幕間3~海賊船にて~
「なんだと!?王は気が狂ったのか!?」
船の上。密かに海賊船にやってきた騎士達によってもたらされた情報は、海賊になったシリル・エレジアンをはじめとした元騎士達に衝撃を与えた。
「城を守る兵団も、各地に派遣された警備兵も、全てを解体し、バルトリアの兵によって新たな兵団を新設する、だと……!?どうなっている!」
「先月の貿易についてのお触れもそうだ!バルトリアの属国にでもなり下がるつもりか……!?」
……ここ数か月。冬から今までの間に、フラクタリア王国は大きく変わっていった。
まず、バルトリアとの交換留学が始まった。
……だが、交換留学とは名ばかりで、実質、こちらからは人質を供出し、向こうからは密偵を受け入れる、というような……明らかに、フラクタリアに不利な条件で事が進められたのである。
これに苦言を呈する者は多かった。だが……王の耳に苦言を入れた者は、皆、その首を切られることになったのだ。今は免職や追放による『首を切られる』だが、いずれ……文字通り、処刑、という形での『首を切られる』へと変わっていくだろうと思われた。
長らく王を諫める立場であった重鎮までもが追放になった、という情報は、大いにフラクタリアをざわつかせた。その頃から既に、『王は乱心か』と噂されるようになっていたのである。
……そんなこんなで、フラクタリア王国はどんどんと、バルトリアに浸食されていった。
密偵が送り込まれ、フラクタリアの産業技術はどんどん流出していった。フラクタリアの技術で作られた織物は美しいと他国からも評判であったが、今や、同じようなものがバルトリアで生産されている始末だ。
更には先月、バルトリアにあまりに有利な貿易協定が結ばれた。フラクタリアの民は皆、『王は気が狂ったか』と噂し始めた。下々の者ですら、国の状況を憂えるようになった。
そうしていよいよ、ここにいる騎士達に限らず、あちこちから『この国はもうダメだ』『ああ、救国の聖女様を島流しにしたあの時から既に、王は狂っているのだ』と皆が口にするようになると……それらの口封じが始まることになったのだ。
そう。それが、今回の情報。『バルトリアの兵士の受け入れ』であった。
表向きは、『兵団の再編成』である。3か月後に試験を行い、本当に優秀な兵だけを残し、不要な兵を削る、と発表があったが……その実は、バルトリアから来た兵士達による兵団の乗っ取りである、と推測される。
つまり、王は……フラクタリアの自治権を放棄しようとしているのだ!
「くそ……いよいよ、フラクタリアをバルトリアに支配させるつもりか!」
シリルが声を荒らげれば、海賊となった仲間達も、今、こうして接触しに来てくれている騎士の仲間も、皆が同じように嘆きや怒りを表した。
「ああ……今、皆が徹底して王に抗議している。流石に、全ての家臣を切り捨てることはできまい。なんとか王の決断を遅らせるべく方々で動いているが、持って半年程度か……しかし、ここで踏みとどまれなかったら、いよいよ我らがフラクタリアはおしまいだ」
騎士がそう言うのを聞いて、シリルもまた、頷く。
マリーリアに任せられた以上は、必ずや、祖国フラクタリアを守らねばならない。だが、まさか、このように内部から浸食が始まろうとは……。
……そう。内部から、である。
「……既に、城の内部では兵の交代が進んでいるんじゃあないか?」
シリルは、ふと思い当たって、そう騎士に聞いてみた。すると、騎士は少々驚いた顔をしながらも頷いた。
「そうだな。恐らくは、そうだ。それもこれから言おうとしていたが……顔見知りの兵がいつのまにか居なくなっていたんだ。今、城を守っているのは、見たことも無い、愛想の無い兵士達だが……よく知っていたな」
「ああ……妙な兵を積んだ船が最近多いんだ……。見つけ次第、潰しているが……」
シリルは、やはり自分の嫌な予感は当たっていたか、と察した。
……というのも、バルトリアからの貿易船に、兵士が大量に乗ってやってきているのだ。そんな船を数隻襲って沈めているシリル達は、仲間の騎士からもたらされた情報によって、あの奇妙な船の納得がいったところである。
「妙な兵?」
「ああ、そうだ。それで印象に残っていた」
人が乗っていただけなら、特に印象に残らず、シリルも気づかなかっただろう。だが……シリル達、海賊の記憶に残ったその船は、明らかに『奇妙』であったのだ。
