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開幕~革命の日~

 その日、フラクタリアの民は祈りを捧げていた。

 あの日以来、フラクタリアの民は毎月この日に祈りを捧げている。

 毎月の祈りは義憤を忘れぬためのものであり、救えなかった彼女への懺悔でもあり、これからの国を救いたまえと救いを求めるものである。


 あの日以来、フラクタリア王国は大きく姿を変えた。より醜く、より汚らわしく姿を変えていったのだ。

 ……今日、フラクタリアにはバルトリアから兵士が送り込まれてくる。

 フラクタリアの実権を支配するために、バルトリアはいよいよ遠慮なく動き出したのだ。側近達が必死に止め続けていたが……それも、ここまでであったようである。

 だからこそ、最早戦争しかない。

 無責任に平和を唱えた国の末路は、敗戦国でしかない。これからフラクタリアは滅ぼされる。内側から腐らされ、ある程度腐ったところで、いよいよ本格的に攻め入られるのだろう。

 民は奴隷にされるか、皆殺しにされるか。無論、ただ死ねるなど都合のいい妄想であろう。自分達が大切にしているものは全て踏み躙られるのだ。歴史も文化も、命も、尊厳までもが消えることは間違いない。

 そしてその時には、平和の御旗など何の役にも立ちはしないのだ。シリル・エレジアンはかつてもバルトリアとの前線で戦った者として、それを知っている。

 ……だから、ここで開戦するしかない。

 いずれ来る、全ての準備が整えられたその時まで待ってなどいられない。皆でこの国を……フラクタリアを守らなければならないのだ。マリーリアの言いつけ通りに。


「バルトリアは船で来る。向こうの警戒は強いだろう。何せ、俺達が今までに何隻も船を沈めてやったからな」

 シリルはそう声を上げ、仲間の騎士……今は海賊となった彼らを見渡す。

 ……今まで、文字通りの水際でフラクタリアを守ってきたのは、彼ら海賊である。バルトリアの船を沈め、或いは大幅に迂回させて時間を消費させ……そうしてなんとか、フラクタリアへの悪影響を最小限に留めてきた。

