島流し100日目:秋、そして冬に向けて*7
そうして、翌日。いよいよ迎えた、記念すべき島流し100日目。
この100日目という記念日を飾るにふさわしいものは何か。『勝利の美酒』とするにふさわしいものは何か。
……答えは簡単!蜂蜜!蜂蜜である!
「さあ、やるわよぉー。うふふふ」
マリーリアはにっこりと微笑みながら、テラコッタゴーレムの軍勢、そして膠マッドゴーレムの軍勢を見渡し……そして。
「では、出撃!」
甘美なる勝利と蜂蜜とを求めて、マリーリアは進軍を開始したのであった!
蜂の巣までの道のりは、前回より簡単であった。……というのも、スライムの道案内はなんだかんだ、ゆっくりなのである。
スライムを気にしなくてよくなった分、マリーリアは勢いよく、どんどん進んでいく。
膠マッドゴーレムはやはり膠のおかげで、マッドゴーレムより素早い。体を素早く動かしても体が崩れない、というのは大きな変化であったらしい。
元気に進んでいく膠マッドゴーレムを眺めて、マリーリアはにこにこしている。
目指すは勝利。そして蜂蜜!そのために、あの巨大な蜂達に死んでもらう!
「バルトリアみたいには済ませてあげないわ。或いは……ちゃんと降伏するなら、それでいいけれど。うふふ」
マリーリアはにこにこしながら進み……そして。
「さあ、見えてきたわね」
いよいよ見えてきた蜂の巣に、うっとりと目を細める。蜂の巣の近辺には、見張りであろうか、働き蜂と思しき巨大蜂が数匹、飛んでいる。索敵能力は然程高くないのか、まだこちらには気づいていない様子だ。
「マッドゴーレム部隊、突撃準備」
蜂の様子を確かめたマリーリアの唇が、進撃の指令を唱える。
膠マッドゴーレム達は、武器も碌に持っていない状態であるが、それぞれに前進すべく身構え……。
「征け!」
そして、マリーリアの鋭い声と同時、マッドゴーレム達は一斉に動き出したのである!
狙いは概ね、成功した。
巨大な蜂は膠マッドゴーレムの侵入に気付くとすぐさま、侵入者を追い払うべく飛び掛かってくる。……だが、蜂の針を待ち受けるのは、ぶよん、ぼよん、とした弾力のある膠固めの泥なのだ。
ずぶり、とマッドゴーレムに食い込んだ針は、膠のもっちりとした弾力に受け止められ、そしてもう二度と、離してもらえない。
蜂は針が抜けないまま居るわけにもいかず、針を内臓の一部ごと、切除せざるを得ない。そうして針を喪った蜂は、そう長くかからず死んでいくのだ。
それでも蜂達は諦めなかった。いつか自分達の持つ毒が、この人間めいた形の不気味な何者かを打ち倒すと信じて疑わなかったのだ。哨戒役の蜂が全滅してからは、巣から飛び出してきた蜂達が次々と勇敢に膠マッドゴーレムへ立ち向かっていき、自らの命と引き換えに、膠マッドゴーレムに一撃を加えていった。
……だが当然、毒を受けても全く影響の無いマッドゴーレム達のことである。蜂が何体分その命を犠牲にしようが、いくら毒を受けようが、全く関係なく、そのままである。
彼らの体を動かすものは、命ではなくマリーリアの命令。そして、刺されても刺されても、膠のゼラチン質はむっちりと柔軟で強固だ。蜂など、まるで敵ではなかった!
……そうして、蜂の巣の前には巨大な蜂の死体が数多転がることになり、蜂の巣からは何も出てこなくなった。まだ生き残りは居るのだろうが、戦える者ではないのだろう。
「そろそろいいかしらね。じゃ、皆。回収作業を始めて頂戴な」
マリーリアは頃合いと見て、テラコッタゴーレム達に指示を出し、ぱん、と手を打った。
指示を聞いたテラコッタゴーレム達は、蜂の死体を踏み越えて巣に近づくと、巨大な巣の解体に取り掛かり始める。
ぱきり、と脆くも崩れた蜜蝋の巣。そこからとろりと溢れ出す黄金の蜜は、正に勝利を飾るにふさわしい美しさと甘やかな香りとをもってして、マリーリアをうっとりさせた。
「ああ、生き残りが居たらできるだけそのままにしてあげなさいな。来年、新たな巣ができるかもしれないもの。巣は半分程度、残してあげてね」
マリーリアの言葉が聞こえているのかいないのか、巨大蜂はおろおろと飛び回ったり、逃げ出したり、はたまた巣の奥へ潜っていったり。抵抗しなければ殺すつもりは無いマリーリアは、それらを見逃した。
一応、来年以降のことも考えておかなければならない。ここで蜂の巣を残しておけば、来年も収穫が見込めるだろうから。
「うふふ、来年も蜂蜜を楽しませてもらいましょうね」
蜂の巣ごと、蜂蜜を土器に集めていくゴーレム達の様子を見守りながら、マリーリアはにこにこと、蜂蜜に思いを馳せて只々上機嫌なのであった!
