島流し1日目:探索
……ということで、マリーリアは最初に、ドレスを脱いだ。
これは綺麗に畳んで、木箱にしまってとっておく。いずれ、3年か5年か10年か……その後にもう一度フラクタリアの土を踏むことになったなら、その時に着ていくのだ。
それから、ペチコートも脱ぐ。……10枚ぐらい脱ぐ。そう。マリーリアは、とんでもない枚数のペチコートをドレスの中に履いてきた。当然、スカートを美しく見せるためではない。『布』はこの無人島で貴重だからである。
これはいずれ仕立て直したり、単純に布として何かを漉したり絞ったりするのに使う。この島で品質の良い、目の細かな布を生産できるようになるのはきっと、大分後のことだ。それまではこのペチコートをバラして使うか、漂着物を使うかのどちらかになるだろう。
それから靴も脱いだ。美しい靴は、無人島を駆け回るのには不向きだ。これもドレスと一緒にとっておく。
装飾品の類も外す。これらは……金属や宝石に利用価値があるかもしれない。いずれ使うかもしれないわねえ、と思いながら、これも木箱の中へ。
それから。
「うふふ。まあ、お鍋とナイフがあれば何とでもなるわよねえ」
マリーリアは、ペチコートの中に隠してきた鍋を1つ、取り出した。
旅に持ち歩きやすいように軽く作られたものだが、こんなものでも貴重品である。ついでに、鍋の中には2、3日分ほどの干し肉や乾パンと一緒に、『令嬢の嗜みなので』と持ち込んだ針と糸と小さな鋏も、一応揃っている。
そうしてついでに下着も脱いだ。シュミーズが3枚ほど増えた。……マリーリアは用意周到に重ね着することで、衣類と必要な道具をこの無人島に持ち込んでいたのである!
「はあ、さっぱり!」
そうしてマリーリアは、随分とこざっぱりした格好になった。
下着であるシュミーズは白麻で作られた着心地の良いものだ。まあ、これ一枚で過ごしても然程問題はあるまい。どうせ無人島だ。
「ふふふ。そろそろ日も暮れちゃうし……火だけ熾して、ごはんにしましょ」
マリーリアは早速、薪となる流木を拾い集めるべく砂浜を歩く。
夕陽に燃えるような海と空を眺めて『綺麗ねえ』とにこにこしながら、マリーリアは只々、上機嫌であった!
まずは、石を拾い集める。海岸沿いに丁度、流木や石が流れ着いて溜まっている箇所があったので、そこでついでに薪にする流木も拾ってきた。最近はよく晴れていたから、流木はすっかり乾いていて軽い。
拾い集めた石でかまどを作ったら、そこに薪を積んでいく。一番下には削った木屑やごく細い薪を。そして次第に太い薪へと積み上げていって……。
「さて、やるわよぉー……」
……火を熾すために魔法でも使えればよかったのだが、生憎、そんなものは無い。マリーリアが使える魔法は『ゴーレムの使役』だけである。
よって、手動だ。火を熾すのも、手動なのである!
「火打石もどうにかして持ってくればよかったわぁ……」
マリーリアはぼやきつつ、しゃこしゃこしゃこしゃこ、と一生懸命、流木で流木を擦り続ける。火打石があれば、後は麻布を解して作った繊維に火花を飛ばして火を熾すこともできただろうが、生憎、火打石は手に入らなかった。当たり前である。マリーリアは島で自殺することを推奨されていたのだから。
乾ききった流木は、案外すぐ焦げ始めた。マリーリアは『案外、やればできるものねえ』と嬉しく思った。
マリーリアは戦場に居たこともあるが、流石に火打石なしで火を熾したことは無い。だが、やり方は知っている。乾いた木で乾いた木を擦り続ければ、摩擦で温度が上がって、やがて、火種ができるのだ。
……ということで、マリーリアはひたすらに火を熾し続けた。にこにこしながらも、目が本気になってきた。流刑を言い渡された時にもおっとりしていたマリーリアだが、今はもうおっとりなどしていられない。火熾しとはそういうものである。島流し宣告より火熾しの方が、大ごとなのである!
