幕間2~海上にて~
「雪か……」
船の上。シリル・エレジアンは、空にちらつくものを見て顔を顰める。
「早いな」
「そうだな……。例年なら、あと1週間か2週間、初雪が遅いだろうに」
仲間の騎士と言葉を交わし、シリルはため息を吐いた。吐き出したため息は、白い。
「……マリーリア様は、ご無事だろうか」
「どう、だろうな……。冬が早いのは恐らく、あの島でも同じだろう。となると、1週間か2週間分、冬支度が整わないことになるが……」
シリルが零した不安は、仲間の騎士とも共通のものである。
皆の心配の行き先は……マリーリア。島流しに遭った救国の聖女のことである。
「冬を越すのは……やはり、厳しいのではないか」
「そうだろうな……。あの無人島がどういった場所なのかは分からないが、それでも、望遠鏡で確認するだけでもドラゴンかワイバーンのようなものが上空に確認されることはある……。生き抜くだけでも、相当に厳しいはずだ」
騎士の1人は、その手に望遠鏡を持ち、マリーリアの居る島の方を眺めている。……無論、そこまで詳しくは、見えない。島の影と、その上空を飛ぶものの影が見える程度である。
「ドラゴンかワイバーンかが居る、という時点で、彼らの餌となる小さな魔物や、更にその餌となる植物の類はあるのだろうがな……」
「もっとお傍でお助けしたいが……流石に、これ以上の接近はな……。我らがどうなろうと構わんが、マリーリア様にあらぬ疑いを掛けることになりかねんとなると……」
島の様子をもっと知りたい。それは、騎士達全員の思いである。
だが、それはできない。
それは、何より敬愛するマリーリアの潔白を汚さぬためである。
「我々がマリーリア様に接触している疑いを持たれれば、マリーリア様と我々のつながりを疑われ、そしてそれはそのまま、マリーリア様の評価につながる」
「ああ。我々とマリーリア様は無関係だ、と、皆に思われていなければならない。その通りだ」
……騎士達は、マリーリアには接触できない。マリーリアが居る島に近づくことも許されない。
マリーリアは島流しの道を受け入れた。そしてその上で、『待っていてね』と、そう言ったのだ。その言葉に背くことなど、騎士達にはできようはずもない。
そうだ。『騎士達は』ただ待っていなければならないのだ。それがマリーリアの望みであるし、マリーリアを守りたい騎士達の望みでもある。
「くそ……やはり、俺だけでもあの島へ……」
「やめろ、シリル!早まるんじゃない!」
……それでも気が急くのは仕方が無かった。シリルは海へ飛び込もうとして、他の騎士に留められた。今月に入って3回目である。
「我々がマリーリア様を信じずにどうするというのだ!」
「ああ……分かっている。分かっているが……こうも早い冬の到来に、マリーリア様はどうしておられるかと思うと……!」
シリルは歯を食いしばり、冬の無人島に1人居るはずのマリーリアに思いを馳せる。寒さは、飢えは、彼女をどのように蝕んでいるか。そう少しばかり考えただけでも気が触れそうである。
「落ち着け。我々の仕事は……これ、だろう?」
だが、仲間の騎士が海の反対方向を指し示す。
「王家の旗印だ」
そこには遠く、船の姿。
王家の紋の入った帆を持つ、立派な商船。……王家御用達の商会のものだろう。
「ああ……。やるぞ」
シリルもまた、その船を見て意識を改めた。
「全てはマリーリア様のために……いや、俺達自身のために、だな!」
シリル含めた騎士達は皆、その手に持った剣……騎士然とした剣ではなく、新たに調達した曲刀を握り直す。
そして。
「面舵!こっちが追い風だ!絶対に逃がすな!潰せ!」
号令と共に、騎士達は一斉に動き出したのだった。
……そう!
彼らはこの海域で……あろうことか!海賊を!やっているのである!
