島流し270日目:冬の終わり*1
島流し270日目の朝。
マリーリアが外に出てみると、昨日より暖かかった。
雪は融けた。屋外に置いておいた水が凍ることもなくなった。太陽が出ている時間が長くなり……雪解けの泥濘からは、ぴょこ、と小さな芽が生えている。
「うふふ、駄目よぉー、この芽はまだ食べないでおいてあげなさいな」
芽生えたばかりのそれらをスライムが食べてしまいそうだったので、マリーリアはスライムをつまみ上げては巣の方へ放り投げてやった。
「大分あったかくなってきたわぁー」
放り投げられたスライムは、ぽよ、と軟着陸して、そのままもそもそと元気に這って、巣の周りをうろうろしている。動作が冬真っ盛りよりも機敏に見えるのは、気のせいではないはずだ。
「はあ……。これでようやく、屋外での作業が苦じゃない季節になるわね」
未だ、水は冷たい。だが、それもじきにぬるんで、春の小川の様相を呈してくるのだろう。マリーリアはにこにこ笑いながら、穏やかな日差しや柔らかな風……春の訪れを、全身で感じるのだった。
この100日あまりに起きたことといえば、まあ、日々の繰り返しだけであった。
宝石を磨いたり、編み物や織物をしたり……といった日々を繰り返し、その分だけ、マリーリアの生活は華やいだ。
……勿論、それだけではどうにも気づまりになりがちだったので、ペリュトンの角でもう少し太目のかぎ針を作って、もう少し大きめの編み物に挑戦したり、織り上がった布で小さな袋を作ってハーブ類を食糧庫から少しずつ取ってきておいて家の炉の傍に常設しておくようになったり……と、幅は広げていった。
お茶を淹れるのは上手くなった。そこらの草からお茶を淹れる能力において、マリーリアの右に出る者はフラクタリア国内に居ないだろう。
それから、できるだけ寒さが厳しくない日を選んで、焼き物にも励んだ。
大きなものや大量のものを乾燥させるには適さない季節なので、小さなものだけを作って、乾燥は家の中、炉の傍でちまちまと行った。
その結果……磁器らしい質感の、薄くて硬い焼き物が出来上がった!……何せ、材料や炉の温度の試行錯誤をする時間だけはあったのだ。マリーリアはこの成果を大いに喜びつつ、白磁のカップとティーポットを作って、日々のお茶の時間に役立てている。
また、氷室も作った。
溜め池で張った氷を切り出して、小さな洞穴に入れておくのだ。氷の周りは枯れ草で覆う。すると氷が溶けにくく、また、氷同士がお互いを冷やすので、余計に氷が溶けにくい。
もし、夏までもつようなら氷を削って食べてみてもいい。マリーリアは今からそれを楽しみにしている。
そして、冬の間に起きた、最も大きな変化といえば……。
「……随分と溜まったわねえ」
マリーリアが見上げているのは、砂鉄の山である。
……そう。砂鉄の、『山』である。
この冬の間、アイアンゴーレムが筆頭となって鉄穴流しに励んでくれたおかげで、砂鉄がとてつもない量、集まったのであった!
そういうわけで、島流し270日目は製鉄炉づくりと炭焼き窯づくりから始まった。
「真夏に製鉄するよりは、まだ冬の残り香がある間に製鉄しちゃいたいものねえ。うふふ……」
まだまだ、朝夕は冷え込みが厳しい。だが、そんな季節だからこそ、いい。何せ、炭焼きも製鉄も、延々と火を焚き続ける仕事だ。まあ、巨大な焚火のようなものなので、とてつもなく温まるのである!
ゴーレム達が手伝ってくれるので、炉を作る作業もすこぶる早かった。特に、炭焼き窯の方など、『木材を採集してきてね』と言った1時間後には、炭焼き窯10基分になるほどの木材が集まったのである。やはり、数はパワーであった。ついでに、宝石や飾り紐などの装飾品によって強化された性能も、パワーである。
粘土を捏ねたり運んだり積んだりする作業も、アイアンゴーレムが指揮を執ってやってくれるので、マリーリアは大変楽であった。精々、指示が来なくて困っているテラコッタゴーレムに個別に指示を出してやったり、炉の建設現場をうろうろして邪魔になっているスライムをつまみ上げて放り投げたりしていた程度である。
実労働……特に、木材や粘土の運搬といった肉体労働は、全てゴーレム達がやってくれた。おかげで、実に素早く、かつ楽に炭焼き窯と製鉄炉が出来上がっていく!
