第二章 畑の端で出会ったもの
「ここを使っていい。もともと空き地だったんじゃが、よう耕せばまだまだ作物は育つ。レイティシア様ならきっと使いこなせるじゃろ」
そう言って、オルド老人は畑の端を指さした。
村の小高い丘の中腹、木の柵で囲まれたその土地は、長らく手入れされていなかったようで、雑草が所々に生え、小石がごろごろと転がっていた。しかし、日当たりはよく、水はけのよさそうな傾斜もある。
レティシアは深く一礼した。
「ありがとうございます。必ず、ここを立派な畑にしてみせますわ」
(……煌びやかな王都から落ちぶれたと人は言うかもしれないけれど……私はこんなにも自由)
彼女はまず、畑に点在する小石を拾い集めるところから始めた。スカートの裾を押さえながらしゃがみこみ、手のひらに乗るほどの石をひとつずつ丁寧に集めていく。大きな石は畑の端に積み上げ、小さな石は袋に詰めた。土に指を埋め、ざらざらとした感触を確かめながら、レティシアは王都では全く知ることのなかった労働の温度を、肌で感じていた。
銀色の髪は春の光をうけて柔らかく輝き、後ろでひとつに結わえられている。村での作業用に自ら仕立て直した淡いラベンダー色のブラウスと、麻のロングスカートを着ており、エプロンの前には小さな泥の染みがひとつ。素朴ながらも気品を失わない装いだった。
「この地で生きていくのなら、まず土を知らにゃならん。種はあとで持ってきてやる」
オルドが笑い、ミーナが礼を述べる。
「ありがとうございます、村長。お嬢様と二人で、がんばって畑を作ってまいります」
ミーナは茶色のくるんとした髪を肩で結んだ小柄な少女で、村の娘と見間違うほど素朴なエプロン姿だったが、その目には凛とした光が宿っていた。
それから数日、レティシアは毎朝早く起きて、畑へ通った。山肌をなぞるように朝の光が差し込み、まだ少し肌寒い空気の中で、彼女は鍬を手に土を耕した。
(なんて面白いんでしょう)
今までにない充実感がある。自分の手で何かを生み出せる予感のする躍動は味わったことがなかった。
──そしてある朝。
鍬を振るうレティシアの前に、土ぼこりを上げて誰かが歩いてきた。
「おーい、そこの人。見かけない顔だな。何してるんだ?」
声の方を向くと、ひとりの青年が立っていた。
濃い栗色の髪が風に揺れ、快活そうな灰色の瞳がこちらを見つめている。背は高く、焼けた肌に薄手のシャツと作業ズボンを身に着け、肩に薪をかついでいた。靴は革でしっかりと作られ、手には木槌がぶら下がっている。
「鍛冶屋……さんかしら?」
レティシアが問い返すと、彼は首をかしげて笑った。
「鍛冶もするけど、今日は薪割りの途中さ。君は……ああ、オルドじいさんが話してたお嬢さまか。噂で聞いたよ」
「噂……?」
「王都から来たって? あんまりそうは見えないけど、ちゃんと鍬、握れてるじゃないか」
彼はそう言って、屈託なく笑った。
その笑顔に、王城では見たことのない、素朴であたたかな空気を感じた。まるで、寒さの残る朝に差し込む陽だまりのような、心がふっと緩むようなぬくもりだった。
「実は、今朝も石ばかり掘り当ててしまって……土を耕しているつもりが、まるで石掘りになっておりますの」
レティシアは少しだけ困ったように笑い、鍬を掲げた。
アベルは興味深そうに近づいてきて、畑の土を指でつまんだ。
「たしかに、ここは石が多いな。誰も使ってなかったわけだ。どれ、ちょっと貸してみ」
彼はレティシアから鍬を受け取ると、力強く土を掘り返した。案の定、ごろりと大きな石が顔を出す。
「ほらな。……よし、こういうのは先に取り除いちまった方がいい。少し手伝うよ」
アベルはそう言って、彼女と並んで畑の石を拾い始めた。
「私はレティシア。こちらはミーナ。あなたは……?」
「ああ、俺はアベル。何か困ったことがあったら言ってくれ。たいていのものは直せるし、作れるよ」
アベルはそう言って、薪を下ろしながら軽く手を振った。
その手のひらには、火傷のあとや硬くなった皮膚があって、村の生活が根付いていることがよくわかった。
「よろしくお願いします、アベル様」
そう返すと、レティシアの頬に春の風がふれた。
それは、ほんのりと、やわらかな温度だった。