「どうも、兵の統率が取れすぎていてな。それで、訓練を積んだ兵士達であろう、と推測できた。それに加えて……いざ敗北濃厚、となったら、一斉に自決した」
「い、一斉に自決……!?」
「ああ。妙だと思った。誰も、泣きごと1つ言わずに死んだ。海に飛び込んだり、剣で喉を突いたり……不気味だったよ」
当時のことを思い出して、シリルや他の海賊達は皆、ぶるり、と震える。
あの時の兵士達は、異様だった。不気味だった。統率の取れすぎた動きでシリル達に抵抗し、自らの安全を省みないやり方で海賊船にまで乗り込んできて……そして、敗北が濃厚になってきたところで、一斉に、死んだ。
……あの不気味な様子は、今もシリル達の脳裏に焼き付いている。
そう。あの兵士達が迫りくる様子は……まるで、死者の行進のようだった。
「それにしても、王は一体、どうしたというのだ。マリーリア様を処刑すると言い出した時点で、相当におかしかったが……」
シリルは、例の不気味な兵士達を意識から振り払うように、別の点に注目することにした。
そう。王である。
フラクタリアの王は、日和見主義というにはあまりにも……バルトリアの肩を持ちすぎである。当然、許されるべきではない。自国を捨て、他国へすり寄るなど、一国の王のすべきことではない。王は、マリーリアを見捨てるべきではなかったのだ!
憤りを思い出したシリルであったが、そこへ、仲間の騎士がそっと、囁く。
「……実は、俺の恋人が、先月まで城に勤めていたんだ。今はもう、田舎へ逃げているが……彼女が言うには、やはり、『乱心』らしい」
「何?」
「夜になると暴れ出すのだそうだ。女中達の中には、突然、王に剣で刺されそうになった者も居るとか……」
……シリルは唖然とした。そんな状態の王を王としておくわけにはいかない。そんな王に率いられるフラクタリアが、生き残れるわけがない!
「王はすっかり痩せ、随分と人相も変わられたそうだ。だが、バルトリアからの貨物が届いた後や、バルトリアの使者が訪れた時などは、酷く機嫌がいいのだそうだ。だから、王の周りに居る者達は、バルトリアからの贈り物やバルトリアの使者を拒めないのだとか」
「それは……うう、いよいよ、この国はおしまいか……」
シリルは嘆く。
自分が一度でも剣を捧げていた相手が、このように変わり果ててしまった、ということは、あまりにも衝撃的であった。
……いよいよ、フラクタリアは滅びるかもしれない。
「ああ、マリーリア様……不甲斐ない我々を、どうか、お許しください……」
船の上、皆で祈る。
祈りを捧げる方角は、例の島の方だ。
今や、彼らにとってマリーリアは王より尊く、いっそ、神にも等しい。
マリーリアは『救国の聖女』として、フラクタリア国内では今も根強く、信奉者が多い。
『マリーリア様はきっと生きておられて、我々を救い導いてくださるのだ』といった言説に始まり、『死の間際、マリーリア様がきっとあのお優しい瞳で笑いかけてくださるのだと信じている』といったものまで、まあ、民衆の間で、マリーリアは今や、女神にも等しい存在であった。王が酷い分、尚更なのだろう。
「ところで……マリーリア様は、ご無事なのだろうか」
祈りを捧げ終わった騎士がそう問うてくるのを聞いて、シリルは苦い顔で頷く。
「分からん。……だが、先日、島からワイバーンが逃げ出すのが見えた。ワイバーンが縄張りを捨てて逃げる、など聞いたことが無い。ならば……」
「……マリーリア様が生きておられる、と?」
「可能性はある。あのお方は、非常にお強いお方だ。ワイバーンを蹴散らすくらいのことは、きっと……」
……夢物語のようだ、と分かってはいる。
ワイバーンが逃げ出したのだって、何か、天変地異の前触れか何かなのかもしれない。
だがそれでもいい、とすら、シリル達は思っていた。何か……何かが起きて、マリーリアの存在を感じ取ることができるなら、それで……。
「……マリーリア様」
彼らは祈る。神に祈りを捧げるように、敬虔に。
「我々はやはり……旗を翻し、王を、討ち取るべきでしょうか……?」
反乱。革命。それに踏み切れずにいる自分達が煩わしい。だが、情勢を掴み切れない今、動くべきではないと考える理性もまた、彼らにはある。
だから彼らはマリーリアに祈るのだ。
どうか救いと導きを、と。




