島流し1日目:計画
川だ。水だ。真水である。
川は崖上から流れてきているようであった。それが小ぶりな可愛らしい滝になって落ちてきて、小さいながら滝つぼを形作り、更にそこから川となって流れてきているのだ。
「ふふ、お水だわぁ……。まあ、このまま飲むのはちょっと危ないわよねえ。うーん……」
小川を辿って上流へ行けば、水が湧き出る地点が見つかるだろう。水を飲むなら、できるだけ上流……更に可能なら、湧き水が湧き出ている丁度そこから水を汲み取るべきである。下流の生水は淀んでいて危ない。多分、お腹を壊す。マリーリアにも、その程度の知識はあるのだ。
「でもこの崖を上る元気は無いし、今はここで妥協すべきかしらぁ……うーん……ああ、向こうの方は池だし、粘土層もあるし。拠点をそこにするって決めたんだから、ここのお水で生きていけた方がいいわよねえ……」
マリーリアはため息を吐くと、小さな滝に鍋を差し向けて、流れてきた水を受け止めた。
水は、澄んでいる。藻が繁殖しているようなことは無いので、見るからに危ない、ということは無い。
だがこれをこのまま飲んで命を落とすわけにもいかないので、マリーリアは仕方なく、その場で枯れ木を探し始めた。……要は、また火を熾し始めるのだ!
「2回目ともなるとちょっと慣れてきたわねえ……でも、とっても大変!」
ぜえぜえと肩で息をつきながら、マリーリアは焚火を生み出した。やっぱり火熾しは大変である。流石のマリーリアも、『そろそろこれ、もうやりたくないわぁ……』と思い始めてきた。だがまあ、どうせまたやる羽目になる。人間の暮らしに火はつきものなのだから……。
「じゃ、お鍋を火にかけて……よいしょ、と」
それから、マリーリアは水の入った鍋を火にかける。要は、煮沸消毒だ。これで水を沸かして安全な飲み水を確保するのである。
鍋と焚火を見つめていると、やがて鍋の底からぽこぽこと泡が立ち上り始め、やがて、ぼこぼこと大きな泡があがってくるようになる。マリーリアはふんふんと鼻歌を歌いつつ、暫く水を沸騰させて……。
「こんなものでいいかしらぁ」
暫く煮立たせた水を、瓶へと移した。そして立て続けにすぐ、水をもう一杯鍋に汲んできて沸かし始めておく。
……さて。
「頂きますわぁー!ああー!水ぅー!」
そうして、お湯がぬるま湯になった頃。マリーリアはそれを一気に飲み干した。
……甘露。甘露である。ただのぬるま湯だったが、それが全身に行き渡り、マリーリアの体を潤していく。やはり人間には水が必要なのだ。そう実感できる。
「もう一杯……あっつぅ……やっぱりすぐには無理ねえ。はあ……」
瓶に移した水を飲み終えた頃には鍋が沸いていたので、すぐさまその中身をまた瓶へと移す。そして鍋にはもう一杯、水を汲んで沸かし始める。
……こうしてマリーリアは、熱湯が瓶の中で冷めてぬるま湯になるまでの間を、また待つことになる。
時々、焚火に枯れ木の枝を投げ入れてやりながら、『さて、これからどうしようかしら』と考えつつ……今は、ぱちぱちと爆ぜる焚火の音と、さわさわと揺れる森の木々の葉擦れの音に耳を傾け、木漏れ日と焚火、そして森の緑を目で楽しみ、頬を撫でる爽やかな風を味わって……暫しのんびりと過ごすのだった。
「潤ったわぁ……さて、と」
そうして、身も心もなんとなく潤ったマリーリアは、のんびりと立ちあがり、シュミーズの尻をぽふぽふ叩いて土を払い……。
「時間がかかるもの、すぐに欲しいもの……優先順位を考えなければね」
今後の計画、主に建築計画について、考え始める!
