楠木なずな
「バーチャル」のイントロが流れる。
マイナー調の不穏な雰囲気の曲は、風華の得意とするところである。
セゾンstationの代表曲だった「嘘は灰で覆われた光」も同じように憂いの強い曲だった。
「アイラッシュ」というユニット名は、この曲名のAshとLieを組み合わせた造語である。
「バーチャル」における私のスタートポジションは最後方。
私は、エイトビートに合わせて、肩を上下させながら、こっそり、左手についているモーションキャプチャーのセンサーを外し、左の腰のあたりに付け直す。
こうすれば、シオンの左手を身体にぴったり付けたまま、私は左手を自由に動かすことができる。
私は衣装のポケットの中に入れていた錠剤を取り出す。
私が常用している睡眠剤に似た錠剤であるが、目を凝らして見てみると、微妙に形が違う。
少しだけ平たいのだ。
これは、珠里が私に仕掛けた毒薬である。
瓶の中の錠剤がすり替わっていることに気付けたのは、果乃のおかげだ。
果乃と睡眠剤について話している時に、私は瓶の中の異常に気付けた。
錠剤には、小さくアルファベットの刻印があった。その文字をそのまま検索窓に入れてググってみたところ、飲んで数分で命を落とす劇薬がヒットした。
私は、自由に動かせる左手で、その錠剤を口の中に放り込む。
そして、ゴクリと飲み込んだ。
間も無く、スネアドラムのビートが加わる。
私は、センサーの位置を元に戻すと、メンバーとともに踊り出す。
「バーチャル」は、アイラッシュの代表曲である。
私の――そして、アイラッシュの最期に相応しい曲だろう。
私は、どんな場所でも、どんな方法でも死ぬことができる。
しかし、シオンはそうではない。
私が自分の部屋で毒薬を飲んでも、シオンを殺すことはできない。
中の人である私が死んでも、VRアイドルであるシオンは生き続けることができてしまうのである。
しかも、シオンはボイスチェンジャーを使っているため、ヒナノとは違い、中の人の入れ替えがしやすい。
もしかすると、珠里は、私が死んだら、果乃をシオンの中の人にしようとするかもしれない。
だから、私はライブ中に死ぬことにした。
私がライブ中に倒れ、絶命すれば、シオンも殺すことができる。
VRアイドル殺しは、大衆の面前で行うほかないのである。
そして、シオンがライブ中に死ねば、アイラッシュも終わる。
私は全てのけじめをつけた上で、天国の四人に会いに行くことができるのである。
〜生まれた時から私はバーチャル〜
真央李が最初のフレーズを、激しい振りを交えながらも、伸び伸びと歌い上げる。
真央李は、アイラッシュの盛り上げ役だった。
本人は否定するかもしれないが、真央李は、空気を読むのがとても上手い。
空気を読んだ上で、あえて道化を演じ、沈んだムードを引き上げてくれていたのである。
真央李がいてくれたから、アイラッシュの活動の中での辛い経験や悔しい経験も、全て楽しい思い出になった。
真央李の背後のポジションにいた私は、真央李と入れ替わるようにして前に出る。
そこには、客席を映した大きなモニターがある。
私は、マイクを口元に近付け、歌う。
〜現実を茶化しながら
もがく人を嘲笑いながら〜
私の声は、機械で処理され、独特な電子音となって客席に届いているはずだ。
シオンは、本来、アイラッシュにはいてはならない存在である。
他のメンバーと同じ空間にはいてはならないはずなのだ。
ゆえに私は、シオンを、ミステリアスな少女として作画し、ボイスチェンジャーで声を変えることにした。
それが、ミライになれない私と、私のメンバー入りを要求した風華との妥協点なのである。
風華は、私たちが今踊っている部屋にいて、少し離れたところに座り、私たちのパフォーマンスを見守っている。
言わずもがな、風華にはすごくお世話になった。
風華がいなければ、アイラッシュの活動は少しも立ち行かなかっただろう。
VRアイドルをセルフプロデュースして、既存の芸能事務所に売り込むという離れ業ができたのも、技術面以外の全てをこなせる風華がいてくれたからなのだ。
〜あなたの指が触れるとき
私はそこにはいない〜
凛奈の歌い方は、蠱惑的だ。うっとりと聴き入りそうになってしまう。
凛奈は気高く、強い女性だ。
凛奈がいると場が引き締まる。
凛奈の背中を見ていると、アイラッシュはさらに上へと行けるのではないかという希望が湧く。
〜だって私はバーチャルだから〜
珠里が、小さな身体を大きく動かしながら、力強く歌う。
麻美にそっくりだな、と改めて思う。
珠里は、私の同志であり、親友だ。
珠里には、絶対に幸せを掴んで欲しいと思う。
そのために、私は、アイラッシュを終わらせて、珠里を呪縛から解く必要がある。
そのために、私は、決して珠里に殺されるわけにもいかない。
そろそろサビに入る。
私はマイクを握り締め、前を向く。
モニターを見た私は、唖然とした。
どうして――
どうして果乃が客席にいるのか。
果乃は、大学の講義があるため、今日のライブには来れないはずである。
そして、私は、果乃に、今日のライブには来ず、大学の講義が終わり次第、まっすぐ私の家に行くように伝えていたはずだ。
しかし、VRゴーグルを付け、白のペンライトを光らせているのは、紛れもなく果乃である。
どうしよう――
私は、どうしても今日のライブは果乃に来て欲しくなかった。
私――シオンが死ぬところを果乃に目撃されたくなかったからである。
私――シオンが倒れて死ぬところを目撃してしまえば、絶対にトラウマになる。
その光景が幾度となく頭に浮かぶことになってしまう。