戦場を駆けていたとはいえ、マリーリアの本分は『ゴーレム使い』でしかない。一応、ゴーレム使いであることを国に隠すべく、軽い鎧を着て、細身の剣を携えてはいたが……マリーリア本人の体力は、然程、無い。
とはいえ、今、ここで頼れるものはマリーリアの体力のみである。マリーリアは黙って必死に手を動かし、これでもか、と流木を擦り続け、焦げて黒ずんだ木屑がほこほこと溜まっていくのを見つめ……。
「あら」
……いよいよ夕陽の最後の一片が消えかけようという頃。
焦げた木屑の中に、ちろ、と赤く光るものが生じていた。
マリーリアは『あらあらあら』と慌てて火種を火口の上に移す。
火口にするのは、ほぐした麻縄である。……この島に到着するまでマリーリアの両手を縛っていた、例のアレをほぐしたものだ!
小さく赤く灯った火種を火口で包むようにして吹いてやれば、やがて、火が麻の繊維にふわり、と燃え広がり……。
「あっつい!……あらぁー……」
ぼっ、と一気に燃え広がったため、マリーリアは火口ごと火種を取り落とした!
だが、火が落ちた場所は丁度、かまどの近く。そのまま流木でつついて転がして、かまどの中へ火を入れた。
「あら、丁度いいわあ」
そして何度か吹いたり、ぱたぱた扇いだりしてやれば、やがて火は木屑へ、そして削った薪へと燃え移っていく。
……そうして完全に日が落ちる前。ようやく、焚火が生まれたのであった!
「はあ、やっぱり火っていいわぁー」
マリーリアはにこにこしながら焚火を見つめる。
ぱちぱちと火が爆ぜる音も、ちらちらと揺らめく炎も、愛おしい。これを無人島の夜、満天の星の下、波の音と共に味わうことの、なんと甘美なことか!
「……ふふふ、お腹空いちゃったわ」
が、ずっと焚火を見ているわけにもいかない。マリーリアは『よっこいしょ』と立ち上がると、持ち込んだ携帯食を持ってきて、食べることにした。
「……お水欲しいわぁー」
干し肉と乾パンの食事は、まあ、口の中がぱっさぱさになる。だが水は無い。これは辛い!
「明日の朝はお水探しから始めなきゃいけないわねえ……」
戦場でもそうだったが、水が無いと人間は簡単に死ぬ。食料より先に、水だ。そして水を手に入れるためには海水を蒸留する……のはあまりに非効率だ。となると、湧き水を探して煮沸消毒をするか……。
「……また明日考えましょ」
まあ、何はともあれ、もう暗い。暗い中で行動するのも愚かしい。マリーリアはそう割り切って、焚火の傍でころりと横になり、そのまま眠ることにした。
そうして現在、マリーリアは朝陽が昇るのと共に目覚めた。
「……よし。じゃあ早速、探検ね」
マリーリアが起きてすぐ向かった先は、昨日、流木を集めたあたりである。
流木が流れ着いて溜まっていたということは、つまり、他の漂着物もある、ということなのである。例えば……。
「あら、素敵。ボロ布だわぁー!」
……恐らく、何か、穀類を入れていたのであろう麻袋がボロ布と化したものが、流木に引っかかって落ちていた。マリーリアはうきうきとそれを拾い上げる。
