幕間~バルトリア城~
その日は、バルトリア史上2番目に悪い日だった。
……否。1番悪い日になる、かもしれない。
「報告を」
国王が焦燥を滲ませながら報告の兵士を促せば、兵士は言い淀み……しかし、周囲に立ち並ぶ死霊の騎士達をちらりと見て、いよいよ覚悟を決めたらしい。
「……兵士を積んだ船が全て、沈みました。そして港が破られたようです。敵の上陸を許してしまいました」
「何?」
状況は、王が思っていたより悪かったようだ。船が全滅した、というだけでも信じがたいのに、まさか、上陸されるとは!
「……国境は警戒していたが、港は然程、兵を置いていなかったからな。まさか、海路から攻め入ってくるとは……」
国王は玉座の白い肘掛けを撫で、そのつるりと滑らかな手触りに少々落ち着きを取り戻す。
……フラクタリアを落とす、と決めたのは、つい先日のこと。それに踏み切っても問題ないほどにフラクタリア王国は内部から腐り切り、内政はほぼ破綻しているような状況であった。だからこそ、兵を動かす者など、居るはずが無かったのだが……。
「例の海賊どもといい、此度の兵団といい、奴らめ、それなりに戦力を保持していたようだな」
恐らく、フラクタリア王家から離れた連中だ。そいつらが国の許可も特に得ず、集まって、そしてバルトリアの邪魔立てをしている。そういうことだろう。
だが、やはり抜かった。兵士を積んだ船は、三隻ほど動かす予定であったはず。それら全てが沈んだとなると、いよいよ、敵の力を認めざるを得ない。少数精鋭で奇襲を仕掛けてきたのだろうが……。
……と、国王が考え始めたところで。
「そ、その……陛下。大変申し上げにくいのですが、此度の兵士達は、フラクタリアの者ではないかと」
「何?」
報告の兵士の、奇妙な発言に国王は怪訝な顔をする。
フラクタリアの者ではないとなれば、一体、誰が。フラクタリアと協定を結んだ他の隣国のいずれかか。はたまた、どこかが此度の騒ぎに乗じて攻め入ってきたのか。或いは……かつて『自分が』滅ぼしたミラスタ王国が復活したとでも?
国王は瞬時に様々な可能性を考えたが……それらのいずれも、正解ではなかったようである。
「巨人が……島1つ分はあろうかという巨人が、闊歩しているのです!」
「……は?」
報告は、あまりにも荒唐無稽な内容で締めくくられたのだから。
「巨人……?一体、どういう、ことだ……?」
「わ、分かりません。ただ、『謎の巨人が海より登場。船は壊滅状態。海岸も破られ、巨人は王城目掛けて進行中』と伝令が飛んできただけなのです……」
国王は、眩暈にも似た何かを感じながらもなんとか玉座の上で座り直す。『得体のしれない巨人が現れて国を蹂躙している』など、まるで悪い冗談か、はたまた悪夢かのように思える。
だが、これが現実であるらしい。国王はそれを徐々に受け止めながら、報告の兵士の困惑ぶりを眺め、考える。
……巨人、というものがどのようなものなのか。それがまず、分からない。古代魔法の遺物か何かだろうか。それとも、フラクタリアか他国かの新兵器か。
もし、それが未知の魔物の類であるならば、なんとかして弱らせ……自分の『秘技』で支配下に置いてやりたいが……。
「陛下!例の巨人が、見えました!」
「何だと!?」
近衛の報告を聞いて、ガタリ、と玉座から立ち上がる。
既に巨人が見える、ということは、それほどの距離にまで接近されたということだ。もう既にそんなに接近を許したのなら、王都はどうなっている。街の門は役に立たなかったというのか。兵士達は何をやっている。……国王は怒りと絶望、そして焦燥に満ちていく。
だが、それらを全て飲み込んで、国王はすぐさま、玉座の間からバルコニーへと出る。その『巨人』とやらを確認しなければ、と。
……すると。
「……な、なんだ、あれは」
ずしん、ずしん、と歩く巨体。
それは、思っていたよりずっとずっと遠くに居るようだった。少なくとも、王都への侵入を許したわけではないようである。
だが、それ故に、問題だ。
「町の外にありながら……はっきりと、姿が見えるほどに、大きい……!」
そう。
巨人は、接近していたのではないのだ。ただ……『随分と遠くからでもその姿を視認できるほどに大きい』のである。
巨人の歩みは、然程速くないように見える。だが……それは、『速く動いている訳ではない』というだけだ。その一歩一歩があまりに大きいせいで、ゆっくりの動作の割に、凄まじい速度で進んできているのだ!
