネは、容姿こそ申し分ないが、高慢で冷淡、会話もなく、心が通じ合うこともなかった。
婚姻後、宮中からは子を作るよう急かされ続けている。
報告書には、セルディア村での生活の記録も添えられていた。
──アベル・ノイシュタット氏は、村に来てから数年、穏やかに暮らしながらも、一族に関する書簡を密かに取り寄せたり、旅の商人から伝聞を得たりと、自らの出自に関する調査を続けていたという。
近年になって父親がノイシュタット公爵家当主であると判明し、正式に血筋が認められた。爵位こそ継がぬものの、地方行政への貢献から、更に小規模な分領を任されることになりそうである。
その右腕として尽力しているのが、レティシアだった。
彼女は村に来てからというもの、病人の看病や子どもへの教育、農業や流通の管理まで担い、村人から深く慕われてきた。
今では村の施政も任されるようになり、その働きぶりは王都でも注目されているという。
最近では、彼女の調合したハーブティが村の特産品となり、平民の間で人気を呼んでいる。
ハーブの栽培から加工、販売までを地元の手で行い、雇用と収入の基盤を築いたことが評価され、セルディア村は現在、西部でも注目の産業拠点となりつつある。
セレネが宮中で宝石を買い漁るのとは対照的に──
レティシアは、土に根ざし、人々の中で静かに笑っている。
報告書の最後には、セルディア村で並んで立つレティシアとアベルのスケッチが添えられていた。
丸くなったお腹をそっと抱えるレティシアの笑顔。
その隣には彼女を優しく見つめるアベルの横顔。
それは、リオネルが決して手に入れられなかった「本当の幸福」だった。
「……レティシア」
胸の奥に、冷たい穴が空いたようだった。
宝物を自らの手で手放してしまったこと。
守るべきものを守れなかったこと。
──その事実だけが、静かに、重く、リオネルの胸を締めつけていた。