雨除けの簡易的な屋根を炭焼き窯の上に設置したら、今日の仕事は終わりである。明日になったら炭を焼き始め、炭が焼けたら製鉄を始める。そんな風になるだろうか。
後は、製鉄しながら次の製鉄炉を作り、次の炭を焼いていけばいい。そうすれば……砂鉄の山はすぐ、鉄の塊になってくれることだろう。
翌日。島流し271日目の朝。
「今回はやっと、木酢液を採れるわね」
マリーリアは、炭焼き窯の1つから出ている鉄のパイプを眺めて、にこにこしている。
……このパイプは、窯内部から外への排煙のためのパイプであるが、その煙を冷やして液体に戻すためのパイプでもある。
炭を焼いた時に出る煙を冷やして集めたものを、木酢液という。まあ、酸の類として利用が可能である他、ちゃんと蒸留してやれば、より強い酸になってくれる。
酸があれば、石鹸を蝋にすることが可能なので……やってみてもいいかもしれない。冬の間、アイアンゴーレムが仕留めてきた獲物の脂肪はたっぷりと、それこそ多すぎるほどに集まってしまった。
……そう。アイアンゴーレムの働きのおかげで、食糧庫の肉類は尽きるどころか、増えている。増えているのである!
つまりその分、脂肪も増えているので……それらを石鹸にしてから木酢液を使って蝋に変え、室内灯は全てそれに変えてみてもいい。マリーリアはにこにこしながら、木酢液の生成を待つのであった!
「瓶があるっていいわねえ」
そうして、漂着した酒の瓶に2本分の木酢液が入手できた。瓶をもっと用意しておけばもっと手に入ったのだろうが、ひとまず使う量はこんなものなので、まずはこれでよしとする。
「さて、炭は窯が冷めてから出すから……暇ねえ」
そしてマリーリアは暇になった。……炭を取り出すのは、窯が冷めてから。そして、炭が無ければ製鉄はできないのである!
「じゃあほんとに蝋を作ってみましょ」
仕方が無いので、マリーリアは鉄の副産物である木酢液で、さらなる副産物……蝋を作ってみることにした。
蝋を作る過程は、途中までは石鹸と同じである。石鹸の先にあるのが『蝋』なのだ。
石鹸を湯に溶かし、そこに酸を加え、出てきたものを濾し取って洗浄し、溶かし直して固める……そうやって、石鹸を蝋にすることができる。
「えーと、まずは灰汁よね。えーと、灰なら製塩させていた時に集めたのがあるから、それ使いましょ」
マリーリアは早速、土器にぱふぽふと灰を入れていく。海辺で製塩させていた時、塩と一緒に資源として持ち帰らせたのがこの灰である。日々の煮炊きとは違い、製塩はとにかく一度にたくさんの灰ができる。まとめて灰を備蓄しておくには、製塩時の灰を集めておくのが楽なのだ。
それらの灰に熱湯を注ぎ、後は灰が沈殿してしまうのを待つ。その間に魔物の脂をたっぷりと溶かしておく。
……そうして灰汁ができたら、脂に注ぎ入れて、ついでに焼いた貝殻を入れて調整する。次第に固まってくる脂の様子を確認しながらしっかりと脂を混ぜ、反応させていく。
そうして石鹸の塊ができたら、それを冷水で洗浄。これで石鹸づくりが目的なら、できあがったものを器に入れて放っておくのだが……続いて今度はお湯に入れ、溶かす。……石鹸が湯に溶けたら、いよいよ木酢液の出番だ。
「どうかしらぁ……」
そわそわしながら見ていると……ふわり、と、石鹸水の中に白く靄がかかる。
「あっ、出てきたわ、出てきたわ!すごい、こんなかんじなのねえ……」
マリーリアは目を輝かせて蝋の析出を見守った。液体から固体が生じてくる光景は、見ていて中々面白いのだ!
出来上がった蝋を手織りの布でざっと濾し取り、洗浄したら、素焼きの器に入れて、湯煎で溶かす。溶けたら灯芯となる紐を入れ、そのまま冷やし固めて完成だ。
「なるほどねえ……。収率が悪い気がするわぁ……。ちゃんと熟成させた石鹸を使う方が良さそうね」
今回の蝋づくりは実験であった。木酢液がちゃんと酸として働くのかどうか。石鹸から蝋を取り出すことができるかどうか。そのあたりの検証はできたので、マリーリアとしては満足である。
なので次は、品質の向上と効率の上昇を目指したい。マリーリアは楽しみつつも、より良いものを追い求めていきたいのだ!
……ということで、その日は脂を石鹸にする作業で終わった。
翌日からは炭を焼きつつ足りなくなってきた塩を作らせ、製鉄炉の横に巨大なふいごを作る。
巨大なふいごは、足踏み式のものだ。複数人……複数ゴーレムで踏んで、空気を送るようになっている。こうしたものが作れるのも、木材を鉄で加工できるようになったからであり……スライムがあちこちに詰まってくれているからである。
その間もゴーレム達はよく働き、砂鉄が更に採集され……いよいよ、マリーリアの目標が1つ、手の届くところに見えてきた。
『アイアンゴーレムの量産』。
実現も、そう遠くはない。
……そうして、島流し276日目。
「では、これより製鉄開始よ!皆、気を付けて作業に臨んで頂戴ね!」
いよいよ、大規模な製鉄が開始した。
……山となった砂鉄が鉄になり、そして、アイアンゴーレムになる時が来たのである!