実のところ、フラクタリア国内の情勢は、悪化の一途を辿っていた。
バルトリアとの和平の後から、国政は傾き、そして『武力に頼らない政治を』との名目によって、多くの武力が削られている。
そう。それは、騎士達も同様であった。
今まで国の守護のために存在していた彼らもまた、『騎士の時代は終わった』と、騎士を辞めて文官やら城の使用人やらになるよう、国から圧力がかかっている。
……騎士達の多くは、下級貴族の第二子や第三子。自分の生家があるが、自分の所領は無く、居場所もまた無い、という者が多い。
そんな彼らに、『剣を返還し、騎士の任を解かれた者とその生家には退役金という名目で助成金を出す。職も斡旋する』と通達があったのだ。要は、国からも、生家からも、そして自分の将来からも騎士を辞めるように圧力を掛けられている状況だ。
これに騎士達は激怒し、そして苦悩した。
今まで国に仕えてきた。バルトリアとの戦いでは、文字通り命懸けで戦った。死んだ仲間もいた。だというのに、『もうお前達は必要ない』と国は言う。
更に、『やはり武力に頼った政治では長続きしない。武力によって物事を解決するのは誤りだ。今後も武力に頼らない国づくりを目指す』と、王の声明が発表されたことにより、いよいよ騎士達は怒り狂う。
何故ならば、自分達が命懸けで守った祖国に、『お前達のしたことは誤りだった』と言われたも同然だったからである。
そして……マリーリアについても、そうだ。
マリーリアが守った祖国フラクタリアが、マリーリアを島流しにし、そして、マリーリアの行いを誤りであったと言っている。
そして、今回のこの圧力だ。騎士に騎士で居ることを辞めさせる意図としては、対外的な『武力を捨てる』という表明、そして……マリーリアを愛する者達の団結を阻止するためだったのだろう。
何が国王をそこまで動かすのかは分からなかったが、『救国の聖女』として人々に讃えられ続けているマリーリアの存在が、余程疎ましいのかもしれない。或いは、マリーリアの存在を消し去る姿勢を示さねばならぬほどの状況にあるのか。
何にせよ、今も、マリーリアを敬愛する民は多い。騎士達は言うまでもない。そのマリーリアの行いを讃えるのではなく貶し、彼女を蔑ろにするというのなら、当然、騎士達は黙っていない。
そんな心境であるのに、シリル達騎士は、己の生家からも、国からも圧力を掛けられ続け……そして。
……シリルは、剣を国へ返還することにしたのだ。
ただし……その剣を、真っ二つに折って。
王から賜った剣を真っ二つに折って返還するなど、不敬も不敬。反逆の意思ありと見做される行為である。
だが……変わってしまった祖国をそれでも愛し続けることは、難しかった。そこに仕え続けることなど、尚更。
そして、そんなシリル達を祖国への思いの代わりに支えたのは……マリーリアへの愛であり、そして、かつてマリーリアから受け取った多くの愛であった。
彼女ならば。彼女が居たならば……もっとこの状況を、上手く切り抜けただろう。
そして、彼女が帰ってきたならば……きっと、この状況が良くなるだろう。
それは、嵐の海の中で見つけた僅かな雲の切れ間のような。そこから差し込む陽光のような。そこから覗く青空のような。……つまり、弱く細く、そして強く強く強い希望となって、シリル達を支えている。
『マリーリアが必ずや、戻ってこられるように!』
シリル達はそのために動いている。シリルの他、何十名かの騎士仲間達は、シリルと同じように剣を折って返還し、生家とは縁を切って、今、このように海賊になっている。
そして、剣を返還しなかった者達や、剣をそのまま返還した者達は……それでも心と誇り、マリーリアへの敬愛を捨てることなく、今も王都の中心で国政にごくわずかながら携わりつつ、フラクタリアを立て直し、マリーリアを救う手立てを探している。
マリーリアが戻ってくるまでにフラクタリアを滅ぼすわけにはいかないのだ。
だから、王の近くに残った仲間達は国を立て直し……そして、シリル達は今、こうして国の商船や、はたまた……バルトリアの船などを襲っては物品を奪い、そして、船を沈めているのである!
その一方で、海賊が出たとなれば、流石に国も動かざるを得ない。結果、剣を折って返還しなかった仲間達には再び『騎士』としての仕事がやってきて……今、彼らの一部は『海の警邏および海賊の討伐』を命じられることとなった。
勿論、彼らは本気で海賊を取り締まりなどしない。何せ、海賊と騎士、立場こそ異なれど思いは同じなのだ。
……全ては、マリーリアの為に。
皆でそう覚悟を決め……騎士達は今日もまた、王家の紋の入った船を襲うのである!
そうして一刻もしない内に、王家御用達の商船は沈んだ。積み荷はある程度はそれらしく奪ってみせ、ある程度はそのまま海に流す。流れた積み荷が上手くマリーリアの元へ届けばいいが、流石にそれは望みが薄いだろうか。
「おい!こっちに来てみろ!今回もまたよく分からない積み荷だぞ!」
……そんな中、仲間の騎士が呼ぶ声がする。シリルもそちらを見に行ったが……奪った積み荷の中、木箱の中のそれを見て、首を傾げることになる。
「……バルトリアからの輸入品だったみたいだが、これは一体、どういうもんだ?」
それは、白っぽい結晶の、細かなものであった。塩とはまた異なる。もっと細く鋭い結晶であった。
……これは、何だろう。毒の類だろうか。だとしたら、一体何の目的で、これが輸入されたのだろう。
騎士達はそれぞれ顔を見合わせ、不思議そうな顔をするのだった。