そしてやはり、その巨体はあまりにも巨大なのである。
「な、なんてことだ……」
「まるで、島がそのまま歩いているようではないか……」
ざわざわと、城を守る兵士達が囁き合うのを聞いた国王の脳裏に、ふと過ぎるものがあった。
「……まさか、な……」
じわり、と額に汗が滲む。
瞳孔が開く。
そして……徐々に、震えが足元から伝わってくる。
それは、『島がそのまま歩いているようだ』という言葉から生まれた予感だ。そう。国王は、『島』というものに1つ、嫌な予感を覚えているのである。
……フラクタリアで最も警戒すべき武力……『マリーリア・オーディール・ティフォン』。彼女を処刑するようフラクタリア国王を操ったが……結局、彼女は処刑されたのではなく、『島流し』にされたはずだ。
無論、貴族の令嬢が島流しになった先で生き延びられるとも思えない。そして、流された先の島を巨人に作り替えて復讐しに来たなど、あまりに荒唐無稽な話である。
だが……。
「まさか、アレが……『ゴーレム』だ、などということは……あるまい、な……?」
それでも、嫌な予感がするのだ。
それが、『人らしい形をしている』ということが。
国王がバルコニーから巨人の行進を見ている間にも、兵士達が指示を出し、城内には警鐘が鳴り響き、眼下の街並みでは人々が逃げ惑う姿が見えるようになる。
皆が口々に、『アレは何だ』と言っている。そうだ。誰も、アレを知らない。あんなに巨大な……巨大すぎるゴーレムめいた何かなど、誰も知らないのだ。全くの未知が、こちらに向かって迷いなく、歩いてきているのだ!
「砲台、準備!アレを城に入れるな!」
「くそ、民の避難はどうする!」
「あの巨人が歩いた後は、どうなっている……!?まさか、港を踏み潰してきた、とでもいうのか……!?」
……数多のざわめきをどこか遠く、現実味の無いままに聞く。
ぞわり、と背筋に寒気が走る。
それは、滅びの気配。自分から最も遠いはずの……『死』の予感によって。
「……民の誘導より、迎撃を優先しろ」
国王はようやく、口を開いた。
「兵力はこちらに分がある。如何なる巨体であろうとも、1万の兵に群がられて尚、動けるとは思えんからな。そして、砲台は直前まで使うな。引き付けてから使え。街や城門の被害は考慮せずともよい!」
それは、『死』の予感、それに伴う恐怖から逃れるためであった。だがそうして動き出してしまえば、徐々に冷静さを取り戻すことができる。
……そうだ。民は幾ら死んでも構わない。全員、『自分達がそうである』と気づかないままに死霊術で縛り上げ、何度でも蘇らせることができる死体達だ。王都の中程度の範囲ならば、彼らの魂を握り続けるくらいのことはできる。
そして……。
「余も、城門へ赴こう」
王は、そう判断を下した。
「へ、陛下!?」
「陛下、危険です!あの巨人、何をしでかすか分からないのですよ!?」
側近達が揃って反対するが、王は笑って首を横に振った。
「何、心配は要らん。砲撃をぶつけた時が、余の奇跡の力を発揮する絶好の機なのだ。それを逃すわけにはいかん」
側近達に説明してやるが、側近らはそれでも尚、心配そうにしている。……まあ、国王に何かあれば自分達の魂が消滅するかもしれない、と知っている者達は心配に思うだろう。
だが、国王はそれでも、城門へ向けて悠々と歩き出した。
……相手が未知の巨人であったとしても、問題ない。あれが『稀代のゴーレム使い』によるゴーレムであったとしても、同じこと。
「我が秘技を見せてやる時が来たようだな」
……確かに、ゴーレム相手では、分が悪い。国王の力は、あくまでも人間……そしてその人間の魂にかかわるものだからだ。
だが関係ないのだ。
そうだ。関係ない。
ゴーレムが如何に強かったとしても……『ゴーレム使い』は人間なのだから。