布は貴重だ。ペチコートの形で白麻を持ち込んではいるが、できるだけそれには手を付けずにとっておきたい。
「火口にもなるし……これだけ形が残っていれば、小さな袋くらいにはできそうねえ。解して紐にしてもいいし……あらぁ、こっちはもっと形が残った袋!それに、あらあらあら!瓶まで!素敵!」
更に、ボロ『袋』と言える程度に形の残った麻袋も見つかる。続いて、ガラスの瓶も1つ、落ちているのを見つけた。元は酒瓶か何かだったのだろう。ラベルはもうすっかり擦り切れて文字も読めなくなっているが……。
瓶を逆さにしてふりふりと振ってみれば、中から幾許かの砂と共に、乾ききった蟹の死骸が落ちてきた。マリーリアは『あらぁ』と声を上げ、一応、哀れな蟹のために祈りを捧げた。
「あとは……鉄くずも少しはあるわねえ。ゴーレムを作れそうにはないけれど……」
それから、ランタンのフレームであったのだろうひしゃげた鉄くずや、何かの部品であったのだろう鉄くずも、いくらか落ちている。だがこれらを利用できるようになるのは大分先のことだろう。
「上手く研げば、簡易的なナイフくらいにはなるかしらぁ……。ナイフはできるだけ温存したいし、木の蔓をちょっと切るくらいなら、こういうのを使った方がいいかもね」
まあ、今は何でも貴重である。マリーリアは一通り漂着物を拾い上げると、拠点……昨夜火を焚いたあたりに戻って、そこに漂着物を下ろす。
さて。
「じゃあ、島を探検しに行きましょ。まずは現状把握からよねぇ」
そうしてマリーリアは、さっき拾ったばかりの瓶と、持ち込んだ鍋、そして昨夜火を熾すために使った流木2片と火口……それらをボロ袋に入れ、ボロ袋を担ぎ、剣帯にナイフを装着して……いよいよ、この島の状況を調べにいくのだ!
マリーリアの知識にあるこの島は、『フラクタリア王国の南に位置する島』という程度のものでしかない。無人島の知識など、ほとんど持ち合わせてはいなかった。
よって、この島の植生も、この島を構成する土や鉱石の具合も、何も知らないのである。
……ついでに言えば、この島の広さすら、知らない。『船からみたかんじ、中々に大きな島だったわねえ』という程度にしか分かっていないのだ。
だが、予測が立つことはある。
「まず、この島は火山活動によってできた島よね」
マリーリアは海岸沿いを歩きながら、島の中心の方へちらりと目をやった。
……ここからでは森の木々に阻まれて見えないが、その方向には大きな山があったはず。そしてあれは恐らく、火山の類だ。今も生きている火山なのか、死火山なのかは分からないが。
何故ならば、この島の森の切れ目から崖や山肌など、岩石の様子をざっと見るだけでも……安山岩をはじめとした火山岩の類が見られるからだ。ということは、まあ、砂鉄の類が採れる可能性が高い。
これはマリーリアにとって朗報である。『砂鉄から鉄を製錬してアイアンゴーレムにして、フラクタリアの王都にアイアンゴーレムの軍勢と共に帰還しましょう』とにこにこしているマリーリアにとっては。……そして多分、フラクタリアの国王をはじめとする重鎮達にとっては、悲報である!