「えーと、大きめのものでほしいのは炉。畑。家。……こんなものかしら」
地面に木の枝で文字を書き連ねつつ、マリーリアは考える。
まず、家。これは絶対に欲しい。
仮住まいならば、ある程度の雨風が凌げればそれでいい。……今は夏なので、こう、嵐が来そうなのがちょっと嫌だが。本当なら嵐が来る前にレンガ造りの家が欲しいが……今は初夏。夏真っ盛り、嵐の季節が来るまでにレンガ造りの家は、間に合わないように思う。
「家は……当面は、風除け雨除けで凌ぐしかないわねえ」
まずは屋根。屋根が欲しい。昨夜、砂浜で眠った時には色々と諦めて眠ったが、今後は野宿も厳しいだろう。特に、雨が降ることを考えると。
ついでに、ドレスや靴、ペチコートや着替えのシュミーズやマリーリアの髪といった荷物を入れてある例の木箱。あれも蓋が閉まるものとはいえ、完全に水を防げるものではない。あれらを大切に保管するためにも、至急、屋根は欲しいところである。
なので当面の目標は、屋根づくり……ひとまず、材料を揃えたり加工したりするのが簡単な、草葺きの屋根を作ることになるだろう。
屋根が1つあるだけでも、大分違う。……というか、屋根1つすら無いと、人は容易に体調を崩すのだ。体温の低下は、この島での1人暮らしにおいて死に直結する。危険だ。
なのでできるだけ早く屋根は欲しい。が、冬を越すなら、もっとちゃんとした家が無いとやっていけない。家の中で火を焚いても問題ないような構造の家。隙間風が少なく、雨風でそうそう駄目にならないような、そんな家がほしい。
「レンガや瓦を焼こうと思ったら、大きな炉が必要になるわねえ……」
……そして、家を建てるためには炉が必要だ。
建材としてレンガや素焼き瓦を造るためには、粘土を捏ねて、型に入れて抜いて、乾かして、そしてそれを焼き上げなければならない。
「土器を焼いたり、素焼きゴーレムを作ったりするのにも、どうせ炉は必要だものねえ……。ゴーレムを作れれば労働力が得られるから、炉が優先かしらぁ」
いずれは大規模にゴーレムを運用して、鉄の採掘に臨みたい。だが……すぐさま炉に労力の全てを傾けるわけにもいかない。何故かといえば。
「……でも、レンガを安定して作るためには、レンガを乾かす場所が要るわねえ……。できれば、屋根付きの……」
……レンガを作るなら、粘土を練って、乾かして、それを焼き上げなければならない。ちゃんと乾いていない粘土の塊を焼こうものなら、粘土の中で水蒸気が発生して、爆発する。レンガが、爆発する!
なのでレンガ造りには、晴れた気候、高めの気温……そして何より、何日も雨の影響を受けずにレンガを干して置ける場所が必要なのである。
「となると、どのみち住処以外でも、屋根だけは大きなものを先に作ることになる、のよねえ……。それも草葺きかしらぁ。……でも、今日のところは食料調達よねえ。なら、屋根を作って、それから畑にもちょっと取り掛かっておかなきゃ……」
が。
……まあ、屋根は作るにしても、同時に食料もまた、必要だ。しかも、一度作ればしばらくもつ屋根とは違い、食料は永続的に必要である。
そう考えると、食料は何としても調達しなければならず……食料を調達するのであれば、そのまま、畑を作って、簡単に植物の栽培を始めておいた方が、いいだろう。
葉を食べられる草を見つけたら、株ごと抜いて畑に植えておくのだ。そうすれば、数日で葉っぱがもう1枚2枚、増えることだろう。成長が早いものなら、それなりに収穫が見込める。
或いは、数年計画で果物の種を植えておいてもいい。『果樹園ができたら素敵よねえ』とマリーリアはうっとりした。まあ、まだそんなところまで計画している余裕は無いが。
「それから、小さめの道具で必要なものは……まずは、斧、よねえ」
続いて、道具についても考えていく。
まず挙げられるものは、斧だ。
……『自決用』としてごっついナイフは持ってきたが、ナイフはナイフだ。それに、鋼の道具はこの島でとてつもなく貴重なのだ。できる限り温存したい。
