ギンちゃん
突然のビル火災は、大の大人からも平静を奪うものであろう。
それが少女――しかも、齢わずか十四の少女に対してならば、尚更である。
誰かが「焦げた臭いがする」と言った途端、他のアイドルは皆、楽屋を出て、廊下へと駆け出していた。
しかし、その十四歳の少女は、楽屋の椅子に座ったまま、動けなかった。脚が震え、言うことを聞かなかったのである。
やがて、廊下からは、泣き叫ぶ声が聞こえてきた。
十四歳の少女は、尚更、廊下に逃げ出す気力を無くしていた。
「ギンちゃん、どこにいるの!?」
ギンちゃん――それは十四歳の少女の愛称である。
元々は「ペンちゃん」と呼ばれていた。それがいつからか「ペンギンちゃん」と呼ばれるようになり、いつの間にやら「ギンちゃん」に変わっていた。
廊下から聞こえる声は、ギンちゃんと同じユニット――セゾンstationのアイドル――聖奈のものだ。
年齢は十八歳で、ギンちゃんよりも四つ年上。
「ギンちゃん!! ギンちゃん!!」
ギンちゃんの名前を呼んでいるのは、聖奈だけではない。
同じくセゾンstationのメンバーである喜帆の声もする。喜帆も聖奈と同い年である。
セゾンstationのメンバーが、廊下で、行方不明になっているギンちゃんを探しているのである。
とはいえ、ギンちゃんは、阿鼻叫喚の廊下には行きたくなかった。
ギンちゃんは、廊下に出ずに、ここから脱出する方法はないだろうか、と考えた。
楽屋を見渡すと、大きな窓が目に入る。
窓から飛び降りることはできないだろうか――
ギンちゃんは、震える脚で立ち上がると、廊下に背を向け、楽屋の窓の方へと向かった。
換気のため、窓は開けられていた。
ギンちゃんは、小さな身体を窓の外へと乗り出す。
そして、ビルの下を見る。
そこでギンちゃんが見たのは――
「きゃあああっ!!」
ギンちゃんは思わず叫ぶ。
そこには血塗れの女性が倒れていた。
女性が着ているのは、赤のワンポイントが入ったセーラー服。それは、セゾンstationの衣装であり、今ギンちゃんが着ているものと同じだ。
倒れていたのは、ギンちゃんの大好きな人――麻美である。
麻美はセゾンstationで一番のお姉さんで、一番の人気メンバーである。
麻美は、常に、ギンちゃんを、みんなを、優しく引っ張ってくれる存在だった。
その麻美が、ギンちゃんの眼下において、白目を剥いて、事切れている。
先ほどのギンちゃんの叫び声は、廊下の叫び声に紛れてしまった。
ギンちゃんが叫び声を上げたことに、誰も気付いていない。
麻美の死体を見てしまったことで、全身の力が抜け、ギンちゃんは、その場に座り込んでしまう。
このまま楽屋にいれば、間違いなく焼け死んでしまう。
そのことは分かっていたが、ギンちゃんにはどうすることもできない。
身体に力を入れることは、もうできない。
徐々に温度が上がっていく楽屋の中で、ギンちゃんは、ただひたすら泣くことしかできなかった。




