帰還1日目:無効
「ああ、びっくりした!いえ、ちょっとは予想してたのよ?首を切り離されてもまあ、魂の固着はしっかりしてるでしょうし、ここからどうやってとどめを刺そうかしらぁ、って、そう考えてたのよ?でもびっくりしたわぁー!んもう!」
マリーリアは『びっくりした!びっくりした!』と未だどきどきしっぱなしの心臓を胸の上から押さえて、生首を見つめる。
……マリーリアがぶん殴ってしまった方の頬骨は確かに砕けたのだろうが、それも再生したらしい。死霊術もここまで来ると大したものである。
「……おい、マリーリア・オーディール・ティフォンだな?」
「やだぁー、やっぱり生首が喋ってるわぁー……。どういう仕組みなのかしらぁ……あらっ?でも、よくよく考えてみたら頭蓋骨さんが喋る方が変だったわねえ。あっ、でもあれ、夢の中で会話してたんだったわぁ。なら何でもアリよねえ……」
「聞いているのか!」
「聞こえてるわよぉ……。聞こえてるからこそ、『気味が悪いわぁー』って思ってるところなんですもの……」
大した死霊術のよくできた死体。もとい、生首。
……怒りの形相でマリーリアを睨みつけてくるこれこそが、現バルトリア国王にして、この国を死霊の国へと変えている張本人なのである。
「貴様……一体、何を目的に、こんなことをしている!」
「何を、ですって?」
怒れる生首は、マリーリアが話を聞いていると知って早速、マリーリアに食って掛かった。とはいえ、マリーリアはいつも通りののんびりおっとりした調子であるので、生首としては柳に暴風を浴びせている程度の感覚であろう。
「そうねえ……ここへ来た理由は3つくらいあるけれど、最初の1つのは、ご挨拶に、っていうところかしらぁ」
「挨拶、だと……!?」
「ええ。私の島にかつて居た方に、ご挨拶を」
マリーリアがにっこり笑ってそう言えば、生首はぎょっとした顔で目を見開く。『私の島』がどこのことを指すのか、この生首はよく知っているはずだ。
「なんということだ……やはり、貴様、例のあの島に逃げていたのだな!?」
「逃げた?いいえ?逃げなかったからあの島に居たのよぉ。私、島流しになったんだもの。だから島ごと帰ってきたのだけれど……」
「とぼけるな!それこそ、貴様が仕組んだことであろう!」
「ええー……本当にただ島流しになっただけなのだけれど……。困ったわねえ、フラクタリアの国王陛下がぽんこつだっていう証明は、私にはしようがないわぁー……」
生首からしてみれば、全てはマリーリアが仕組んだことに見えているのだろう。だが、実際のところ、マリーリアが仕組んだことなどほとんど無い。
精々、島流しになるという時にペチコートとナイフと鍋と裁縫道具を持ち込んだ、という程度である。マリーリアを島流しにすることも、マリーリアを例の島に流すことも、マリーリアは決めていないのである!
つまり、マリーリアは怒られてもどうしようもないのだ。生首の怒りの矛先はフラクタリア国王であるべきなのだろうが……今ここに居ない誰かに怒りを向けろ、というのも難しい話なのかもしれない!
