幕間1~騎士達の集う酒場にて~
「くそ!マリーリア様をお救いする手立ては無いものか!」
叩きつけられた拳が、だん、とテーブルの天板を震わせる。上に乗せられたグラスが、カタカタ、と揺れ、中に満たされた果実酒の水面をさざめかせた。
「やはり、あの場でマリーリア様をお連れするべきだった……!」
嘆く騎士は、シリル・エレジアン。ここ一月余り。彼はずっとマリーリアのことを悔いてはこのように嘆いている。
そしてそれは、ここに集まった騎士達全員の思いであった。
……ここは、騎士達が寄合所として利用している酒場。信頼のおける店主が2階を貸し切りにしてくれるので、騎士達はこのように集まり、思いを吐き出すことができる。
「シリル。何度も言っただろう。我々は、そうはできなかったのだと。……我々が帰港した際には、積み荷や手荷物の1つ1つまで念入りに調べられただろう?さらに、船は『念のため』すぐさま燃やされた。あの状態の港にお連れしていたところで、我々諸共、マリーリア様を危険に曝していただろう」
「そうだな。王は余程、マリーリア様を警戒しているようだ。更に、あちらの海域を通った船は全て、荷下ろしの前に調べられているそうだぞ」
「なんということだ……何故、そこまでする……?」
嘆くシリルを、他の騎士達は口々に窘め、慰める。
……そう。ここ一月余り。フラクタリア王国には随分と様々なお触れが出た。
マリーリアの流刑が発表された直後から、王はマリーリアを警戒するようなお触れを次々に出したのである。
例えば、マリーリアの島がある方面の海からやってきた船の積み荷は、念入りに調べられるようになった。海には『海賊対策』として、常に王家の旗印の船が巡航するようになった。
全ては、マリーリアを封じ込めるための策に思えてならない。流刑にしただけにとどまらず、まさか、ここまで徹底するとは。
にわかには信じがたいことだ。王は遂に気が狂ったか、とさえ思える。バルトリアの機嫌取りのためだけに、どうしてここまで執拗にマリーリアを警戒しているのだろうか。
「……そもそも、どうしてマリーリア様が此度の責を全て負わされねばならない?国王は褒賞を出すべきであろうとも、マリーリア様を島流しになどすべきではなかった!誰がどう見ても、おかしな裁きではないか!」
シリルは嘆き、グラスの果実酒を一気に煽った。
若い李を漬け込んだ甘めの果実酒は、マリーリアが好んでいたものだ。シリルや他の騎士らの口には少々甘すぎる代物であったが、マリーリアを懐かしみ、このように集まる騎士達にはピッタリの酒なのである。
「民も皆、英雄であるマリーリア様の処遇を嘆いている。王にはこの声が届かないのか……!」
「届いているからこそ、だろうな。マリーリア様の輝かしき功績と実力。そして何より、あの万物へ向けられる慈愛の心は、王すら超えかねない。王はそれを恐れているのだ」
苦い思いで、皆が酒をちびちびと呷る。このように苦い話ばかりが出るものだから、彼らには甘い果実酒が丁度いい。
「だとしても……ならば、家臣として抱えあげるだとか、マリーリア様を王家の血筋に迎え入れるだとか、やりようは他にいくらでもあるだろうにな……」
「うむ……それがおかしいのだ。マリーリア様を警戒するならば、むしろ彼女を取り込むべきだ。そうしなかったのだから……バルトリアが関与していることは間違いないだろう」
「今更、あの国が脅しをかけているでもあるまいに……」
「いや、分からんぞ。脅しているのではないとするならば、王を甘言で惑わしたのかもしれぬ」
騎士達は決して、外交に明るいわけではない。彼らは貴族の子弟も多いが、熱心に学を身に付けてきた者達というよりは、武功を立てることで何とかのし上がろうとしている者達だ。
よって、彼らの話は与太話の類に過ぎない。バルトリアの情報が入ってくるような地位にはおらず、学によって諸々を緻密に推測し得るわけでもない。
だが……政治や外交には疎くとも、それでも彼らは、前線でマリーリアと共に戦っていた者達だ。
「だが、いずれにせよ王の愚かなことは間違いない。マリーリア様不在の今、バルトリアに攻め込まれればフラクタリアは滅びる!」
危機感は、ある。恐らく、国内の誰よりも。
武力に頼らぬ外交を成すと豪語する王に不信を抱くのは、彼らが前線の様子を知っていて、そして、王はあの場に居なかったから。
……バルトリアの戦力は、凄まじい。軍事に注力してきた国なだけあり、フラクタリアには実現しえない技術を持っている。
それらをひっくり返せたのは、ひとえにマリーリアの力あってこそ。
マリーリアの采配に従えば、何故か、体がありえない程軽く、自由に動いた。それこそ、バルトリアの最新兵器を圧倒できるほどに。
……あれが、普通にはあり得ないことだと、騎士達は気づいている。マリーリアがただ微笑みながら指揮をしていただけだなどとは、思っていない。