「あら」
漂着物を探したり、浜の様子を見たりしながら砂浜を進んでいたマリーリアは、そこで足を止めた。
……砂浜は途切れ、そこから先は岩場になっていた。荒波に削られたものか、はたまたそのような形で隆起したのかは分からないが、尖った岩も多い。
「島を一周してみたかったけれど……ここから先を裸足で行くのはちょっとねえ。引き返しましょ」
安全第一。マリーリアはここで諦めて、元来た道を戻ることにしたのだった。
続いて、森の中へ入る。帰り道が分からなくならないよう、目印がてら木の枝を折りながらの探索だ。
海岸に近いところには松の類など、海風に強い針葉樹の類が生えていたが、少し進めばすぐ、様々な種類の木々に満たされるようになる。
森の中、それらの植物を見ながら、マリーリアは己の頭の中にある植物図鑑と照らし合わせてこの辺りの気候を大雑把に把握する。
「うーん……フラクタリアよりは南なのよね、この島。とはいえ、冬になったらこの辺り、葉っぱが落ちるんだわ。落ち葉が積もってるし……あら、腐葉土。やわらかーい」
マリーリアは腐葉土を『もすっ』と踏みながら、探索を続ける。
……植物を見ても分かるが、この無人島は、フラクタリア王国よりは気候が温暖、であると考えられる。まあ、多少は。だがそれでも、時が過ぎれば冬が来る。寒さに植物は葉を落とし、獣は身を隠し……食料が無くなる冬が、来るのだろう。
「やっぱり、目下の目標は冬を越すための準備になるわねぇ。はあ、大変だわぁ……」
幸いにして、今は初夏。これから準備していけば、今年の冬を越すための準備はなんとか間に合う……と思いたい。
そうして、森の中を少し探索していると。
「……あら」
かさ、と物音が聞こえた気がして、マリーリアは目を細め、じっ、と茂みの向こう側を見つめる。その手はナイフを抜き、じっ、と身構えた。
じわ、と汗が滲む。……だが、それでも尚、マリーリアは物音の方をじっと見つめ……。
……その先で風に揺れるわけでもないのに蠢く、植物の蔓を見つけた。
人食い花である。
「やだぁー……この島、魔物が居るのねぇ……まあ、そんな気はしてたけれど……」
マリーリアはそーっと撤退した。……マンイーターは、まあ、近づかなければ何も問題が無い魔物である。そして近づいたとしても、武器がちゃんとあればさして問題にはならないのだが……今のマリーリアは、ナイフ一丁しか武器を持っていない。流石にこれでは、心もとない。
「比較的浅いところでもコレだものねえ。島の中心部に行ったら、もっとすごいのがいっぱい居るんでしょうねえ……」
更に言えば、魔物というものは基本的に、魔力の濃い場所で生まれる。つまり……この島の外側に近い部分に魔物が居たなら、島の中心部には魔力の濃い場所があって、そこで更に強く凶暴な魔物が居ると考えられるのだ。
「……鉄を採るためにいずれ、島の中心部に行かなきゃいけないけれど。その前に、魔物退治をしなきゃいけないのね……はあ、全く、わくわくしちゃう」
……この無人島生活、中々に楽しくなってきてしまった。マリーリアはにこにこと穏やかに、しかしちょっとだけ遠い目で、ため息を吐いた。
「それにしても……この島、何かあるのかしら」
遠い目をしたついでに、本当にずっと遠くの方を見つめる。
木々に隠れて見えないが……あちらには山があるはずなのだ。そしてそこには砂鉄があるはず、とマリーリアは踏んでいるが……。
「何か、魔力の源になるようなものがある、のかしら……?」
……この島には鉄どころか、もっと『とんでもない』何かがあるのかもしれない。フラクタリア国王も知らないような、何かが。
さて。
こうしてマリーリアは探索を中止することにした。
島の情報は欲しい。どういった地形なのか。どういった植生で、どんな資源があり、自分がすぐに活用できそうなものは何か。そういった情報はほしいのだが……どうやら、あまり深入りすると、魔物に遭遇する可能性が高くなりそうだ。
その上、今のマリーリアには、森の奥へと進むメリットがあまり無い。……というのも、マリーリアは当面の間、生活基盤を整える必要があり……その上で、海が近い方が、何かと便利だからである。
例えば、漂着物。今のマリーリアにとっては漂着物の全てが『ロストテクノロジー』。大変な貴重品だ。また瓶の1本でも流れ着いたら万々歳。よって、海は定期的に見回りたい。
他にも、海の岩場の方に行けば、魚が釣れる可能性がある。釣り針を作れるようになってから、ということになりそうだが……。
が、砂浜に拠点を構えるのも、少し躊躇われる。
マリーリアは、ある程度は森の中……特に、粘土や真水があるところの近くに拠点を構えておきたいのだ。
……ということで。
「ここをキャンプ地とする!……ふふふ、これ、言ってみたかったのよねぇ」
……マリーリアは見つけた川の近くの土地で、そう宣言したのだった!