先頭の一字下げくらいはしませんか?
本来、文を書く時には様々なルールがありますね。
実際、自分で書いてても「どうだっけ?」と思うことも多いし、多分間違ってることも多いと思います。
書きたい内容によっても変わってきますしね。
分かりやすいところでは改行や空白行の使い方でしょうか。
やはり、純文学に比べればライトノベルは改行や空白行が多くなるものだと思います。あまりに多くて白い文だと違和感がありますが。
かと言って、どうにも日本の純文学の文字のページの黒さは、それはそれで読むのにうんざりしてしまいます。
個人的なイメージですが、過去に読んだ、翻訳された海外小説は、意外と言い回しがすっきりしている場合が多くて、読みやすかったですね。
英語という言語の特性上そうなるのでしょうか。
日本語の言い回しの多さや複雑さ、それも素晴らしいことなので、人それぞれ使い方にこだわりがあるのは当然でしょう。
例えば、『思い』と『想い』。
軽くググってみたところ、
『思い』=考えること全般
『想い』=心の中で思い浮かべること
と出てきましたが、実際のところ、はっきり使い分ける必要はないそうです。
けれど、私は使い分けてます。特に違いを調べたことはなかったし、感覚で使い分けてましたが、概ねググった結果通りの使い方をしていました。
段落をどのくらいにまとめるか、なんかも人それぞれですよね。
一行ごとに空白行があるレベルまでいくと、流石に絵本かよ!と思ってしまって読む気がしません。
かと言って、空白行がなく真っ黒なものも、ちょっと読み疲れてしまう。
どの辺りの塩梅がいいかは人それぞれでしょう。
効果音なんかもそうですね。
ライトノベルならドカーンとかガシャーンとか書いてもいいけれど、純文学なら効果音をそのまま書くようなことはしないでしょう。
そんな風に、書きたい話がどれだけライトなものなのか、また読者のターゲット層、作者の好みなど、様々なことを考えて文章は書かれていきますね。
私は、会話文の鉤括弧の終わりには句点を付けません。好みの問題です。
会話文の最後の場合は句点と鉤括弧を同じマスに書くものという感覚があるのですが、なろうだと別なマスになってしまって間延びした感じになるから、句点を省略しています。
それを人がどう思うかは分かりません。
そのあたりは自由でいいと思います。
絶対の正解というのもはっきりしないし、細かなルールを知らないこともあるでしょう。
『…』や『ーー』は偶数使うのが基本らしいですが、私はあまりそこは気にしてません。
もしかしたら、それを気にする方もいらっしゃるかもしれませんが、そこまで細かいルールは好みで良くないかな、と思います。
たださぁ…。
先頭の一字下げっていう、小学校で習うし余りにも当たり前なことくらいは、しませんか?
読みにくくてしゃーない。というかゾワッとする。
会話は鉤括弧、文の最後は句点を付ける。
これらと同じくらい、基本的なことだと思うんですけどね…。
読点が余りにも少ない文っていうのも、すごくしんどい。数十字の文に読点がひとつもなかったりすると読みにくい。
だいたい、先頭の一字下げに関しては、なろうの機能にもあるでしょ。
全部書き終わってから一括変更で下げればいいだけなのに、やらない意味が分からん。
文の書き方に正解はない、とか言っといてなんだけどさ。
・句読点
・会話は鉤括弧で挟む
・先頭一字下げ
この三つは「最低限の基本」だと思うんですよね。
数字がアラビア数字でもいいし、段落が長かろうが短かろうがいいよ。
空白行なんて好きに入れればいいよ。
効果音も書きたければ書けばいいよ。
でも頼むから、上の基本の三つくらいは守って書かないか?
いや、会話に関してはあえて鉤括弧を使わない場合もあるな。句読点もまぁ、本来のルールはともかく好みというものが反映されてもいいと思う。
だが先頭下げないマン、てめーはダメだ。(ボーボボのネタです)
しかし、それも個人的な好みの問題なのだろうか。スマホで文字を読むのに慣れてしまうと違和感を持たないのか?
私はスマホでも一字下げの一切ない文は気になっちゃうんですが、めちゃくちゃ多い。
鉤括弧の会話文の先頭を下げるかどうか、とかは分かるんですけど、全体を通して一切下げないで、何も違和感ないんでしょうか…。