さて。
そうして蜂の巣を制圧したマリーリアは、蜂の巣を半分程度崩し、蜂の巣と蜂蜜を大量に入手して拠点へ帰還した。
これだけでも相当な量である。きちんと貯蔵しておけば、冬の間どころか来年の春になっても、甘味料に困ることは無いだろう。
「さ。あなた達もお疲れ様。たっぷりお食べなさいな」
今回の功労者たるスライム達には、蜂の子を与えた。丸々と太った蜂の幼虫は、スライムにとっては高栄養なおいしいご飯である。スライム1匹1匹に蜂の子を与えて、マリーリアはにっこり笑った。
「さて……それじゃ、蜂蜜の処理、しちゃわないとねえ」
そしてマリーリアは、のんびりとそう言いつつ、早速、てきぱきと動き始めるのであった。
「まずは蜂蜜を濾しましょ」
回収してきた蜂蜜は、蜂の巣と一緒になっている。
蜂の巣は、蜜蝋でできている。濃い黄色をした蝋の塊だ。無論、不純物も多いが……それにしても、蜜蝋が手に入ったこともとても嬉しい出来事である。マリーリアはホクホクしながら、蜂蜜と蜜蝋の分離を行うことにした。
最初に、ある程度大きな塊については手作業で取り除く。除いた蜂の巣は土器の中に入れておいて、付着した蜂蜜がとろりと土器の底に溜まるのを待つ。
続いて、細かな蜜蝋の屑が浮いている蜂蜜については、ザルで濾し、布で濾していく。そうすることで、滑らかな蜂蜜ができあがるのだ!
……だが、こうすると、作業に用いた布や土器に蜂蜜が付いたままなのだ。それらを回収することは難しい。布は絞って蜂蜜を絞り切ったが、それでも残っているものはある。
なので。
「煮沸して冷ました水を加えて……溶かして回収しましょ」
マリーリアは、蜂蜜回収に用いた土器に蜂蜜を濾した布をつっこみ、そこに煮沸済みの水をとくとくと注いだ。
少し置いておけば、布や土器の中に付着した蜂蜜が水に溶けだしてくる。こうなれば回収も容易だ。マリーリアは早速、水で薄まった蜂蜜を……瓶に入れていく。
「このまま置いておけば蜂蜜酒になるかしら。うふふ……」
……水で薄めた蜂蜜を清潔な瓶に入れておいておけば、発酵して蜂蜜酒が出来上がる。マリーリアはそれを楽しみにしつつ、蜂蜜水の瓶を家の棚にそっと収納するのだった!
さて。
「うふふ、島流し100日目を記念して、かんぱーい!」
マリーリアは、水で割った蜂蜜……蜂の巣を洗った後の蜂蜜水をなみなみと湛えた素焼きのカップを掲げて、この素晴らしい日を祝した。
折角の『100日目』だ。豪勢にいきたい、ということで、卓の上には少しばかり豪勢な食事が並んでいる。
野草数種類と塩漬け肉、それに百合根のみじん切りを炒め合わせて煮込んだスープ。
マンイーターの根っこを蒸し焼きにしたもの。
塩とハーブで下味をつけて焼き上げたペリュトン肉のソテー。
それに……干した杏とナツメの実、そしてベリーを水とオレンジの果汁と少々の蜂蜜とで煮たコンポート!更には、蜂蜜水も!
……マリーリアは久しぶりの甘味に歓喜し、喜びの悲鳴を上げた。100日目を飾るにふさわしい、素晴らしい甘みである!
「はあ、勝利の美酒、だわぁー……」
これにワインも付いたら最高なのだが、それはまだ我慢だ。それに、ワインが無くとも、十分すぎるほどに素晴らしい食事である。マリーリアはただ楽しむために食べ、そして勝利と自らの生存とを祝う。
「春になったら、アイアンゴーレムの量産を進められるように頑張らないと……」
……そして、野望をしかと見据えて、マリーリアは笑う。
マリーリアの目標は、島流し100日の生存でも、蜂蜜でも、アイアンゴーレムでもない。
……祖国の土を、踏むことなのだ。アイアンゴーレムは、まあ、おまけと言えばおまけである。勿論、おまけの無い人生などつまらないので、絶対にアイアンゴーレムの軍勢は連れて帰るが。
気持ちも新たにしたところで、マリーリアは眠ることにした。
今日は蜂蜜の採取と処理とで中々に疲れたが、心地よい疲れであった。
それに……。
「蜜蝋は色々なことに使えるからいいわよねえ」
マリーリアは残った蜜蝋を眺めて、にこにこほくほくしていた。
何せ、蜜蝋だ。蝋燭や革鎧の材料になる他、何かの仮留めや鋳型の製造などにも使えるであろう、蜜蝋なのだ!
そんな蜜蝋を冬前に手に入れられたことはとても大きな出来事なのだ。何せ……。
「……そうだわ。溶かして油と混ぜて、冬の間のお肌の保湿に使いましょ」
マリーリアはこれでようやく、化粧品を作ることができるのである!
「帰国しても、お肌がボロボロじゃ、皆に心配されちゃうものねえ。うふふ……」
……帰国は、目標だ。
だが、帰国するだけでは当然、駄目だ。
アイアンゴーレムはもちろん、完璧に揃えていく。そして……マリーリア自身も、完璧な状態で、帰国するのだ!そのためにも、基礎化粧品は必須なのである!




