見えてきたこと
旦那様とオスカーさんの会話から数日後、オスカーさんは公爵家を辞める。
引継ぎは驚くほど早くに終わった。まるで前からこうなることを予想していたみたいだった。まさか、と思ったけど予感は的中していたらしい。彼が辞職することを聞いたとき、使用人達は誰も驚かなかった。
「今までありがとう」
オスカーさんが深々と頭を下げる。
顔を上げたオスカーさんは悔しそうな、泣きそうな顔をしていた。私にはその理由が分からないけど、彼がやり残したことがあるのは分かった。他の使用人達も同じような顔をしている。
場はまるで葬式だった。静かに嗚咽も聞こえる。
「後は、よろしく頼む」
そう言ってオスカーさんはまた頭を下げた。
「……言ってくださり、ありがとうございました」
沈黙を破ったのはジャック。拳を握りしめ、絞り出すような声はほとんど聞こえないぐらい小さかった。
何を言ったのか、それは多分旦那様に意見を言ったことだろう。
二人の会話を聞いてから数日の間、私は私と皆の間にも違和感みたいな何かがあると思った。この屋敷の異常な状態と、私と皆の間にある何か。ジャックに聞いたら答えをはぐらかされた。サラに聞いたら少し黙った後、数日したら教えるよと言われた。私より年上の皆は全員知ってるようだった。別に仲間外れにされたことが悲しいわけじゃない。ただ、それはお嬢様に関わることだろうから早く知らないといけない気がした。
暗い雰囲気の私たちに背を向けて、オスカーさんは公爵家を去った。
「時間がない。守れないのは悔しいが、守る術は教えられる。頼んだよ、皆」
彼の最後の言葉は今から分かる。
「じゃあ、話すね」
オスカーさんがいなくなった日の夜、サラとジャックに呼ばれて私は座っている。てっきり最年長の人が話すのかと思ったら、年が近い方がいいと言われてこの二人になった。
いつも朗らかな彼女は、死が間近に迫った病人のような顔をしている。隣のジャックも同じ。
「まずは謝罪ね。あなたに伝えなくてごめんなさい。でも、これはお嬢様のためにと思った結果なのよ」
そう言ってサラは話し始めた。
……そうね、まずは公爵夫妻の話からかな。
お似合いの夫婦と世間で言われているけど、お二人とも厳しい家庭で育ったからか本音を伝えない方なのよね。夫婦になれば本音を言うのは必須だけど、二人は出来なかった。だから、結婚当初から冷めた空気だったわ。
旦那様は愛人をつくり、奥様はお茶会に呼ばれない限り自室でひっそりと過ごしていた。でも、本人達は割り切った顔をしていて普通にしていたから、使用人達も特に言わなかった。どっちも悲しんでたりしなかったからね。まあ、避けている感じはしたけど無理に変えようとしたら後戻りできない状態になるって判断した。
ただ、奥様が妊娠してお嬢様が産まれてから少しずつ悪い方向に転がっていったの。
子が出来た喜びで奥様は旦那様に話しかけるようになった。だけど、旦那様はそんな奥様のことを避けていた。亡くなった母親に似た彼女にどうしても気を許せなかったらしいわ。
避けられてしまった奥様は、幼少期の自分のことを思い出して塞ぎこみ始めた。旦那様の態度に自分の父親からの拒絶を思い出し、お嬢様からは小さい頃の記憶を呼び起こした。やがて彼女はお嬢様に関わらなくなった。旦那様もお嬢様のことを気にかけなかった。お嬢様に自我が芽生えたとき、両親はどちらも彼女を見なくなっていたのよ。
それまでは大人同士が自由にしていたけれど、子が産まれたのだからせめて子には愛情をって使用人達が動き始めた。まあ、遅かったんだけどね。結婚して数年、二人の関係はもうどうしようもなかった。あの時動いておけばってどんなに後悔したかは分からない。
そこで、私達はお嬢様を守るというか、普通を悟られないようにしたのよ。
「普通、を悟られないようにした?」
なんだ、普通を悟られないようにするって。「普通」とは、この場合親からの愛情が貰えることだろうか。でも、それを悟られないようにする理由が分からない。
「そう、親からの愛情は普通に貰えるってことを分からないようにしたの」
――そしたら、悲しくならないでしょ?
そう言って彼女は話を再開する。
それは残酷な話だって、使用人の間でも意見が分かれた。
だけど、私達が「親は子を愛するのが普通なんです」なんて教えて期待させてしまったら。叶うかも分からない願いを子供に抱かせてしまったら。それは、教えないことよりも確実に彼女の心を削るわ。
自分のことを大事にしなさい。誰かに優しくされたらお礼を述べなさい。信頼できるか見極めなさい。時間をかけて仲良くしなさい。相手が仲良くなりたくないと思っているなら距離を置きなさい。
お二人が愛さないというなら私達が愛そう。両親が全てじゃない、周りに貴女を支えたい人がいる。
こうして公爵家の使用人はお嬢様に接してきた。憐憫は見せてはいけないって皆隠してきた。まあ、本心じゃないって勘付かれてお嬢様と仲良くなれなかったんだけど……アニーに言わなかったのは、本心で関わってほしかったからなんだ。
だから、公爵家の現状を普通として、貴女に慣れさせたことや、隠し事をしてきたこと、知らない間に巻き込んだことを怒られても私達は何も言えないし、何も言わない。
「…怒ろうとは思いません。でも、許そうとも思いません」
「そっか、それでいいよ。でもね」
アニーがお嬢様付侍女になってくれて本当に嬉しかったんだ。
オスカーさんが推薦して、アニーが仕え始めて、お嬢様は笑うようになった。やっぱり純粋な愛はいいよねって浮足立って、喜び合った。その結果がこのざまなんだけどね。
さてと、過去の話はこれで終わり。
私達には時間がない。長年仕えてきたオスカーさんを辞めさせたことから分かるように、旦那様が動いた。恐らく今仕えている使用人達は解雇されるわ。
でも、それは明日じゃないからね。残された時間を最大限に使ってお嬢様に守る術を教える。
協力してくれる?
私は迷わず頷いた。