「油断するな。向こうはもう、建前など必要とはしないだろう」

 だが、それも今日までであろう。

 バルトリアは今まで、建前は守ってきた。あくまでも、商船の乗組員として兵士を送り込んできた。あくまでも、侵略の意思など見せなかった。

 ……そしていよいよ侵略するとなったら、それらはかなぐり捨ててくるだろう。建前の無い侵攻に文句を言うフラクタリアの民など、もう、全て圧し潰せるのだから。

「だからこそ、俺達はここで少しでも奴らを削る!王が死んでも構わんが、国が死ぬことは決して許すな!」

 今日、この前線を守るのは、シリル・エレジアンをはじめとした、元騎士の海賊達である。だが、量も質も勝るバルトリア相手に勝てるとは思っていない。

 時間稼ぎだ。

 シリル達は、ただ、時間を稼ぐためだけに……自分達の命を海へ擲つ覚悟であった。


「全てはマリーリア様の為に!」

 シリルの声の後に続けて、『マリーリア様の為に!』と声が湧きあがった。

『聖女マリーリア』は今や、救国の象徴である。彼女を思い、彼女に祈って、民は……そしてここに集う海賊達も、皆、心を支えてきたのだ。

 国を捨ててしまえと思わずに済んだのは、マリーリアが居たから。今も戦う覚悟を持っていられるのは、マリーリアが居たからだ。


 ……秋が冬に変わる頃。今日というこの日は、『聖女マリーリア』が島流しにされてから丁度、一年半となる日であった。




 じりじりと時間が過ぎていく。じわじわと焦燥に駆られて、海賊達はそこに居た。

 一秒が無限にも思えるような、そんな緊張の中で海の向こうから現れるであろうバルトリアの船を待つ。

 ……と、その時だった。

 たぷん、と、波が高く跳ねる。

「……何だ?」

「地鳴りか?」

 そして遠くから、何かが聞こえてくる。

 ……かと思えば、すぐに海が揺れ、船が大きく傾いた。

「う、うおおおおお!?な、なんだ!?」

「風も無いのに波が!どうなってる!?」

「くそ、バルトリアの策略か!?」

 海賊達は困惑し、大きく揺れる船の上、状況を把握しようと周囲を見渡した。

 ……すると。

「あ、あれは何だ……?」

 そこに見えたのは、島。

 ……否。

「ひ、人、か……!?」

 巨大な、人影であった。


 海賊達が茫然としている中、その巨大な人影は、そっと、ゆっくりと、動く。それは、あまり海を波立たせては申し訳ない、というような思慮ある行動に見えた。

 ……本来ならば、ここで海賊達は恐れ慄き、すぐに逃げ出すべきであったのに、そうしなかった。それは、巨大な人影の所作が、しずしずと大人しく……そして、理性あるものに見えたからである。

 襲い掛かってくるでもなく、むしろ、周囲に危害を加えないように、とばかり、巨人はそっとそっと、海をさぷさぷと掻き分けて進んでいく。それだけでも十分すぎるほどの波が立っていたが。

「こ、これは一体……」

 シリルは、恐ろしいものを見る気分ではなく、むしろ、神秘的な何かを見る気分でそれを見守った。船はひどく揺れていたが、それでも巨人から目を離せない。

 ……そんな時だった。

「お、おい!この島、もしや、マリーリア様のおわす島ではないか!?」

「何だと!?」

 小さな望遠鏡片手にそう叫んだ仲間の声を聞き、シリルは思わず叫び返した。

 言われてからシリルもまた、懐の望遠鏡を覗き込む。

 よくよく見てみれば、確かに……マリーリアが島流しにされたあの島の特徴を、僅かばかり、留めているように見える。そうだ。よくよく見てみれば、背の突起は山の形に見える。そして腕は砂浜でできているのではないか。そして頭部には、僅かに森があり……そして、小さな家のようなものが、ある。

「あれは……」

 まさか、と思う気持ちと、やはり、と思う気持ち。その2つが合わさり、シリル達、海賊は皆、何も言えずにその巨人を見つめ続けた。

 ……そして。


「ま、マリーリア様……」

 夢ではないかと思った。

 シリルは、望遠鏡のレンズの向こう……巨人の頭のその上に、マリーリアの姿を見たのであった。




 その時だった。

「う、うわあっ!船が!」

 巨人がまた一歩動いた時、ぐわり、と船が揺れた。大きく揺れる海の上、船は無力に揺られ、流され……そして、大きく傾いていく。

 そして、シリルは不意に浮遊する感覚を味わった。

 ……そう。シリルは船外へと投げ出されていたのである。

 こんな風に波が立っている海へ落ちたらどうなるかなど、想像に難くない。波に揉まれ、水流によって海底へと引きずり込まれて、そのまま浮き上がれなくなるのだ。……少なくとも、生きている間には。

 だからシリルは死を覚悟した。バルトリアとの戦いを目前にして死ぬのはあまりに無念であったが……不思議と、目の前を進んでいく巨人が、何かの吉兆のように思えた。

 ……もしかしたら、自分はあの巨人の生贄になるのかもしれない。シリルはそう思い、そして、それでもいいと思った。

 どうせバルトリアの圧倒的な軍勢に負けて、数刻後にはここで死んでいた命だ。ならば、あの神秘的な巨人のために死んでもよいではないか、と。


 だが、そうはならなかった。




「あらぁ……誰かと思ったら」

 聞き覚えのある声に目を覚ましたシリルは、倒れたまま、その顔を見上げていた。

 優しい瞳がこちらを向き、短くなってしまった金髪が風に揺れている。

 質素ながら美しいドレスも、素朴ながら美しい石をあしらった首飾りも、彼女の気品を引き立てていた。

「ああよかった。ねえ、シリル。あなたを海に放り出させちゃうところだったみたい。ごめんなさいね」

 夢だと思った。

 だが同時に、夢ではないとも思ったのだ。矛盾しているようだが……ずっと前からこの夢のような時がいつか必ず訪れるのだと、強く強く信じていた!