それでいて、今後はとにかく、木を切る必要が何度も出てくるだろう。
レンガや瓦を焼こうと思ったら、その分、燃やすための薪が必要になる。今のところは枯れ落ちた枝を燃やして何とかしているが、いずれは伐採した木を乾かして使うようにしなければならないだろう。
それに加えて、木材は建材でもある。……レンガ造りの家を作るにしても、屋根の梁くらいは木で造ることになりそうだ。
……ということで、まずは、斧が欲しい。となると石斧を作ることになる。が……。
「……石をすりすりやるんだったら、ゴーレムにやらせたいわぁ……」
磨製石器をひたすら頑張って作るのであれば、それはゴーレムにやらせたい。つまりマリーリアは、できるだけ早く、ゴーレムを作りたいのだ。
ゴーレムとは、その体に刻み込んだ命令を忠実にこなす僕である。
マリーリアをはじめとして、ある程度魔術を使うことができる者であれば、1体程度のゴーレムを使役していることは珍しくない。マリーリアの生家であるオーディール領でも、農民が農耕用ゴーレムを使って畑を耕していることがあった。
……だが、マリーリアのように、何十、何百というゴーレムを同時に操れる者は、本当に少ない。だから、マリーリアは自らのゴーレム使いの才をずっと隠してきた。それこそ、実の親にさえ。
命令を刻み、魔力を流しさえすれば、それはゴーレムとしてマリーリアの思い通りに動くことになる。
例えば、泥を捏ね上げて作り上げた人形に『歩け』と命令を刻んで魔力を流し込めば、そのまま歩き続けるゴーレムができあがる。
……当然、ただ歩くだけのゴーレムなど作っても意味が無いので、『ついてこい。命令を聞け。』というような、ざっくりとした命令を刻むことになる場合が多い。が……あまりにざっくりとして汎用的な命令を刻んでしまうと、ゴーレムの材質によっては従いきれずに自壊してしまうのだ。
泥で作ったマッドゴーレムだと、精々、『このハンドルを回し続けろ。合図があったら止めて、また合図があったらまたハンドルを回し続けろ。』といった命令を出して、その場で動かさずに延々と何かさせ続けることができる、といった程度だろうか。
或いは、『この石でこの石をすりすり擦り続けていなさい』といった命令なら、人間よりもよくこなす。要は、磨製石器を作るような単純作業を延々と繰り返すという事については、ある種、人間よりゴーレムの方が向いているのだ。
また、これが、粘土を素焼きしたもので作ったテラコッタゴーレムだと、もう少し複雑な命令を出せるようになる。『ついてこい。荷物持ちをしろ。』といった命令ができるようになるのは、テラコッタゴーレムあたりからだろう。
……ということで、マリーリアはできるだけ早く、ゴーレムを作りたい。
この無人島生活においては、単純作業を延々と繰り返していなければならないことは多いだろう。それらをゴーレムで賄うことができれば効率的である。
「じゃあやっぱりゴーレムを作りたいけれど……ええと、まずはマッドゴーレムよねえ。でも、泥をたっぷり作るなら、スコップくらいは欲しいわねえ……。じゃあやっぱり、スコップかしらぁ。畑や屋根を作るにも、スコップはあった方がいいものねぇ」
……マリーリアが最初に作るものは、簡易的なスコップ。そういうことになりそうだ。
……ということで、さて。
「じゃあ、ここがお家予定地で、こっちが畑予定地……レンガ干し場はこっちにつくりましょう。炉はここね。増設するなら西側に増やせばいいわ」
マリーリアは土地に木の枝で線を引き、石を並べて印にしながら、大まかな建設予定を立てておく。……そして、その内の一角、畑予定地と仮住まい予定地が、本日の仕事だ。
ごく小さく土地を耕して、採取してきた植物をある程度植えておきたい。それから……。
「こっちに簡易的な寝床を用意しましょう」
家の建設予定地に、簡易的なシェルター……三角屋根をただ地面にのっけただけのような、そんなものを作っておこうと思う。