まさに、私が、窓から見下ろした麻美の死体をフラッシュバックするように。
まさに、私が、閉じゆくエレベーターの隙間から見た、震えながら抱きしめ合うメンバーの姿に毎晩うなされるように。
私は、決して、果乃にそのようなトラウマを植え付けたくはなかった。
どうして、どうしようを頭の中で繰り返しながら、私は一番のサビをこなし切る。
――そうだ。このまま踊り切れば良いのだ。
この曲は今日のライブの最終曲だ。
幕が閉じるまでステージに立ち続ければ、私――シオンの断末魔を果乃に見られないで済む。
果乃を私と同じようにしないで済む。
その時、私の心臓があらぬタイミングで大きく鼓動した。
その弾みで、私はフラつく。
それと同時に、身体中に焼けるような痛みが走る。
毒が効き始めてきたのである。
果たしてこの曲の終わりまで持つだろうか――
――いや、是が非でも持たせなければなない。
果乃のために、最期のダンスを踊り切るのが、私の「使命」なのだ。
「大丈夫?」
小声でそう訊きながら、私の背中を叩いたのは、真央李である。
真央李は、感心するくらいに、他人のことをいつもよく見ている。
私は、マイクを持っていない方の手で輪っかを作り、「大丈夫」のハンドサインを真央李に送る。
しかし、その直後、一段と激しい痛みが、私を襲った。
身体を制御することができず、私は不意にバランスを崩す。
平静を保とうとしたものの、痛みで顔が歪んでしまう。
ダメだ。もっと頑張らなきゃ――
私は、自分を鼓舞して、全神経を歌とダンスに集中させる。
まるで灼熱の中にいるかのような痛みである。
階下の火によって温度の上がっていく楽屋の中で、一人泣いていた時に近い感覚を覚える。
二番のサビも終わる。
あとは大サビさえこなせれば、私は「使命」を果たすことができる。
「シオン!!」
モニターのスピーカーから果乃の声がした。
私は反射的にモニターを見る。
その時、果乃と目が合った。
私は、果乃と目を合わせてしまったことを後悔する。
果乃を見てはダメだ。
果乃を見ると、私は、生きたくなってしまう。
果乃ともっと一緒にいたかった――
果乃ともっと色んなところに出掛けたかった――
ディズニーにも、USJにも行きたかった――
それなのにどうして――
どうして――
どうして私は毒を飲んでしまったのだろうか。
「……かのちゃん、私、もっと生きたいよ……」
痺れる喉を絞って何とか出したか細い声は、当然にマイクに拾われることはない。
果乃と目を離してから、私は、なんて情けないことを言ってしまったのだろうと後悔する。
私が果乃に伝えるべきことはもっと他にもある。
今までありがとうだとか、出会えて良かったよだとか、もしくは、かのちゃんが作った卵焼き美味しかったよとか。
何が「もっと生きたいよ」だ。
自分で毒薬を飲んでおきながら。
〜それでもバーチャルを愛して欲しい
それは私じゃないけれど〜
身体はもう限界だった。
踊っているつもりになっているのは私の頭の中だけで、実際にはほとんど踊れていない。
〜バーチャルを愛して欲しい
それは私が作ったバーチャル〜
真央李以外のメンバーも、みんな私の異常に気付いてしまった。
凛奈も、珠里も、私に手を差し伸べようとする。
私は、それを拒絶する。
ここで甘えてしまえば、多分持たなくなってしまう。
気力とともに、私の命は消えてしまうだろう。
何としてでも踊り続けるのだ。
〜だからバーチャルを愛して欲しい
それが嘘で塗れていても〜
あと少し――あと少しだけ――
〜バーチャルを愛して欲しい
その中にしか私はいない〜
シオン!!
シオン!!
シオン!!
ファンの声援が聞こえてくる。
ファンの声援が、私に最後の力を与えてくれる。
ファンの応援というのは、本当に偉大なものだ。
私は今、文字どおりファンによって生かされている。
シオン!!
シオン!!
シオン!!
私は、ファンに対して、心の底から感謝している。
それを示すために私はなんとか笑顔を振り絞ってみせる。
果たして上手く笑えているのかは自信がない。
それでも、きっと、私の感謝は伝わるはずだ。
ようやく、曲が終わる。
メンバー全員の動きがストップする。
私は、倒れそうになりながらも、なんとかまだ立ち続けられている。
モニターを確認すると、ステージの幕が徐々に閉じていっている。
無事終わった――
私の意識は朦朧としている。
身体の感覚はほとんどない。
おそらくもう間も無く、私は死ぬ。
シオン!!
シオン!!
シオン!!
この声援の中で死ねることは、悪くないかもしれない、などと思う。
セゾンstationのメンバーも、せめてこういう幸せな死に方をして欲しかった――
そういえば、幕が完全に閉じてしまえば、シオンを殺し、アイラッシュを殺すという当初の目的は果たせない。
VRアイドル殺しは未遂となる。
――まあ、しょうがない。
そんなことより、私が最期にすべきなのは――
私は、最期に果乃の顔を見る。
VRゴーグルで顔の上半分が隠れているのだが、それでも果乃が泣いていることが分かった。
私が最期にできることは、果乃に、私の素敵な最期を見せてあげることである。
かのちゃん、今までありがとう。
私は、残った気力を全て振り絞って、満開の笑顔を作る。
目元からは、涙が止めどなく溢れている。
もっとも、この涙は、VRには反映されないはずだ。
私が笑いながら泣いていることは、果乃にバレることはない。
ついに幕が閉じ切る。
私の「使命」はもう終わった――
そして――
拍手の渦の中、私の意識はついに途絶えた。
次回、最終話です。