「でも、元気そうでよかったわぁ。うふふ」

 ころころ、と鈴を転がすように笑う彼女の姿を見て、シリル・エレジアンはいよいよ、喉が詰まったように何も言えなくなる。

 だがそれでも……それでもシリルは、声を振り絞るようにしてその名を呼んだ。

「……マリーリア、様……!」

 呼ばれたマリーリアは、『はぁい』とにっこり微笑んだ。慈愛の女神もかくやという優しい微笑みに、シリルはいよいよ、涙を流し始めるのであった。




 それから少しの後。

 神秘的な巨人改め、マリーリアが生み出したという『島ゴーレム』の頭のてっぺんで、シリルはマリーリアに情報を伝えられるだけ伝えた。

 今のフラクタリアの情勢。バルトリアの奇妙な兵士達。そして、今日が開戦の日であることも、全て。

「成程ね。思ってたより深刻な状況だわ。まあ、実はね、バルトリアが死霊術を大規模に展開する手段を得ているのだろうな、という予想は立っていたのだけれど……」

 驚くべきことに、マリーリアは何故か、バルトリアの奇妙な兵士達のことを知っていた。それどころか、『ああ、死霊術だと思うわぁ』とあっさり推測してみせたのである!ずっと1人、島に閉じ込められていたはずのマリーリアが、だ!

 やはりマリーリアは聡明である。シリルは改めて、敬愛するマリーリアをより深く尊敬し……同時に、只々、申し訳なく思うのだ。

「申し訳ありません、マリーリア様!我々は……我々は、待っているよう仰せつかったというのに、フラクタリアを……我らの国を、守り切れなかった!」

 マリーリアは、帰ってきてくれた。約束を果たしてくれたのだ。

 だというのに、自分達はこの体たらく。

 フラクタリアは既に滅びの道を辿っており、引き返せないところまできているのだ!

 これを失態と言わずして何と言おう。シリルは只々、そんな思いで目の前のマリーリアから顔を背ける。自分はこの人に合わせる顔が無いのだ、と思い出して。

 だが。

「でも、間に合ってよかった」

 マリーリアは、そっとシリルの顔を両手で挟むようにして、むに、と正面へ向けた。そして、シリルと目を合わせて、にっこり笑うのだ。

「大丈夫よ。間に合わせるわ。だって、あなた達が今まで守ってくれた祖国だもの。無駄にはしないわぁー」

 ……そうだ。

 シリル達が如何に不甲斐なかったとしても。それでも、この聖女マリーリアは……やはり、聖女なのだ。どこまでも慈愛に満ちて、そして、我らに救いを齎す!

「それで、全部終わらせて……いつもの酒場のお二階で、ぱーっとやりましょ?ふふふ。知ってたかしら。私、あなた達が楽しそうに騒ぐのを見るの、結構好きなのよ」

「マリーリア様……!」

 シリルがまた感極まって涙を流すのを見て『あらあら』と笑う。その笑顔すら、神々しい。

 それと同時……マリーリアの傍に控えていた、数多の兵士達が、そっとシリルの傍へやってきて、シリルを立ち上がらせ、そして、ぽふぽふ、と背を叩いたり、シリルの手を握ったりしていく。

 それは、『共に戦おう』と激励し合う戦士達の仕草だ。シリルは彼らに励まされ、士気を取り戻す。……同時に、『ところで、この兵士達は……?もしや、ゴーレム……?』と疑問に思いもしたが……。


「だからまずは、あの船全部沈めるところからね。うふふ。やるわよぉー」

 ……そして、マリーリアもまた、これから戦いに臨む戦士の目をしていた。

 穏やかな微笑みの中、その目はどこまでも鋭く……海の向こうからこちらへやってくる、幾隻もの船へと向けられている。

 バルトリアの兵士が、やってきた。


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― 新着の感想 ―
[一言] これは間違いなく救国の聖女ですわぁ。世の中にはマッチポンプで聖女を作るお嬢もいますからね!まぁ、何だかんだでヴァイオリア嬢とマリーリア嬢は仲良くなれそうですが。
[一言] 島ゴーレム。課長から出世して行って社長や会長を経て騎士団長になりそう。
[一言] 見る知的生物はまず唖然とするのが第一の認識だろうなぁ…何がって分からないしw
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