アイラッシュの秘密
妃芽花が待ち合わせ場所に指定したのは、JR新宿駅東口を出て、信号を渡った場所――いわゆる「アルタ前」だった。
早稲田駅のホームで受けた電話で、妃芽花は「今すぐ会いたい」と言った。
ゆえに私は、珠里が乗っていった次の電車に乗り、高田馬場駅へ向かった。そこで山手線に乗り換えた。
時刻はすでに二十二時を回っているのに、新宿駅東口広場は人で埋め尽くされている。
ストリートミュージシャンやらキリストの教えを説く人などもいて、雑多な音が大混線している。
そんなカオスな中でも、私は、横断歩道を渡ってくる妃芽花にすぐに気が付いた。
服装は地味な黒いワンピースだが、一般人とはオーラがあまりにも違うのだ。
「果乃、いきなりごめんね」
妃芽花の方も、私にすぐ気付いたようである。
「大丈夫。最近寝るの遅いから」
それどころか、なずなを失って以降、ほとんど眠れていない。
「果乃、こっち」と妃芽花が、脇道の方を指差す。
歌舞伎町の方へと向かう道である。
「どこに行くの?」
「後で説明する」
妃芽花は、私に背を向け、足早に進んで行く。
その理由は明らかだ。
妃芽花は圧倒的に美しい。繁華街を歩くと、ナンパやら芸能関係のスカウトやらにひっきりなしに声を掛けられてしまう。ゆえに、早く通り過ぎたいのである。
後方を慌ててついて行く私に振り返ることなく、妃芽花が質問をする。
「果乃、キャンディー・クルーズかアイラッシュか決めた?」
「……いや、まだ……」
チェーンの喫茶店で妃芽花に勧誘を受けた私は、妃芽花に、正直に今の自分の立場を伝えた。
すなわち、VRアイドルであるアイラッシュからも誘いを受けていて、悩んでいると。
それを聞いた妃芽花は、少しショックを受けているようでもあったが、最終的には、「分かった」と理解を示した。
「果乃の人生だからね。果乃が決めて良いよ」
その時の妃芽花の目は、若干潤んでいるようでもあった。
「果乃の人生だから、私が口出しすることではないと思ってる」
あれから五日が経った今日、新宿の繁華街を闊歩しながら、妃芽花は同じ趣旨のことを言う。
「でもね、果乃には、ちゃんと正しい情報を得た上で判断して欲しい」
妃芽花が立ち止まる。
ドンキホーテ前の交差点の信号だ。
「正しい情報って……」
「アイラッシュのこと」
信号が青に変わり、また妃芽花が足早に歩き出す。
「アイラッシュの正しい情報? どういうこと?」
「私、アイラッシュについて良くない噂を聞いたことがあったの。この業界でも一部の人しか知らない噂」
アイラッシュについての良くない噂。
私はそれを聞いたことがない。
一体何だろうか――
「でも、裏を取らないままに噂だけ果乃に伝えたら、なんというか、フェアじゃないでしょ? だから、ここ数日、私はずっと調査していたの」
妃芽花は人気アイドルで多忙を極めている。
その一方で、私のために調査を行っていたというのだ。
キャンディー・クルーズの再結成に対して、妃芽花はそこまで強い熱意を燃やしているということなのだろうか。
「……裏は取れたの?」
「うん」
妃芽花は、背後から見てもハッキリ分かるくらいに大きく頷いた。
「結果として、私は『アイラッシュの秘密』を知ってしまった。かなり衝撃的なね」
妃芽花は、歌舞伎町を変わらず早足で進んで行く。やはり幾人もの男から声を掛けられているが、一切振り返らない。
アイラッシュの秘密。
一体それは――
「私は、その秘密を果乃にも知ってもらいたい」
ついに妃芽花が立ち止まり、私の方を振り返る。
「その上で、果乃に判断して欲しいの。私を選ぶのかアイラッシュを選ぶのか」
「妃芽花……」
妃芽花の表情は、真剣である。
キャンディー・クルーズを再結成したいという妃芽花の気持ちについて、疑う余地はなかった。
妃芽花は、目の前の建物を指差す。
「このビルだよ。ここにアイラッシュの秘密が詰まってる」
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