「まあまあ、落ち着いて。私、勿論、あなたにご挨拶に来ただけじゃないのよ」
ということで、マリーリアは『どうどう』とばかりに身振りしながら、生首ににっこりと笑いかけた。生首はそれにより一層の怒りを覚えたらしかったが、少なくともマリーリアは落ち着いた。
「ちゃんと、お礼をしなきゃと思ったの。うちの領地にちょっかいかけてくれてどうもありがとう。おかげで私、『ティフォン』の姓を頂いて、実家を出る権利を手に入れたの」
マリーリアはそう言って、改めて『もし領地にちょっかいかけられてなかったらどうなっていたかしらぁ』と考える。
……もし、あのままオーディール家に居て、バルトリアの侵攻もマリーリアの島流しも無かったなら……恐らく、マリーリアは適当な政略結婚の材料になっていただろう。
オーディール家は決して裕福ではない。バルトリアに面する重要な位置を領地として管理しなければならないため、軍備に掛けねばならない金銭がバカにならないのだ。
だが、その割に、当主であるマリーリアの父は、切れ者というわけでもなかった。日和見主義で、祖父の代からの軍備を縮小していく方針を固め……その勢いのまま、国から軍備のために出ていた助成金を打ち切られても開き直り、軍事以外に産業に乏しいオーディール領の為、他の領とのつながりを欲していた。
きっと、そんな政略結婚のためにマリーリアを使う算段だったのだろう。まあ、マリーリアとしても異存はない。異存はないが……無人島で気ままに暮らすよりは、ずっとずっと息苦しかっただろう、とは思う。
そして何より、もしあのままオーディール家に居たなら……仲間達に出会えていなかった。
シリル・エレジアンをはじめとした、気の良い騎士の仲間達。
実家に疎まれて逃げるように騎士にならざるを得なかった者達や、努力の末になり上がった平民達。そんな彼らは、やはりオーディール家での居心地が然程良くなかったマリーリアにとって、かけがえのない、大切な仲間達だったのである。
彼らに出会えたのは、バルトリアの侵攻があったからだ。
だから、その点においては……マリーリアは、目の前の生首に感謝しないでもないのである。
「それから、2つ目ね。あなたに聞きたいことがあって」
にっこり、心からの笑みを浮かべたマリーリアは、ついでとばかり、生首に聞いてみることにした。一方の生首は、どうも本気でにこにこしているらしい目の前のマリーリアに困惑しているらしく、及び腰である。まあ、生首なので腰は無いが。
「あなたって、結局、誰だったのかしらぁ」
「誰、だと?バルトリア国王を前にして何を」
「私、『100年前のミラスタ王国との戦争から逃れて無人島へ向かった王子一行が連れていた奴隷の1人』だと思ったのだけれど、どう?」
「何を馬鹿な!この肉体が100歳のものに見えるか!?」
生首が笑う。肉体……など、無いのだが。もう、首だけなのだが!だが、言わんとするところはマリーリアにも分かる。
「そうねぇ……死霊術も究極まで突き詰めれば、肉体の完全な保存が可能だと思うのよね。だからそれじゃないか、と思ったのだけれど……」
マリーリアはそう考えを述べてから、改めて考える。
……このバルトリアという国は、100年弱をこの王の支配によって存続してきたはず。つまり、国民は100年弱もの間、変わらずにいる王の姿を見ているのだろうが……そんな話は、マリーリアも聞いたことが無かった。
流石に、『隣国の国王はずっと若い姿のままであるらしい』などということであれば、噂の1つや2つ、フラクタリアに流れてきても良さそうなものであるが……。
「……あっ、もしかして、本当にその肉体、若い新鮮なものなの……?」
マリーリアは思いついてしまって、顔を顰めた。
「……ということは、今、あなたの『肉体』に流れているものは、紛れもなく王家の血、っていうことかしら」
マリーリアが考えたことは、至極簡単。
『元々奴隷であった死霊術師が、当時一緒に島に居た王子かその子供の肉体を完全に奪い取り……そうして、その肉体で、王になった』ということ。
つまり……。
「バルトリア王家の血筋は代々続いていて、そして、王子が王になると同時に、死ぬ。そしてあなたの魂の器になる。そういうことかしら」
マリーリアがそう言ってみれば、生首は口を噤んだ。
そこまで知られているとは思っていなかったのかもしれない。或いは、あまりにも懐かしいことを言われて、咄嗟に記憶の奔流に押し流されそうになったのか。
いずれにせよ、生首が口を開くまでに少々の時間を要した。その間、マリーリアはただ穏やかに微笑んで、生首の言葉を促す。さながら、慈愛に溢れ、人々を赦し救う聖女のように。