マリーリアは、何か、魔法を使っていた。味方の兵士を大幅に強化し、鼓舞するような……伝説の聖女にのみ許されていたような、そんな魔法を、マリーリアが使っていたのだ。
そしてそのマリーリアを失った今、フラクタリアは……攻め込まれれば、負ける。
そう。負けるのだ。実際に前線で戦っていた騎士達だからこそ、分かる。マリーリア無しで戦えば、自分達は負けるのだ、と。
「……くそ、マリーリア様どころか、この国すら守れないかもしれないな……」
今、フラクタリアとバルトリアは和平を結んでいる。だが、バルトリアが約束を違えない保証など無い。むしろ、約束を違えてきたからこそ、今のバルトリアがある。バルトリアは、決して信用できる相手ではないのだ。
「だが……マリーリア様は、待てと仰ったのだ。ならば我らは、待つしかあるまい」
……それでも騎士達にはどうすることもできない。
王を武力で廃することは、できなくも無いだろうが……そんなことをしては、バルトリアに攻め込まれる隙を与えるだけだ。今はただ、フラクタリア国内は団結し、バルトリアからの圧力に耐えねばならない。
「……そう、だな。マリーリア様は、『待て』と仰った……。3年か、5年か……それ以上かかるかもしれないが、と……」
やがて、シリルはグラスに目を落としながらそう、呟いた。彼が目を落とすグラスの底には、ほんのりと黄金色の果実酒の色が残っている。その色は、マリーリアの髪を思わせた。
「だから……『待つ』というのならば、完璧な状態で待っていようではないか!」
あの日、無人島の海岸でにっこりと微笑んだマリーリアの顔を思い出しながら、シリルは立ち上がる。
その表情は悲壮なものであったが、瞳にあるのは絶望ではなく、希望だ。
「いいか?皆!このままでは、我らはマリーリア様の言いつけすら守れぬ!我らはマリーリア様との約束に掛けて、この国を……我らがフラクタリアを!マリーリア様の祖国を、守らねばならぬ!マリーリア様が守ろうとなさったものを、どうして我々が蔑ろにできようか!」
拳を握りしめ、そう語るシリルの言葉に、騎士達もまた希望を思い出す。
世界の全てを敵に回してでもマリーリアを救い出したいと思い詰めていた者達も、ようやく思い出すのだ。……マリーリアの慈愛を。
彼女は、自らが処刑されそうになった時ですら、『こうなる気はしてたわぁー』と、おっとり優しく微笑んでいた。何かを憎むようなことはしなかった。そして何より……この国を守るために戦い、この国を守るために、抵抗もせず、島流しになったのだ。
彼女が守ろうとしていたものを、忘れてはならない。
彼女の意思を、愛を、踏み躙るようなことをしてはならない。
たとえ、彼女が愛し、守ろうとした王国が、彼女を孤島へ追いやったとしても。それでも……マリーリアがそう望まなかったのだから。
「……いずれ、王には然るべき報いを与える。だがそれは、我々の仕事ではない。……マリーリア様が、行われるべきことだ」
シリルはまた、マリーリアの言葉を思い出す。
『アイアンゴーレムを揃える』とマリーリアは言っていた。岩を砕き、砂鉄を採り、それを鍛えてアイアンゴーレムを作る、など……碌な道具も無い無人島では、一体、何年かかることやら、まるで想像がつかないが。
だがマリーリアはそう言った。そう言ったのだ。ならば、彼女を愛する騎士達は……マリーリアを信じて待たねばなるまい。敬愛するマリーリアに、ただ『待っていてね』と言われたのだから。
「マリーリア様は必ずやお戻りになられる!我らはその時、マリーリア様の剣となり、盾となり……腕となり、脚となれるよう、盤石の態勢を保ち続けなければ!」
シリルが声を上げれば、騎士らは皆、その声に賛同した。
……そして、希望を取り戻した彼らは、すぐさま相談を始める。
『船はいくつか押さえておくべきか』『バルトリアの動向はどのようにして探る?』『いっそ、海は我らの掌中に収められないだろうか』などと。
そして……『フラクタリアの民の混乱を鎮めるよう全力を尽くそう』『各自、生家に掛け合え。飢饉への備えを怠るな。民を死なせてはならない!』『バルトリアが次に攻めてきた時、どうにかして奴らを打ち払わねば。軍備の増強は、国王に知られぬよう、内密に各自で進めるしかないか……』『ならば貴族同士の団結を!今こそ団結の時!この時を乗り越えねば、我らはマリーリア様を迎えるための国を失う!』と。
……マリーリアの慈愛が、国へ届いたかは定かではない。
だが、確実に……彼女の傍にいた者達には、届いた。
そして彼らは、マリーリアの愛するフラクタリアを守るべく、マリーリアの愛を受け継いで動き出すのだ。
……マリーリアは、こうなることなど、全く、予想していなかったのだが。
今も、『あらぁ、今日もスライムがお散歩してるわぁ』と、のんびり笑っていたのだが。
だが、マリーリアの知らないところで、マリーリアを信奉する者達が動き出している。……そして、その動きが密やかに、しかし確実に広がっていくことなど、マリーリアは、全く知らなかったのだが!