「だから、『肉体』は紛れもなく、バルトリア王家のもの。けれど……ここにいる『あなた』は。その『魂』は……きっと、元々は、死霊術師で、奴隷だった。そうじゃないかしら?」
「……そうとも。私はかつて、奴隷として、奴の『新しい国』とやらに連れていかれた」
聖女めいたマリーリアを前にして、生首が吐き出す言葉は呪詛めいた響きすら纏っている。
「『新しい国』?」
「ああ、そうだ!奴は大層な理想を掲げていた!」
生首が吠える。彼は未だ、忌まわしい記憶に囚われているのだろう。
「皆が幸せに暮らせる国を新たに作るのだ、などと言っていた!だが実際のところはどうだ?我々は鉱山で働かされ、或いは魔物と戦わされ、次第に死んでいった!その間、高貴な血の流れる連中が何をしていたかと言えば、調査だ、研究だ、とくだらぬことばかりだった!」
マリーリアは、『調査と研究、大事よぉー。同じくらい資源の確保も大事だけど……』と思ったが、ひとまず口は挟まないでおく。
「……『高貴な血』が何だというのだ?血如きに魂以上の価値があるとでも?奴隷は、王子に劣るとでも?……さあ、見てみろ。あの時の王子はもう死んだ!そしてその子孫も未来永劫、余に殺される!そして、余は生きている!この国は今や、余のものだ!」
マリーリアは、『この人、余程、生まれに劣等感があるのねえ……』と思いつつも静かに生首の言葉を聞いた。
「どこに、高貴な血の為した偉業とやらがある!?全て、余の魂が行ってきたことだ!」
生首は、もし首から下があったならばきっと、両腕を広げていたのだろう。誇らしげに。示すように。……そうして、自分で『この国は自分のものだ』と確かめるために。
「それが全てだ。私は生きていて、バルトリア王家は永遠に死に続ける。……そして、貴様も……」
「そうねえ、私も別に、血の高貴さは特に関係ないと思うわぁ」
が、ここまで大人しく聞いていたマリーリアも、今度は生首の言葉を遮った。マリーリアは小首を傾げて、生首に笑いかける。……生首は、非常にやりづらそうにしている!
「私の仲間達も、平民出身の人達、結構居るの。でも皆、楽しくていい人達だわぁ。私、彼らのことが大好きよ」
一応、フラクタリアには公的には奴隷は居ない。なので、奴隷身分の人間と会ったことは無いマリーリアであるが……まあ、少なくとも、マリーリアの知る平民達の中には、貴族の一部よりずっとずっといい人達も居るのである。……同時に、どうしようもない平民も居るのだろうが、それは貴族も同じことだ。
そうしてマリーリアがにこにこしていると、生首は非常にやりづらそうに……同時に、『そんなことを言いたいわけではない』という苛立ちを覚えたらしい。
だが。
「でもあなたの言葉、ちょっぴり訂正させてもらうわね。ああ、誤解しないで?あなたが奴隷だからじゃないのよ?ただ……」
マリーリアはそんな生首を覗き込んで、また笑いかける。
「あなたは、『生きていない』じゃない?」
……だが、目は笑っていない。本気である。錐揉みによって薪に火を付けようとしたあの時と同じくらいには。
「私がここに来た最後の理由だけれど……そうねえ。あるべきものをあるべき姿へ戻しに、っていうところかしら」
マリーリアは笑って、生首に手を伸ばす。
「死者には死んでもらう。祖国を踏み躙った者であれば猶更のこと。それだけのことよ」
そして容赦なく、左手で生首を掴み、右手に握った槍を構え……。
「油断したな」
生首が笑う。
「極められた死霊術は……死者を操るのみに留まらず……」
生首はマリーリアを嘲るように笑って、笑って……そして。
「生ける者の魂を肉体より切り離すことすら、できるのだ!」
死霊術の最たるところ……『生けるものを殺す』という、非常に単純かつ強大な魔法を、使ったのである!
生首が笑う。笑う。笑う。今度こそ、自分の完全なる国が生まれるのだ、と。
島が丸ごとゴーレムになって来た時には驚かされたが、それも、島に残っていた魔石を全て持ってきてくれたのだと思えば、ここまでの被害も大したものではない。
あれらの魔石の支配を自分へ置き換えていけば、フラクタリアもまた、完全なる国へと変えて統治することができるだろう。
生首の夢は広がっていく。そして……。
「あらぁ、ならあなたこそ油断したわねえ」
……夢とは、醒めるものである。
「それ、私には効かないの。ごめんあそばせ」
マリーリアは笑って、槍を繰り出した。
「な、何故だ……何故、効かない……」
槍に刺し貫かれながらも、生首はうわごとのようにそう呟く。
それを聞いたマリーリアは、小首を傾げて微笑んだ。
「だって私、私のゴーレムだもの。……ある意味では、あなたと一緒よ」




